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転生先は「悪役令嬢の取り巻きB」でした。  作者: 秋月 もみじ


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第5話 帝国貴族の冷ややかな視線


「……緊張しているか?」


アレクセイ様の腕に手を添えながら、私は小さく首を横に振った。


「いいえ。コルセットが少々きついだけです」


「そうか。後でメイド長に言いつけておこう」


大広間の重厚な扉が開く。

煌びやかなシャンデリアの光と、数百人の視線が一斉に降り注いだ。

今日は私の歓迎パーティーらしい。

一週間前、泥だらけで裏庭を掘り返していた女のために、帝国の有力者たちが集まっている。


私は背筋を伸ばして歩き出した。

今日のドレスは深緑色のベルベット。

私の地味な顔立ちには少し重いが、アレクセイ様が「君の瞳の色だ」と言って選んでくれたものだ。

断れるはずがない。


会場を進むにつれ、さざ波のような囁き声が耳に届く。


「あれが噂の?」

「なんでも、一日中裏庭で泥遊びをしているとか」

「王国から来た身分低い娘でしょう? 陛下も物好きであらせられる」


遠慮のない言葉たち。

扇子で口元を隠しているが、目は笑っていない。

彼らにとって私は、高貴な皇帝をたぶらかした「土臭い侵入者」なのだ。


普通なら萎縮する場面かもしれない。

けれど、私は内心で少し安堵していた。

(よかった、敵意の理由は「身分」と「行動」ね。植物への危害ではないわ)

私個人が悪口を言われる分には、実害はない。

聞き流せばいいだけだ。


「マリー」


アレクセイ様が足を止め、私の耳元で囁く。

その声は氷のように冷えていた。


「不快ならすぐに退室してもいい。あのような雑音を聞く必要はない」


「平気です。植物だって、風が強ければしなるものです。やり過ごせば折れません」


私が答えると、彼は少しだけ表情を緩めた。


「君は強いな。……それに、今日はとても綺麗だ」


不意打ちの褒め言葉に、返す言葉を探している時だった。

人垣が割れ、一人の女性が進み出てきた。

派手な真紅のドレス。

首元には大粒のダイヤ。

化粧は濃いが、美しい人だ。


「お初にお目にかかります、聖女様」


彼女は優雅にカーテスをした。

けれど、その目は獲物を狙う猛禽類のようだ。


「ベーカー伯爵夫人のアンナでございます。我が領地は香水の産地として知られておりますのよ」


「……はじめまして」


「それにしても、王国の殿方は寛大ですのね。泥遊びがお好きな女性を外交のカードになさるなんて。帝国の社交界では、少々……ユニークすぎますわ」


周囲からクスクスという笑い声が漏れる。

あからさまな侮辱だ。

アレクセイ様の腕に力が入るのが分かった。

彼が怒鳴りつける前に、私はアンナ夫人に一歩近づいた。


プン、と強い香りが鼻をつく。

彼女が纏っている香水だ。

甘く、濃厚で、少しスパイシーな香り。

帝国の特産品「月光花」から抽出される最高級オイルだ。


でも。

その奥に、違和感がある。


「……失礼ですが、夫人」


私はアレクセイ様を制して、夫人に問いかけた。


「その香水、今年の新作でしょうか?」


「ええ、そうですわ。先週届いたばかりの、我が領地自慢の逸品です。泥の匂いとは違って、高貴な香りでしてよ?」


彼女は勝ち誇ったように胸を張った。

周囲の貴族たちも「さすが伯爵夫人だ」と頷き合っている。


けれど、私の鼻は誤魔化せない。

甘い香りの底にへばりつく、湿ったカビのようなえた臭い。

そして微かな酸味。

これは、ただの抽出ミスではない。


「夫人。大変申し上げにくいのですが」


私は声を少し潜めた。

これは彼女の領地の信用の問題だ。

公衆の面前で恥をかかせるつもりはない。


「領地の月光花ですが、根元が黒く変色していませんか? あるいは、葉の裏に白い斑点が出ていないでしょうか」


夫人の笑顔が凍りついた。

扇子を持つ手がピクリと震える。


「……な、何を仰っているの? 我が領地の花は最高品質で……」


「この香水には『根腐れ病』特有の成分の匂いが混じっています。精製しても消えない、独特のエチレン臭です」


私は事実だけを淡々と告げた。

園芸家として、病気のサインを見過ごすことはできない。


「今はまだ香りで誤魔化せていますが、この病気は感染力が強いのです。畑の一角で発生したなら、すぐに隔離して土壌を殺菌しなければ、全滅します」


会場が水を打ったように静まり返った。

根腐れ病。

農家にとっては死刑宣告にも等しい言葉だ。


夫人の顔色が、ドレスの赤色とは対照的に蒼白になっていく。

その唇が震え、小さな声が漏れた。


「……なぜ」


「はい?」


「なぜ、それを……知っているのですか。この情報は、まだ領地から外には……」


夫人が口を押さえた。

自白したも同然だった。

周囲の貴族たちがざわめき始める。

「まさか、本当なのか?」

「ベーカー領の香水が全滅?」

「それを、匂いだけで当てたというのか?」


嘲笑の色が消え、代わりに浮かんだのは「恐怖」だった。

遠く離れた領地の、しかも隠蔽されていた事実を、ただ香水を嗅いだだけで暴いた。

彼らの目には、私が泥遊びをする小娘から、得体の知れない予言者に映ったらしい。


「え、あの、匂いがしたので」


私は慌てて付け加えた。


「対策はあります。水はけを良くして、石灰を撒けば……」


「……そこまでだ」


アレクセイ様が、低く通る声で会話を遮った。

彼は私の肩を抱き寄せ、冷ややかな視線で貴族たちを一掃した。


「聞いたか。彼女は千里を見通すわけではない。ただ、植物の声を聞き、その苦しみを理解できるだけだ。それが『聖女』でなくて何だと言うのだ」


誰も反論しなかった。

アンナ夫人はガタガタと震えながら、その場に崩れ落ちそうになっていた。


「夫人。聖女の慈悲だ。直ちに領地へ連絡し、マリーの助言通りに処置せよ。さすれば、今年の収穫は守れるだろう」


「は、はいぃっ! ありがとうございます、ありがとうございます……っ!」


夫人は涙目で何度も頭を下げ、逃げるように会場を去っていった。

それを見送った後、アレクセイ様は私を見下ろし、悪戯っぽく片目を閉じた。


「……鼻が良いのだな、君は」


「職業病です。病気の早期発見は園芸の基本ですので」


「頼もしい限りだ。おかげで、彼らも君の実力を認めざるを得ないだろう」


周囲を見回すと、貴族たちは遠巻きに私を見ていた。

もう誰も、私を嘲笑う者はいなかった。

むしろ、自分の香水や服から何かの不祥事がバレるのではないかと、怯えているようにすら見える。


(静かになってよかった)


私は小さく息を吐いた。

これでまた、明日から心置きなく土作りができる。


「疲れましたか?」


「いえ。ただ、少しお腹が空きました」


「では、あちらへ行こう。今日は君のために、野菜をふんだんに使った料理を用意させた」


アレクセイ様のエスコートで、私はビュッフェ台へと向かった。

その背中に突き刺さる視線が、「畏怖」と「尊敬」に変わっていることに、私はまだ気づいていなかった。

ただ、久しぶりの新鮮なサラダのことだけを考えていた。

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