第三章 ep.1
ミレイユとプリメリアが貧困支援について語り合ってから、数年が経った。
「どんな人にも、自立するための教育を」――その理念のもと、ミレイユは地道に支援活動を続けてきた。
初期の頃に教えていた孤児院の子どもたちも、今ではそれぞれの道を歩み始めている。
レオールやソフィアに憧れて、集会所で教師になる者。
商人に弟子入りして帳簿管理や商品の在庫を任される者。
初めて見た絵本に心を奪われ、物語を紡ぎ始める者……。
さらに、集会所での定期的な領民たちの集まりによって、互いを支え合う仕組みも自然とできあがっていった。
農業や家畜の世話といった忙しい時期には、手が空いている人が自然と助けに入る。
そうした支え合いが生まれたことで、ブレネ家の財政も緩やかながら右肩上がりを続けていた。
財政が潤ってきたことで、ブレネ商会の主力商品「白百合石鹸」の生産量を増やすことに決めた。
仕事がなく、明日の食糧にも困っている人々に声をかけ、石鹸づくりの手伝いをしてもらう代わりに、現金と食糧の給付を行う制度を整えた。
そんな中、あるひとりの女性が、捨てられるはずだった石鹸カスに野草のハーブを混ぜ、小さな麻布に詰めて匂い袋を作った。
最初は個人的な楽しみだったが、その香りが評判を呼び、次第に真似する人が増えていった。
中には、石鹸を買うときにわざわざ少し削って匂い袋用に取っておく者まで現れたほどだ。
そのアイデアを採用し、貴族向けに改良を加えた結果、香り付きの蝋燭として商品化することに成功した。
今では徐々にではあるが、売れ行きも好調だ。
かつて貧困と呼ばれていた人々の数は、今やブレネ領内で限りなく少なくなった。
領地の取り組みは他国にも注目され、アマレギア王国の中でも一目置かれる存在となっていった。
ミレイユが始めた小さな支援が、やがてブレネ領全体を豊かにしていった。
その成果により、ミレイユ・ブレネは、領の発展に多大な貢献をした人物として、王国でも名の知られる存在となった。
プリメリアとの交流も今なお続いており、ルサリエル領でも平民への教育支援が進められている。
彼女が王妃になれば、きっと――すべての人が教育を受ける権利を持てる時代が来るはずだ。
その未来を実現するためにも、あの冤罪による悲劇は、絶対に防がなければならない。
場面は変わり、ミレイユは王都に来ていた。
目の前には、壮麗な門がそびえ立っている。その中へと、同じ制服を着た少年少女たちが続々と入っていく。
ここはアマレギア王国の中でも、選ばれた優秀な若者のみが入学を許される――『コルヴァリエ魔法学園』。
13歳から18歳の生徒たちが魔法を学ぶためのこの学園は、神聖力を操る聖女が存在するこの世界において、魔法を扱う者たちの頂点を育てる場所でもあった。
では、なぜこれまでミレイユの物語に「魔法」が登場しなかったのか。
それは、この世界における魔法が――知識と鍛錬、そして何より財力を必要とするものだからだ。
魔力は鍛えなければ増えないし、自分の体に眠る魔力という存在を認知するには、身体の構造を理解していなければならない。
魔法を使う際に詠唱は必要ないが、周囲の物質の存在や性質を把握しておく必要がある。
例えば、火種があれば炎の魔法が使いやすくなり、水が豊富なら水魔法の制御も容易になる。
そして何より、「魔法紋」と呼ばれる魔法の発動式を描くための知識が不可欠だ。
この魔法紋が記された魔法書は高額で、貴族階級にしか手が届かない。
自然の力や人工的な物質をもとに魔法紋を描き、自身の魔力をそこへ乗せることで、ようやく魔法が発動する。
ゆえに、幼少期から十分な教育を受けられず、魔法書に触れる機会もない平民にとって、魔法は遠い世界の技術だった。
(懐かしいな……)
ミレイユは、前世で過ごしたこの学園での日々を思い出していた。
あの頃の彼女は特に目立つ存在ではなく、貴族の中でも平民上がりとして、陰で見下されることも多かった。
「平民上がりの貴族が、いつまで学園に通えるのかしら」
――そんな言葉を投げられるのは、日常茶飯事だった。
彼女が孤独に過ごした一年目。
その学園生活を大きく変えたのは、二学年に進級したとき、プリメリアに助けられ、行動を共にするようになったことだった。
プリメリアは成績優秀で、生徒会の役員も務め、学園の風紀を守る中心的存在。
第一王子との婚約も決まっており、誰も彼女を軽んじる者はいなかった。
当時のミレイユは、そんな彼女の後ろを、ぴたりとくっついて歩いていた。
初めは――「助けてくれたから」「彼女のそばにいれば、もう馬鹿にされないから」――そんな打算的な理由だった。
(身分の違いなんて、分かってる……でも、もう馬鹿にされるのは嫌……!)
しかしある日、プリメリアから思いがけない言葉を投げかけられる。
「ミレイユさん、あなたこのままずっと、私の後ろにいるつもりですか。」
その瞬間、ミレイユは全身に冷や汗をかいた。
ついに見限られてしまったのか。もう付きまとうなと告げられるのか――。
(……今思えば、自分勝手な思考だったのよね)
不安を顔に出してしまったのだろう。
プリメリアは真剣な表情のまま、けれど優しく言葉を重ねた。
「貴方は他の生徒よりも、民に近い存在でしょう?その経験を活かさず、私の後ろにいるだけでは勿体無いと思いませんか?」
「勿体無い……?」
「私はきっと将来この国を背負う一人となるでしょう。私はそのために、やるべき事を確実に行う知識と技量を身につけなければなりません。」
プリメリアは目を細め、静かに微笑んだ。
「でも貴方は、私の後ろに隠れることが役目ではないでしょう。今はわからなくてもいいですが、いつか自分の役目を果たせるように今のうちに色々な人と関わり、学んだほうが良いと思うのです。」
プリメリアの言葉に、一理あるとは思いつつも、ミレイユはどうしても納得できなかった。
「プリメリア様も知ってる通り、私は平民上がりの男爵家です……。それだけで他の方は私を見下します。そんな方々と関われだなんて……。」
悔しさに、泣きそうになるのをこらえながら言葉を絞るミレイユ。
「――すべての人が貴方を馬鹿にしているわけではないはずよ。貴方のお父上はこの国の頭脳であるヴェルセーヌ公爵の推薦で爵位をもらっているのよ。何も恥じることはないわ。ミレイユさん、一度周りを見てごらんなさい。貴方を悪く言っている人は、一部であるはずよ。」
その言葉を聞いたミレイユは、はっとして顔を上げた。
太陽の光が反射して、プリメリアの姿に後光が差しているように見えた。
――きっとそれは、心の中で「逃げるための盾」にしていた存在が、尊敬と羨望の対象へと変わった瞬間だった。
(今まで身内以外で、私のことを本気で心配してくれた人がいただろうか……)
その時、ミレイユは直感的に「この人のそばにいたい」と強く思った。
「もし、考えた結果、それでもプリメリア様のお側にいたいと思ったら、どうすれば良いのでしょう……。」
「別にいいわよ。ただし、私は有能な方に側にいてほしいの。今までのように努力を怠る様なら離れてもらうわ。」
そう言って、プリメリアは笑みを深め、少し挑発的な顔をしてみせた。
あの日以来、ミレイユはプリメリアのそばに執拗につきまとうことはやめた。
その代わり、勉学に励み、魔力の鍛錬を欠かさず続けた。
努力の甲斐あって、風魔法の扱いでは他の生徒よりも頭一つ抜きん出るようになった。
当時、石鹸で作ったシャボン玉を空高く飛ばす魔法遊びが流行しており、ミレイユも得意気に空へと泡を舞わせていた。
プリメリアの言った通り、彼女を悪く言う生徒は限られており、そう思えるようになってからは自然と学友と呼べる存在も増えていった。
最終的に、ミレイユは「飛び抜けて優秀」とまではいかなくても、努力する姿を認められ、穏やかな学園生活を送ることができた。
卒業の頃には、第一王子ジョージ殿下とクラリス公爵令嬢の関係について噂が流れ、プリメリアが心を痛めている様子もあった。
けれど卒業パーティーで殿下がエスコートしていたのはプリメリアだった。
――噂は噂。そう思っていたのだ。
まさか、あの後の大貴族会議で、あのような事件が起きるとは夢にも思わなかったが――。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
中々筆が進まず、先週は更新出来ませんでした…(-_-;)
PV数が毎日入っていて、読んでくれる方がいる事にやる気を漲らせています!
頑張って定期更新出来るようにしますので、応援してくださると嬉しいですᕦ(ò_óˇ)ᕤ