第9話 珍妙な関係
「はい…喜んで」
ふと口に出してしまった答えで、俺と魔王は『交際を前提とした友人』という珍妙な関係となった。『これからよろしくね…』と目の前で頬を赤く染めているのは魔王ではあるが、こうして見ると、ただの女の子なのだと実感する。
——俺ってどうして魔王を討伐しに来たんだっけ?そんな疑問が頭に浮かんでしまうが、すぐに振り払う。
「こちらこそ、よろしくな魔王」
「むっ、自己紹介はもうしたでしょ。僕のことはリリスって呼んで欲しいな」
あからさまに拗ねているということを表現したいのか、大きく頬を膨らませ、しっぽの先で俺の脇腹を何度も軽くつつく。
「分かった、分かったって、リリス。……ってかリリスって尻尾あったんだな」
細く黒い尻尾。先端はトランプのスペードのような形をしている。獣人たちのそれとは全く異なる見た目だ。
「ん、勇者の世界だと、尻尾の生えた人は居ないんだったね」
「そうだな、尻尾もケモ耳も無い世界だ。ていうかさ、俺の名前は神乃涼太だ。あんまり勇者、勇者って言わないでくれ」
「リョータか、良い名前だね」
「…そりゃどーも」
二人で見つめ合い、頬を赤らめて頭を掻く。
すると、リリスの付き人が『ゴホンッ』とわざとらしい咳払いをして俺たちの注意を引いた。
「魔王様、いつまでそうしているつもりですか。城内の兵士たちは私が何とかしておきますから、お二人は部屋でお休みになっていてください。……それと神乃さん、あなたの告白はとても胸に響きましたよ」
「ど、どーも…」
この世界にやって来て初めて、苗字を呼ばれた気がする。何だか新鮮だ。
「ありがとう。ただ、まだ二人きりだと緊張しちゃうから……ヨーキも後で部屋に来てね…?」
「めちゃかわいぃ…‼︎ごほんっ。わ、分かりました、なるべく早く終わらせます」
そう言い残して、リリスの付き人——ヨーキさんは立ち去ってしまった。
広い謁見の間で二人きりになってしまった。リリスは俺のTシャツの裾を掴み、恥ずかしそうに声を振るわせながら言う。
「……じゃ、じゃあ僕の部屋に行こっか」
なんかめちゃくちゃ可愛い。そういえば、ヨーキさんも先そう言いかけて堪えてたな。可愛いボクっ娘魔王様の側近は幸せなんだろうな。
彼女に連れられてリリスの部屋へとやって来たのは良いが、女子の部屋に入るなんて日本でもしたことが無い経験だぞ。
(ほんのりと甘いような…なんだか落ち着く匂いがするな)
魔王の部屋だからてっきりかなり広いのでは、と考えていたがそうでもなく、日本で見かける一軒家のようなものだった。
ライトグレーを基調とした部屋で、ソファやカーテン、ラグ、更には床までもが同じ色で統一されている。
隅に設置されている木目調の本棚の上に置いてあるのは、熊のぬいぐるみか。落ち着いた雰囲気を纏った部屋ではあるが、ところどころに可愛らしさを感じられる。
そんな部屋に見惚れていると、部屋の奥の窓の前に立ったリリスが手招きしてくる。
「リョータ、こっちこっち」
いったい何があるんだ?
そこから射し込む光の眩しさに目を細めながら、彼女の視線が向けられている窓の外を眺める。
「すげぇ…綺麗だ…!」
まるで西洋のような街並み。
何と言う名の種族なのかは分からないが、笑みを浮かべて買い物をする角のある者、屋台を営んで接客をしている小さな羽を持つ者、猫のような耳をぴくぴくと反応させながら恋人と腕を組み歩く者、様々な幸福がそこには溢れている。
そんな光景を見てふと口から出た言葉は、何ひとつ偽りの無いものであった。
「そうでしょ。リョータ、魔王領へようこそ。正直、皆んなにすぐに認めてもらえるかは分からないけど、僕はきみのことを歓迎するよっ。へへへ…」
格好良い台詞だが、自分で言っていて恥ずかしくなったのか、リリスはぽりぽりと頬を掻いた。
・ ・ ・ ・
コンコンコン、と軽く扉を叩く音が聞こえる。
そして『失礼します』と言って中に入って来たのは、最近雇った獣人のメイド、リサちゃんだった。
彼女の持つトレイには、ティーポットとふたつのカップが乗せられている。
「お客様が来ているとヨーキ様から伺いましたので、紅茶をお待ちしました」
「ありがとう。せっかくだしいただこうかな。リョータも飲むよね?」
「あ、ああ、貰うよ」
「それじゃあリサちゃん、二人分お願いしても良いかな」
「はいっ」
二人で向かい合うように席に着き、紅茶が注がれていく様子を眺める。
やっぱりまだ緊張してるのかなー、紅茶を注ぐ時に耳がぴくぴくして、尻尾がピンと伸びちゃうのは相変わらずだね。
良い香りが漂ってきて、緊張していたはずの心もいつの間にかリラックスしていた。
僕の分が注ぎ終え、次はリョータの番だ。
(お客様に注ぐのは初めてで緊張するよね…頑張って…!)
ゆっくりと注がれる紅茶を眺めていると、なんだか僕もまた緊張してきた。
そして注ぎ終えて一安心した時、運悪く、ティーポットの持ち手が音を立てて折れてしまう。そのまま本体はリョータのカップの上に落ち、中に入っていた紅茶が彼に飛びかかった。
「ひゃっ、リョータっ大丈夫⁉︎火傷してない⁉︎」
「俺は何とも無いから大丈夫だって…そんなに慌てるな」
リョータはそう言ってくれるが、彼の着ていた綺麗な白い服に大きなシミが付いてしまっている。
リサちゃんは慌てて頭を下げた。
「大変申し訳ございません!お客様にこんなご無礼を…!」
「いやいや…俺は本当に大丈夫だって…。それよりも、ポットが割れたみたいだけど、怪我はしてないか?紅茶がかかって何処か熱いところがあるなら、ちゃんと流水で冷やしておくんだぞ」
「私は大丈夫です!それよりもお客様が……!」
「そっか、それなら良かった。きみも大丈夫だし、俺も大丈夫。悪いことなんて何処にも無いだろ?」
そう言い聞かせるリョータは、取り繕っているようには一切見えなかった。確信では無いけれども、彼の優しさを知れた気がする。そんな嬉しさから、頬を緩めてしまう。
でも、リョータの服はちゃんと綺麗にしないとね。汚れを指差し、唱える。
「——クリーン」
彼の周囲のみに、魔力を纏った風が吹いて汚れを取り除いていく。あっという間に紅茶のシミは消え、彼の服は元の白い状態を取り戻した。
「おぉ、おお…っ!これが魔法か、初めて見たな!」
まるで幼な子のように目を輝かせている。
「……ほら、俺の服も綺麗になったしさ、気にしなくて良いよ。別に悪気があった訳じゃないだろ?」
「ですが…」
「あー、そうだな……。メイドさん、俺喉が渇いたから、また紅茶淹れてもらっても良いか?」
「……っ、はい!すぐお持ちします!」
暗かった表情を一変させ、リサちゃんはぱたぱたと部屋を出て行った。