ホットケーキはサスペンス
美月は、夫の弘人と結婚して三年になる。
付き合いは十年。今でも大好きで、倦怠期なんて言葉は、自分たちには縁がないと思っていた。
けれど最近、弘人の様子がほんの少し変わった。
帰りが少し遅くなった。髪型をやけに気にするようになった。つけたことのない香水を、ほんの少しだけ。
理由を聞けば、立場的に、年齢的に、と歯切れの悪い答えが返ってくる。
大したことではない。そう思おうとするほど、胸の奥がざわついた。
休日の朝、珍しく弘人がホットケーキを焼いてくれた。
甘い匂いが部屋に広がり、美月は少し安心した。
食べてしばらくして、息ができなくなった。
視界が白くなり、全てが遠ざかる。
救急車で運ばれた。
美月にはそばアレルギーがある。それは弘人も知っている。
けれどホットケーキに、そば粉は入らない。検査をしても原因は分からなかった。
家に戻り、箱を確かめる。ただのホットケーキミックス。
それでも怖くて捨てた。
弘人は驚くほど過保護になった。
水は飲んだか、寒くないか、無理はするな。
一瞬、疑った自分を、美月は反省した。
しばらくして、美月は自分で材料を買い、ホットケーキを作った。
弘人を疑ったわけではない。確認のためだ。
何も、起きなかった。
数日後、残りの材料でまた焼いた。
今度は、倒れた。
真相は、意外なところにあった。
弘人は浮気していなかった。会社の後輩女性に、ただ相談されていただけだった。
腹は立ったが、好意がないのはすぐ分かった。
その女性が、相談のお礼にホットケーキミックスを渡していた。
「ぜひ奥様へ」と言って。
そこに、そば粉が混ぜられていた。
飲み会で、弘人が「妻はそばアレルギーだ」と話していたのを、覚えていたらしい。
棚の下に滑り落ちていた、捨てたはずのその粉を、弘人は美月が買ったものだと勘違いして箱に戻していた。
背筋がぞわりとした。
甘くて、やさしい響きのホットケーキは、あやうく命取りになるところだった。
――いや。
これはもう、十分すぎるほどサスペンスだ。




