第20話 傷だらけの女
「——おい、出ろ。仕事だ」
鉄格子の向こうから声が聞こえ、私たちは大人しくそれに従う。
どうやら魔王城へ進軍するようだ。私やリリー、ユキの他にも獣人が十名程度。そして数人の兵士が集められた。奴隷の中に一人、手枷を着けられ、ほぼ全身を隠すかのように薄汚れた布を被せられた人が混じっている。唯一露出していた脚は傷だらけで、爪を剥がれたのか黒く血が滲んでいる。
(どうしてそこまでするのかしら…)
相変わらず、私たち奴隷に与えられるのは一本の剣のみ。人間の兵士様には、ほぼ全身を覆うような鎧が与えられている。
「リョータ様…っ」
愛しい名をふと口にしてしまう。彼のことを思い出しただけで、胸の中から気持ちが溢れ出そうになる。
(誰かを失うことが、こんなにも悲しいだなんて…!)
そんな私を励ますかのように、ユキが背中を優しく叩いてくれる。
「リリー、私たちで魔王を倒しましょう。そうしたら、リョータくんも少しは浮かばれるでしょ?そんな泣きそうな顔してたら、彼が心配しちゃうよ?」
「そうね…。リョータ様は優しいから、こんな顔してたら心配かけちゃうわよね…っ」
零れ落ちそうになる涙を、私は何度も何度も拭った。
「……な〜んか、魔王領に行くってのにこの比率。やっぱり私たちって捨て駒なんだなぁって実感させられるね」
人間の兵士が数名に対し、獣人の奴隷が十数名出撃させられているということにリリーが不満を漏らす。
「……仕方無いわよ。私たちの代わりはいくらでも作り出せるもの」
頭では分かっていることでも、実際に言葉にしてしまうと、やはり受け止めきれなくなる。
こんな私たちの会話を聞き、ユキが小さくため息を漏らした。
「私たちもそろそろ…させられるんだよね…」
「そう、でしょうね」
「好きでもない相手と子どもを作らされるんだよね…」
「…そうね」
「生まれた子も奴隷にさせられて、一生幸せを知らないまま死ぬんだろうね。…… キスだけでも、最初をリョータくんと出来ただけ私たちは『幸せ』、なのかな…?」
「……っ」
私は何も返せなかった。どんな言葉を使ったとしても、取り繕うことが出来そうになかった。私も、皆んなも、同じように絶望しているのだから。
こんなくだらない世界なら、もういっそ——。
隣で俯くリリーやユキは、今まで見たことが無い程に表情を曇らせる。そして、リリーは握り締めた拳を震わせながら、消えてしまいそうなか細い声で呟く。
「もうさ、闘わなくて良いんじゃない?」
彼女の言葉に一瞬耳を疑ってしまう。
「——私たちが魔王にやられたらさ、こんな辛いことも終わるんじゃないかな…っ。これ以上生き続ける意味も無いんじゃないかな…っ。リョータと一緒に…っ、私ももう…眠りたいよ…っ!」
大量の涙が肌を伝い、地面に落ちる。
「確かに、リリーの言う通りなのかもしれないね…」
「ちょっとユキ⁉︎あなたまで何を言っているの⁉︎」
私もリリーの言っていることが悪いとは思えない。正直、彼女と同じ気持ちを持っているのかもしれない。それでも——。
(リョータ様が、そんなことを望む訳ないのに…!)
心ではそう思っているはずなのに、どうしてか口には出せなかった。やっぱり、リリーの言っていることを否定したくないんだ。
俯いたまま進んでいると、私たちの前を歩いていた例の布を被せられた奴隷が、足を止めて振り返った。
「——ごめんね、こんなことしかしてあげられなくて…。今の私には、これが精一杯なの…」
透き通ったような、綺麗で優しい声だった。彼女はそっとリリーの顔に手を伸ばし、細い指で涙を拭った。
「ううん、ありがとう。元気出たよっ」
下手くそな笑みを浮かべて強がってみせるリリーを、彼女は強く抱き締めた。
「おい、何をしている!早く来い!」
「きゃっ…!」
前の兵士が、女性の首輪に繋がれた鎖をクイっと引っ張る。彼女は躓きそうになりながらも、再び私たちの前を歩き始めた。
「どうしてあの人だけ、拘束されてるのかな…。あれだと戦力にならないよね…?」
ユキが訝しげな表情を浮かべる。
・ ・ ・ ・
「ここに何かあるのか?」
「うん、大切な物がね。持って来るから待ってて」
「ああ」
リリスに『ちょっと来て欲しい場所があるんだ』と言われてやって来たのだが、そこは迷宮でも森でもなく、魔王城にある一室だった。それも、彼女の部屋の近くに位置する一室だ。
ほとんど生活感の無い部屋だが、ところどころに跡が見つけられた。机の上に飾られた紫の花や、小さな棚に並べられた数冊の本が目に入る。
元々誰かがここに居て、長い間留守にしているのではないかという考えが浮かぶが、それだとこの花の管理は誰がしているのだろうか。
(これって多分、新しい花だよな…?)
じっと眺めていると、クローゼットを漁り終えたリリスが戻った。
「その花はね、キランソウって言うんだ。可愛いでしょ」
「そうだな。……って、それを探しに来てたのか?」
「うん」
彼女は一本の剣を大事そうに抱えている。それくらい、いくらでもあるだろうに。この剣じゃないと闘えないって感じのタイプなのか?確かに、俺が向こうの王様から貰った物よりかは高そうな見た目だが…。
赤い柄は、リリスの瞳の色と同じにした特注品ということなのだろうか。刀身も細身だし、女の子にはその方が振り回しやすい、みたいな拘りがあるのかもしれない。
そんなことを予想していると、彼女はその剣を俺に差し出した。
「……あのさ、この剣…リョータに使ってほしいんだ」
「えっ、これってリリスの物じゃないのか?」
「ううん、これはお姉様の使っていた魔剣のひとつなんだ」
そうか、ここはリリスのお姉さんの部屋だったのか。多分、飾ってある花はリリスが用意したんだろう。
でも、今これを魔剣って言ったよな…?アニメとかゲームとかで出てくる何か強そうなヤツだよな?
「魔剣って、そんな凄そうなのを俺が使って良いのか⁉︎ほら、俺じゃなくても葉紀さんとか…!」
「ヨーキには武器は必要無いからさ。だからこれはリョータに使ってほしいんだ」
「そうか…。分かった、ありがたく使わせてもらうよ」
(何で葉紀さんには武器が必要無いんだ…?)
魔剣を受け取り部屋から出ようとした途端、リリスが俺の背中に抱きついてきた。
「…絶対に、僕の前から居なくならないでね」
「当たり前だ。約束する」
「うん…。僕とリョータの約束…」




