「午後2時に、恋をした」(彼女視点:恋の自覚)
チョコクリームパンをひとつ。
それを頼んだのは、たぶん、わたしの中で“区切り”がついた証だった。
3年前。止まった時計と、止まってしまった午後。
心の奥で、ずっと時間が動かなかった。
だけど、不思議なことに、彼のパンだけは――いつもやさしくて、温かかった。
だから、また来てしまった。
あのパン屋へ。
彼は驚いた顔をして、それから、あの頃と同じ声で「いらっしゃいませ」と言ってくれた。
その声を聞いた瞬間、心の中で、“何か”がふっと動いた。
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パンを受け取って、外に出る。
春の風が少し冷たくて、コートのボタンをひとつ留める。
チョコクリームパンをひとくち。
……やっぱり、変わらない味。
でも――ほんの少しだけ、甘く感じた気がした。
「これは、パンのせいじゃない」
気づいてしまった。
この味に、彼のやさしさが混ざってる。
彼の声が、彼の笑い方が、わたしの中に、何かを運び込んでいた。
ずっと、心の奥の部屋に閉じ込めてた想いが、
ゆっくり、ほどけていくようだった。
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あの晩、レストランで彼に言われた。
「その時計が進む先、俺と一緒に見てみませんか?」
その言葉は、胸の奥で静かに火を灯した。
好きかもしれない。
……ううん、もうずっと、好きだったんだと思う。
彼の声も、歩き方も、パンを包む手のぬくもりも。
気づかないふりをしていただけだった。
時間が止まってたから。
心を閉じていたから。
でも、彼は。
いつもそこにいてくれた。
変わらない味で、変わらないやさしさで、
わたしが戻ってくるのを、待っていてくれたんだ。
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「お願いします」
そう言った瞬間、自分でも驚くほど、涙がにじんだ。
嬉しさとか、安心とか、
それとも……恋って、こういうものなのかな。
彼の手がそっと、わたしの手を握ってくれた。
あたたかかった。
止まった午後が、ゆっくりと、ちゃんと未来へと歩き出した。
もう大丈夫。
もう、止まらない。
――だって、これはもう、恋だから。
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おしまい。