2話「午後2時、止まったままで」(『止まった時計と、午後のパン屋』 彼女視点)
今回は、彼女側からの視点で書いています。
「午後2時、止まったままで」
(『止まった時計と、午後のパン屋』 彼女視点)
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午後2時。
私の腕時計は、その時間からずっと動かない。
壊れたわけじゃない。止めたのは、私。
あの日、彼がいなくなった日の時間で、秒針が止まってくれている。
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あのパン屋を見つけたのは、偶然だった。
小さな商店街の端っこ。誰かに教えてもらったわけでもなく、ただ、吸い寄せられるようにふらふらと歩いていたら、そこにあった。
ガラス越しに並ぶパンの中で、チョコクリームパンだけがやけに目に留まった。
彼が、最後に買ってきてくれたパン。
ふざけて、「これ、デートの代わり」とか言って笑って。
その日の午後2時に、彼は事故に遭った。
それ以来、午後2時になると、私はあのパンを2つ買いに行く。
彼の分と、私の分。
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パン屋の店員さんは、いつも変わらない声で応じてくれる。
「はい、チョコクリームパン、2つですね」
最初は心に触れられるのが怖くて、目も合わせなかった。
でも、毎回同じように接してくれるあの人の声に、私は少しずつ救われていった。
この人は、私の「止まった時間」を否定しない。
ある日、彼が聞いてきた。
「時計、直さないんですか?」
びっくりしたけど、笑って答えた。
「この時間だけが、好きなんです」
言ってみて気づいた。
私は、止まっていたんじゃない。止めた時間にすがっていただけだった。
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その日を最後に、パン屋には行かなくなった。
代わりに、彼と一緒にいた時間を、少しずつ胸にしまって、時計の針を進める準備を始めた。
あの人に、お礼を言えなかったのが心残りだったから、手紙を書いた。
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「午後2時のパン屋さんへ。
変わらない声と、変わらないパンに、私は毎日少しずつ救われていました。
たとえ何も知らなかったとしても、あの優しさは本物でした。
だから、ちゃんと伝えたくて――ありがとう。
あなたの午後が、どうか優しくありますように」
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そして私は、止まっていた時計のリューズを、そっと回した。
針が、静かに動き出した。
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おしまい。