第4話 聖女の仕事は土作りから
帝国での生活が始まって三日目。
私は鏡の前で、メイドたちが持ってきたドレスと睨めっこをしていた。
「あの、マリー様? お気に召しませんか?」
メイドがおずおずと尋ねてくる。
ベッドの上には、絹のドレスが山のように積まれていた。
どれも最高級品だ。
レースや宝石がふんだんにあしらわれ、裾は長く、コルセットはきつい。
「ええ。これでは仕事になりません」
私は即答した。
こんなヒラヒラした服で、どうやって土を掘り返せと言うのか。
裾が汚れるのを気にしていては、植物の声など聞こえない。
「下げてください。私は自分の服を着ます」
「は、はい……」
困惑するメイドたちを下がらせ、私は持参した荷物を解いた。
取り出したのは、王国の実家で愛用していた作業着だ。
厚手の木綿生地でできた、上下に分かれた服。
ズボンの裾は紐で絞れるようになっていて、動きやすさは抜群だ。
色は土汚れが目立たない茶色。
色気も華やかさも皆無だが、私にとっては戦闘服だ。
「よし」
着替えを済ませ、髪を布でまとめ上げる。
足元には頑丈な革のブーツ。
鏡に映った自分は、どこからどう見ても農村の娘だった。
だが、これでいい。
今日から本格的な「治療」を始めるのだから。
私はスコップを担ぎ、意気揚々と部屋を出た。
***
「……正気ですか」
温室の前で待ち構えていたカミル様が、私の姿を見て絶句した。
眼鏡が少しズレている。
「おはようございます、カミル様。良い天気ですね」
「挨拶は結構。その格好は何ですか。城の庭師ですら、もう少しマシな服を着ていますよ」
「機能性を追求した結果です。それより、お願いしていたものは?」
私が尋ねると、カミル様は渋い顔で後ろを指差した。
「……用意させましたよ。本当にこれが必要なのですか?」
そこには、麻袋がいくつも積まれていた。
中身は、城の裏の林から集めさせた「落ち葉」。
そして、厨房から出た「野菜くず」や「卵の殻」だ。
いわゆる生ゴミである。
「完璧です!」
私は駆け寄り、袋の中身を確認した。
落ち葉は適度に湿り気を帯びている。
野菜くずも新鮮だ。
これなら上質な腐葉土が作れる。
「理解に苦しみます。聖女としての力で、こう、光をパァーッと当てて治すのではないのですか?」
カミル様が手振りつきで訴える。
貴族の考える「癒やし」とは、大抵そんなものだ。
「カミル様。人間がご飯を食べずに働けないように、植物も栄養がなければ育ちません」
私はスコップを地面に突き刺した。
温室の裏手にある空き地。ここを土作りの拠点にする。
「ここの土は死んでいます。砂のようにサラサラで、有機物が何もない。これではいくら魔法で活性化させても、エネルギー切れで枯れるだけです」
「ですから、その汚物を混ぜるのですか?」
「汚物ではありません。資源です」
私は上着の袖をまくり上げた。
「土の中に微生物を住まわせ、彼らに落ち葉や野菜を分解してもらうのです。そうしてできた団粒構造の土こそが、植物にとっての最高のご馳走。これを『堆肥』と呼びます」
説明しながら、私は作業を始めた。
まず地面を三十センチほど掘り下げる。
そこに落ち葉を敷き詰め、野菜くずを撒く。
その上から米ぬかを少し振りかけ、土を被せる。
これを何層にも重ねていくのだ。
ザクッ、ザクッ。
スコップを振るう音がリズミカルに響く。
額に汗が滲む。
久しぶりの肉体労働が心地よい。
土の匂い。
葉の匂い。
生命の循環を作る、この感覚。
カミル様は遠巻きに、ハンカチで鼻を押さえながら見ていた。
手伝ってくれとは言わない。
これは専門職の領分だ。
一時間ほど経っただろうか。
私はすっかり泥だらけになっていた。
顔にも土がついているのが分かるが、気にする暇はない。
発酵を促すために、最後に水をかけ、全体をよく切り返す必要がある。
「よいしょ、っと」
重いスコップを持ち上げた時だった。
「……何をしている?」
背後から声がした。
カミル様ではない。
もっと低く、空気が震えるようなバリトンボイス。
振り返ると、アレクセイ様が立っていた。
執務の途中なのだろうか、ワイシャツの袖をまくり、ネクタイを緩めている。
その整いすぎた顔が、驚愕で見開かれていた。
しまった。
皇帝陛下の御前で、こんな泥だらけの姿を晒すなんて。
不敬罪で斬られても文句は言えない。
私は慌ててスコップを置き、その場に膝をつこうとした。
「お見苦しいところを……っ」
「待て。動くな」
アレクセイ様が制止した。
彼はゆっくりと私に近づいてくる。
その視線は、私の顔、汚れた作業着、そして積み上げられた落ち葉の山へと注がれた。
怒られる。
そう覚悟して身を縮こまらせた。
神聖な城内で生ゴミを混ぜ返しているのだから当然だ。
けれど、彼の口から出たのは意外な言葉だった。
「これが、聖女の儀式なのか」
「……はい?」
顔を上げると、アレクセイ様は感動に打ち震えていた。
アイスブルーの瞳が、キラキラと輝いている。
「美しい……。自ら泥にまみれ、大地と一体化して祈りを捧げる。なんと尊い姿だ」
「いえ、あの、これは祈りではなく撹拌作業でして」
「謙遜するな。カミルから聞いたぞ。『汚物をも資源に変える』と。それはつまり、穢れを浄化し、命の糧にするということだろう?」
解釈が壮大すぎる。
ただのリサイクルだ。
コンポストだ。
けれど、アレクセイ様の中では、私の泥汚れすら「聖なる印」に見えているらしい。
彼は私の目の前まで来ると、膝を折って視線の高さを合わせた。
至近距離。
整った顔立ちが目の前に迫る。
汗の匂いがしないか心配で、思わずのけぞりそうになる。
「マリー。君は、この国のために汚れることを厭わないのだな」
「それは、仕事ですので」
「仕事か。……俺の知る貴族たちは、爪の先に埃がついただけで大騒ぎする。だが君は、泥だらけの手を誇っているように見える」
アレクセイ様の手が伸びてきた。
第3話で私が渡した、あの革手袋を嵌めている。
あれ以来、ずっと着けてくれているのだろうか。
革の指先が、私の頬に触れた。
ゴワゴワとした感触。
けれど、触れ方は壊れ物を扱うように優しい。
「っ……」
「ここ、土がついている」
彼は懐から真っ白なシルクのハンカチを取り出した。
そして、私の頬についた泥を、丁寧に、本当に丁寧に拭った。
拭われた場所が熱い。
心臓が早鐘を打つ。
ただ泥を取ってもらっているだけなのに、まるで愛を囁かれているような錯覚に陥る。
彼の瞳が、私だけを映しているからだ。
「陛下、ハンカチが汚れてしまいます」
「構わない。君の労働の証だ。これ以上の勲章はない」
彼は汚れたハンカチを、まるで宝物のようにポケットにしまった。
そして、革手袋越しに私の手を握った。
「手伝おう」
「え?」
「俺にもできるか? その、カクハンという儀式は」
本気だ。
この皇帝陛下は、本気でスコップを握るつもりだ。
背後でカミル様が「陛下ー! 執務ー! 会議がー!」と悲鳴を上げているが、アレクセイ様の耳には届いていないらしい。
「……力仕事ですので、助かりますが。お洋服が汚れますよ」
「君が汚れているのに、俺だけ綺麗でいられるか」
アレクセイ様は屈託なく笑った。
その笑顔は、氷の皇帝という二つ名を完全に否定していた。
ただの、少し不器用で真っ直ぐな青年の顔だった。
「ご教授願おう、マリー先生」
そう言われてしまっては、断れない。
私はもう一本のスコップを彼に渡した。
「では、腰を入れてください。見た目より重いですから」
「望むところだ」
その日、帝国の城の裏庭で、奇妙な光景が目撃された。
泥だらけの作業着を着た令嬢と、ワイシャツを泥で汚した皇帝が、並んで土を掘り返している姿だ。
二人が楽しそうに、
「もっと空気を含ませて!」
「こうか!?」
「そうです、上手です!」
と声を掛け合っている様子は、さながら仲睦まじい農夫の夫婦のようだったと、後にメイドたちは語り合った。
作業を終えた後の充実感と、隣で汗を拭う彼の横顔に、私は園芸とは違う種類の胸の高鳴りを覚えていた。
それが何なのか認めるには、私はまだ少し、植物に夢中すぎたのだけれど。




