「午後2時の再会」(『止まった時計と、午後のパン屋』 続編)
小さなパン屋は、まだそこにあった。
商店街のシャッターが少しずつ閉まっていくなかで、変わらず、淡い焼き色のパンの香りが漂っている。
風に乗って、それはまるで記憶の断片のように、私を引き戻す。
あれから、3年。
私はようやく、あの場所に戻ってこられた。
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「……いらっしゃいませ」
懐かしい声が聞こえた。
あのときと同じ、でも少しだけ低くなって、落ち着いた声。
カウンターの向こうには、変わらない笑顔があった。
少し髪が短くなっている。エプロンも新しくなっていた。
だけど、その瞳の奥は、あの日のままだった。
彼は一瞬、息をのんだような顔をして、そして笑った。
「……チョコクリームパン、2つですか?」
私は、静かに首を横に振った。
「今日は、1つだけ。私の分だけでいいんです」
彼は驚いたように見えたあと、少し照れたように、けれど優しくうなずいた。
「はい。チョコクリームパン、1つですね」
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パンを受け取って、私は言った。
「時計、動き始めたんです」
彼はほんの少しだけ目を見開いて、笑った。
「よかった。……俺の午後も、動いてましたよ」
私たちはしばらく、何も言わずに立っていた。
でもそれは、気まずい沈黙じゃなかった。
積み重ねた時間が、互いにわかる沈黙だった。
ふと、彼が言った。
「このあと、時間ありますか?」
私は時計を見た。午後2時10分。
止まっていた時間を越えた、その先。
「……少しなら」
そう言って、私は久しぶりに心から笑った。
彼の横に立って、パン屋をあとにする。
午後の光が、私たちをやわらかく包んでいた。
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おしまい。