表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

4話「動き出す午後」(彼視点/再会→恋愛へ)




あの日以来、彼女は来なかった。




チョコクリームパンを2つ買いに来る女性。止まった時計をつけたまま、決まって午後2時に現れる、不思議な人。




その姿を見かけなくなってから、もう3年になる。




それでも午後2時になると、つい入口のベルが鳴るのを待ってしまう自分がいる。




癖みたいなものだと思っていた。




……今日までは。






---




入口のベルが鳴った。




チリン。




その音がやけにやさしく聞こえた。




顔を上げると、そこに彼女がいた。




長くなった髪を耳にかけ、あのときよりも少し大人びた雰囲気で――でも、確かに、あの人だった。




「……いらっしゃいませ」




心臓が跳ねたのがわかった。声が震えなかったのが奇跡だ。




彼女は微笑んだ。




懐かしくて、でも、どこか決意のある笑顔。




「チョコクリームパン、2つですか?」




聞いたあと、自分で“これは変だな”と思った。




けれど彼女は、首を横に振って言った。




「今日は、1つだけ。私の分だけでいいんです」




……そうか。ようやく、時間が動き出したんだ。




その言葉だけで、なぜか目の奥が熱くなった。




「はい。チョコクリームパン、1つですね」






---




パンを手渡すとき、彼女が言った。




「時計、動き始めたんです」




僕は少し笑って、答えた。




「よかった。……俺の午後も、動いてましたよ」




彼女は小さく笑った。時間がゆっくり、重なっていくような気がした。




気づけば、口が勝手に動いていた。




「このあと、時間ありますか?」




言ってから、なんて唐突な――と思った。




でも彼女は時計を見て、優しくうなずいた。




「……少しなら」




それだけで、世界が少し明るくなった気がした。






---




パン屋を閉めた後、近くの喫茶店に入った。




コーヒーの香り。昔より少しラフになった彼女の話し方。


笑いながら、「ここで話すの、なんだか不思議ですね」と彼女は言った。




そしてぽつりと、




「手紙、読んでくれたんですよね」




「はい。……いまも、ちゃんととってあります」




彼女は驚いたように目を見開き、少しだけ照れたように俯いた。




その仕草が、なんだか、ものすごく愛おしかった。






---




それから、何度か会うようになった。




最初はパン屋の帰り、次は土曜の昼下がり。


季節が変わるたびに、僕の店のパンも変わっていったけど、彼女はいつもチョコクリームパンを1つ買った。




「これは、特別な味だから」と言って。




やがて、彼女が時計を見て言った。




「……もう、午後2時にこだわらなくてもいいかなって、思えるようになったんです」




僕は笑って答えた。




「じゃあ、今度は午後7時に。晩ご飯でも行きましょうか」




彼女は、少し目を丸くして、それからゆっくりと、うなずいた。




止まっていた午後が、ようやく今日に、そして明日に、つながった気がした。






---




おしまい。











評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ