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転生先は「悪役令嬢の取り巻きB」でした。  作者: 秋月 もみじ


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第6話 奇跡の正体は配合肥料


パーティーから二週間が過ぎた。

帝国の空気は相変わらず乾燥しているが、私の職場であるガラス温室の中だけは違った。


朝、日課の水やりのために温室へ入った私は、湿り気を帯びた土の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


「……よし」


目の前に広がる光景に、私は小さく拳を握った。

死の墓場のようだった温室が、鮮やかな緑に覆われている。

炭化していた低木からは新芽が吹き出し、枯れかけていたハーブの苗は倍の大きさに育っていた。

そして何より、私が一番気に掛けていた一角。

種を蒔き、土壌改良を施した花壇が、一面の若草色に染まっている。


「マリー様! これは……っ!」


後ろからついてきたメイドの少女が、悲鳴のような声を上げた。

彼女の手から水差しが落ちそうになる。


「どうしました?」


「き、奇跡です! 昨日はまだ土だったのに! 一夜にしてこんなに……!」


彼女はその場に膝をつき、震える手で胸の前で祈りの形を作った。

騒ぎを聞きつけたのか、警備の騎士や他の使用人たちも集まってくる。

彼らは緑で満たされた温室を見るなり、次々とひれ伏した。


「おお、緑の聖女様……!」

「枯れ果てた地に命をお与えになった!」

「ありがたや、ありがたや……」


拝まれている。

私は如雨露じょうろを持ったまま立ち尽くした。

非常に居心地が悪い。


「あの、皆さん。立ってください。これは奇跡ではありません」


私が訂正しても、彼らの耳には届かないらしい。

「謙虚であらせられる」「神の御業だ」と、勝手な解釈が進んでいく。

困った。

これでは技術が伝わらない。

私がここを去った後、誰もこの管理を続けられなくなってしまう。


「……朝から騒がしいな」


凛とした声が、熱狂した空気を切り裂いた。

集まっていた人々が、波が引くように道を開ける。

アレクセイ様だ。

今日も軍服を隙なく着こなし、カミル様を従えて歩いてくる。

そのアイスブルーの瞳が、温室の惨状――ではなく、豊穣を見回した。


「ほう」


アレクセイ様は短く感嘆の声を漏らし、私の前で足を止めた。


「見事だ。二週間前とは別の場所のようだ」


「ありがとうございます、陛下。順調に発芽しました」


「皆が騒ぐのも無理はない。魔法使いですら、ここまで広範囲を一斉に芽吹かせるには骨が折れる」


彼は青々と茂る葉の一枚を、革手袋をした指先でそっと撫でた。

その手つきは、もう恐れを含んでいない。

道具を信じ、植物を愛でる余裕が生まれている。


「やはり君は聖女なのかもしれないな。これほどの魔力を、いつの間に行使したのだ?」


「ですから、魔力ではありません」


私はため息交じりに否定した。

この誤解を解くには、皇帝陛下に理解してもらうのが一番早い。


「これは『肥料』の成果です」


「ヒリョウ?」


「はい。植物が育つのに必要な三大要素をご存知ですか?」


アレクセイ様は首を横に振った。

後ろのカミル様も、メモ帳を構えながら首を傾げている。

やはり、この世界には体系化された農業知識がないようだ。


私は近くにあった黒板(作業記録用)に、チョークで三つの文字を書いた。

N、P、K。


「窒素(N)、リン酸(P)、カリウム(K)。これを私は『植物のご飯』と呼んでいます」


「……呪文の頭文字か?」


「元素記号です。窒素は葉を茂らせ、リン酸は花や実をつけさせ、カリウムは根を強くします」


私は教鞭代わりにピンセットを持ち、解説を続けた。


「私が最初に作った堆肥は、土をふかふかにするベッドの役割でした。そして今回、爆発的な成長が見られたのは、二週間前に仕込んだ特製スープ……いえ、液体肥料のおかげです」


「スープ、だと?」


「はい。魚の骨や油粕、草木灰を水に漬け込み、発酵させて抽出したものです。特に窒素分を多めに配合しました。葉物野菜や、成長期の苗には劇的に効きます」


私は足元のタンクを指差した。

少し鼻につく独特の匂いがする茶色い液体。

これこそが「奇跡」の正体だ。


「つまり、君は魔法で時間を進めたのではなく、彼らに極上の食事を与え、体力をつけさせたということか」


「その通りです。お腹いっぱい食べて、環境が良ければ、植物は自力で育つのです。私はその手助けをしたに過ぎません」


アレクセイ様は私の目をじっと見つめた。

探るような色はなく、純粋な知的好奇心と、驚きが混ざっている。


「……驚いたな」


彼はポツリと言った。


「誰もが『祈り』や『魔力』で解決しようとする問題を、君は『食事』と『環境』で解決したのか」


「再現性が大事ですから。魔法使いにしかできないことなら、私がいなくなれば終わりです。でも、これなら」


私はメモをカミル様に差し出した。

肥料の配合比率と、作成手順が書かれている。


「材料さえあれば、誰にでも作れます。使用人の方でも、兵士の方でも」


カミル様が震える手でメモを受け取った。

そこに書かれているのは「魚の骨:3、油粕:7」といった、あまりに世俗的な数字だ。

しかし、その紙切れ一枚が、この国の荒れた大地を救う鍵になるかもしれない。


「カミル、それを国宝級の機密文書として保管しろ」


「は、はいっ!」


アレクセイ様は再び私に向き直った。

その表情は、出会った頃の冷徹な皇帝でも、温室での子供のような顔でもなかった。

一人の指導者として、敬意を払う顔だった。


「マリー。君は魔法を否定したが、俺にはそれが魔法以上に尊いものに見える」


「……どういう意味でしょう?」


「『誰にでもできる』。君はそう言った。それはつまり、選ばれた者だけでなく、すべての民が大地を豊かにできる可能性を示したということだ」


彼は一歩近づき、私の手を取った。

土で汚れた指先を、革手袋で優しく包み込む。


「君の知識は、一人の聖女の奇跡よりも、国の未来を照らす光だ。……俺は、君に出会えて本当によかった」


心臓が、とくんと跳ねた。

今までの「植物を治してくれてありがとう」という感謝とは違う。

私の信念、私の技術、そして「私という人間」を丸ごと肯定された気がした。


今まで、貴族社会では「地味な庭師まがい」と笑われてきた。

婚約者からも「可愛げがない」と捨てられた。

けれど、この人は。

この国の皇帝は、私の泥だらけの手にある価値を、正確に見抜いてくれた。


「……過分なお言葉です」


私は視線を逸らした。

顔が熱い。

温室の気温が高いせいだと思いたいが、たぶん違う。


「ですが、まだ実験段階です。この肥料が帝国の他の土地でも通用するかは、データを取ってみないと」


照れ隠しに早口でまくし立てると、アレクセイ様は喉を鳴らして笑った。


「ああ、頼む。君のデータ収集に、俺の国をすべて提供しよう」


「全部ですか?」


「全部だ。君が望むなら、城の庭でも、北の荒野でも、俺の寝室の植木鉢でも、好きなようにしてくれ」


寝室はやめておいた方がいい。

日当たりが悪そうだし。

でも、彼の提案は悪くない。


「……では、まずは城の中庭から始めましょうか。あそこの土も酷い状態でしたから」


「承知した。最高の現場監督として君を任命する」


アレクセイ様は私の手を離さず、そのまま強く握り返した。

周囲の使用人たちが、今度は別の意味で「尊い……」と拝み始めている気がするが、あえて気づかないふりをした。


ただ、握られた手から伝わる温度が、今までで一番心地よかったことは、否定できなかった。

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