第4話 穢れた血の一族
しばらく睨み合いをしていると、ブラックムーン・ベアがこちらに向けて一直線で走り出した。
(速い!これだと逃げてもすぐに追いつかれる…!)
どうするべきだ?これって一撃で倒さないとやられるやつだよな。ヒットアンドアウェイを繰り返すような技術は無いし、例えこの一撃を躱したとしても、ただの延命にしかならない。
段々と胸の動悸が速くなるのを感じる。
もうすぐそこまで来ている相手を前に瞬きをする。
そして次に瞼を開けると、リリーたち三人が同時に斬撃を与えていた。
顔面と肩、そして腹部を深く斬られて怒り狂ったのか、最後の力を振り絞ってこちらに飛び込んで来た。
「「勇者様…っ‼︎」」
あ、やばい、こういう時の対処法を知らない。
頬に汗が伝う。恐怖で手が震え続ける。だが——。
「俺にはアニメで得た知識があるんだよぉぉぉッ‼︎」
三人のお陰で相手の勢いは弱くなっている。これなら、躱しながら一撃入れるくらい簡単だ。
大きく三歩程度右に展開して攻撃を躱し、鋒で軽く前足を斬る。
「スタン…ッ‼︎」
勘違いでなければ、剣先が一瞬雷のようなものを纏っていたように見えた。
『スタン』これは、ステータスに書かれていたスキル。二秒間だけではあるが、恐らく相手を行動不能にするという効果があるはずだ。
「…すまんっ、後は頼んだ!」
俺が声を上げた頃にはスタンの効果は切れていたが、間髪入れずに三人にとどめを刺され、ブラックムーン・ベアは断末魔を上げて力尽きた。
全身から力が抜け、無様にも俺はぺたりと尻餅をつく。
「はは…助かった…」
助かったというのに、三人はどうして暗い表情をしているんだ?彼女たちは俺の前で横一列に並び、突然深く頭を下げ始めた。
「「申し訳ございません、勇者様」」
「えっ…と、何がだ…?」
嫌味ではなく、本当に何のことだか理解していない。それを説明してくれるのか、マリネが一歩前に出て跪いた。
「私たちのせいで勇者様を危険な目に遭わせてしまいました。どうか、処罰を」
「……いや、別にそんなの良いって。三人のお陰で、俺は修行が出来た。しかもスキルも使えたしな」
「ですが!ですが…私たちのような穢れた血の一族には、処罰をもって教育をするべきだと…」
そう言う彼女の声は震えているし、後ろのリリーやユキが怯えていることくらいは、俺にも痛い程伝わった。
それでも、自分たちは『奴隷だから』とこのような発言をするのだろう。それが、彼女たちにとっての『当たり前』なのだろう。
それにしても、『穢れた血』というのは……。
ふと、彼女たちの耳や尻尾に視線が向く。
(なるほど、そういうことなのか。これも、ラノベで何回も見てきた設定だ)
「……あー、あのさ、知っての通り俺は異世界から来た勇者なんだ。俺の知ってる限りは奴隷制度なんて無い世界でさ、そもそも獣人ってのは居ないし、居たとしても物語の中。それも最高に可愛くて人気のある種族なんだ。だから俺は三人を傷付けたくないし、そもそも血に穢れてるもクソもねぇよ。それぞれの価値は、そんなところで決められるもんじゃないだろ。だから…俺にとってお前たちは大切な存在なんだ」
自分で言っていて、なんだか恥ずかしくなってきた。耳とか頬とかがかなり熱いし、俺は何てことを口走ってんだ!日本じゃ全くモテなかったくせに!
無意識のうちに三人から目を逸らしてしまう。
(やっぱりもう帰りたい。帰って引きこもりになりたい…)
そんなことを考えていると、先程まで届いていたはずの光が何者かに遮られ、俺の身体に影を落とした。
「……ん?」
顔を上げると同時に、両頬と額に柔らかく温かい感触が伝わってきた。
「えっ、ちょっ…!」
急にキスって何ですか⁉︎こんな真っ昼間から何ですか⁉︎もしかして獣人の発情期ですか⁉︎俺で良ければいくらでもどうぞ⁉︎
永遠にも感じられるようなとても短いキスを終え、三人はそっと顔を離した。
「やはり嫌…でしたか?」
ユキが不安そうな表情を浮かべて問う。そんな表情を浮かべているのは、彼女だけではなくリリーやマリネも同じであった。
ゴクリと喉を鳴らし、答える。
「…と、とてつもなく最高でした…っ!」
(やばい…キスされて気絶するとか…ダサすぎるだろ俺……っ)
少しずつ視界がぼやけ、最後には暗くなった。
・ ・ ・ ・
「ねぇユキ、本当にこんなことをしても大丈夫なのかしら?」
「彼なら大丈夫だって。他の人間たちとは違うんだから。それに、マリネみたいな可愛い子なら勇者様も喜んでくれるよ」
「それにしても膝枕なんて……って、もう居ないし」
勇者様が気絶した後、私たちは彼を背負って川の近くまでやって来た。その目的は、今日ここでキャンプをする為だ。
ユキに言われ、今はそのテントの中で彼に膝枕をしているのだけれども…不快に思われないかしら。
『血に穢れてるもクソもねぇよ。それぞれの価値は、そんなところで決められるもんじゃないだろ』
そんな彼の言葉を思い出す。
(この世界にも、勇者様のような方が居れば良かったのに…)
幼い寝顔で眠る彼を眺めていると、不意に手がその頭に伸びていた。
細くて柔らかい髪…。この世界で黒い髪をしている人を見るのは初めてだわ。本当に私たちとは違う、遠い場所で生まれたのね。
「普段はとても凛々しいお顔をしているのに、寝顔はとても可愛らしいのですね」
頭を撫でる手が止まらなくなる。ずっと彼にお仕えすることが出来れば良いのに…。そんなことを考えていると、『ん…んー』と彼が声を漏らしながらゆっくりと目を開けた。
「お目覚めですか、勇者様。お身体の具合はどうですか?」
「ん…あぁ、おはよう、マリネ」
そうやって優しく名前を呼んでくれる。それだけでも、私たちにとってはとても嬉しいことだ。
「体調はすごい良いんだが……これは⁉︎」
ようやく自身の状態に気付かれたのか、彼は勢い良く起き上がった。その表情が示しているのは、間違いなく羞恥であると手に取るように分かった。
普通なら、私に対する嫌悪を抱くはずなのだが、やはり彼は他とは違うようだ。
「ただの膝枕ですよ。不快…でしたか…?」
答えは分かっているが、それでも何故か意地悪をしてしまう。申し訳なさそうな表情を見せ、問い掛ける。
「……っ、いや、そりゃあ嬉しいけど、恥ずかしいって言うか…。ただ、今まで使った枕の中では一番良かったと思う!どんな五つ星ホテルよりも良かったぞ!」
ほら、彼はとても嬉しい言葉をくれる。私はついつい、くすっと笑みを溢してしまうが、『冗談ですよ』と誤魔化した。
「ところで、イツツボシホテル…とはなんですか?」
「あぁ、この世界には無いのか。五つ星ホテルってのはだな——」