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第17話 魔王領の派閥

「はぁ…やっぱりここの風呂は落ち着くな…」


 今晩は薬湯の日らしく、湯がほんのりと緑に着色されている。

『疲労回復、神経痛、美肌の効果があるお湯ですので、癒されますよ』と葉紀さんが言っていたのを思い出す。


(魔法があるのに風呂に入るなんて、魔族もなかなか乙なことをするな)


 まるで日本で見てきた銭湯のように作り込まれた空間。水風呂やジェットバスなども用意されており、薬湯の日というのも決められている。それ程に、入浴という行為は魔族の娯楽になっているのだろう。葉紀さんの話によると、サウナもあるらしいからいつか行ってみよう。

 脚を伸ばし、壁を眺める。


「……何で富士山なんだ?」

「ここは私が提案して作られた場所ですからね。富士山の絵があった方が気分が上がりませんか?」


 当然のように葉紀さんが入って来る。俺もいちいち大袈裟に反応する程のウブな人間ではないので、落ち着いて対応する。


「……なっ、な、なななな何でまた混浴なんだ⁉︎リリスに言われたのか⁉︎」

「今日は、魔王様に言われてやって来た訳ではありません。日本人どうし、裸の付き合いも良いかと思って来ただけですよ」

「なるほど…」

(昨日の恥じらいは何処に行ったんだ?)

 

 彼女の方が一枚上手だったらしく、こちらの方が落ち着いて対応をされてしまった。

 とりあえず、肩が当たっているから一歩分距離を置こう。あ、また当たってるから距離を置こう。あれ、まだ当たってるから距離を置くか。んん…?まだ当たってるな。もっと離れるか。…もうちょっと離れた方が良いのか?あ、また肩が——。


「——何でそんなにくっ付くんだ⁉︎」


 浴槽の中を一周し終えた頃、俺は声を荒らげた。しかし、葉紀さんは何も理解していないのか、きょとんとするだけである。


「何でって…せっかくの裸の付き合いですよ。肩を隣り合わせて語らうこともあるでしょう。肩だけに」

「あー、そう…。じゃあもうそれで良いか」


 これ以上言い合っても何の意味も無いことに気付き、さっさと諦めることにした。

 リラックス出来るはずの風呂が、隣に全裸の女性が居るということを意識するだけで台無しになってしまう。


「ところで神乃さんは『ひねくれオーク』というアニメをご存知ですか?」

「あれは、アニメだけじゃなくて原作も全部攻略済みだ」

「流石は神乃さんです。タイミングの悪い召喚のせいで、あのアニメの最終回も見逃してしまったのですが、ネタバレをしていただいても?」


 生まれて初めてそんな台詞を異性から言われた。


「…アニメでは、結局誰ともくっ付かずに終わりましたよ」

「えっ⁉︎それでは、先輩からの告白も断ったのですか!」

「そういうことになるな」

「そうだったのですか…。何だか神乃さんと居ると、インターネットのネタバレ記事を読んでいる気分になりますね」

「それは葉紀さんが聞いてくるからだろ…」

「ふふっ、確かにその通りですね。お詫びに次は私が神乃さんの質問に答えましょう」


 本来ならば時間を掛けて悩むところなのだろうが、俺が彼女に聞きたいことは既に決まっていた。


「それじゃあひとつ。…今日、リリスを襲おうとした男は何者だったんだ?」

「……あれは旧魔王派の者——つまりは、現在の魔王がリリス様であることに反対している者ですね。旧魔王派は、人間との戦は総力戦で対応し、滅ぼすべきだと考えている者たちのことですが、魔王様はなるべく争いを避け、死者や怪我人を最低限にしようという思考の持ち主です。正反対な意見ですから、このように衝突することも多々あるのですよ」

「そうだったのか…」

(ちっぽけなことで悩んでいた俺とは規模が違うな…)

「正直、ここ魔王領は完全に平和であるとは言い切れません。魔王様は全ての民が平等に幸福で居られるようにと尽力されています。どうか、神乃さんはそれを側で支えてあげてください」

「…出来る限りのことはするよ」


 そう答えると、何故か葉紀さんはぽかんと口を開けてこちらを眺める。


「……てっきり断られるかと。その場合は私の胸でも触らせて協力させようと思っていたのですが…」


 彼女は視線を落とし、自分の胸にそっと手を添えた。

 なるほど、断っておいた方がおまけも付いてきて得が出来たのか。いや、結局協力することに変わりはないし……。

 気付かれないように水中でゆっくりと手を伸ばし、彼女の胸に触れる。流石に鷲掴みする勇気は無かったので、人差し指だけだ。それでも、程良い弾力は十分に感じられる。おお、低反発の枕みたいだ。


「ひゃっ…!」


 可愛らしい声を上げて反応されてしまい、俺は咄嗟に手を引いた。

 葉紀さんは両手で胸を隠し、こちらに背中を向ける。


「…こ、これは…魔王様には絶対に内緒ですからね…っ」

「あ、あぁ…」


 湯当たりしたのか、それとも他の理由なのか、振り向いて呟く彼女の頬は、ほんのりと薄紅色に染められていた。白く小さな背中と細い首筋、そして艶っぽい表情を目にした俺も、ゆっくりと彼女に背を向けた。


(俺には刺激が強すぎる…!)


 とにかくその場から逃げ出したくて、少し早いが湯船から出る。そして、理由は言わないが、前屈みになって脱衣所へと向かった。


「魔王様には内緒って言ってるんだから…別に何したって良かったのに…神乃さんの意気地なし…」


 ・ ・ ・ ・


「はぁ…。やらかしちゃったなぁ…」


 水を飲み、机に突っ伏す。


「正直お酒弱いのに、調子に乗って飲んじゃうから…。けど、今日はリョータのお祝いだったし…まさかあんなこと言うなんて思わなかったし…」


 酔っていた時のことは全て記憶している。こんな都合の悪いことだけ覚えてたって恥ずかしいだけなのに。『でもまだエッチなことは、めっなんだよー。僕はまだ初めてなんだからねぇ』という発言だけでも、完全に記憶から消してやりたい。


「キスも…しちゃったんだよね…?」

(ぎりぎり唇には当たってなかったと思うけど……するならもっとちゃんとしたかったな…)


 酔った勢いでしてしまったことに後悔する。唇どうしでしなかっただけ、不幸中の幸いだろうか。それだけは、酔った勢いじゃなくて、僕の意思でしたいな。……別に、リョータからしてくれても良いんだけどね。

 棚に立て掛けている彼の剣に目をやる。よく見かける量産型の物だ。

 これを使って僕を守ってくれたんだよね。


(あの時、魔王としてじゃなくて、一人の女の子として守られたような気がして嬉しかったな…)

「早くお風呂から戻って来ないかなぁ…」

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