第14話 彼女の鼻歌
微かな衣擦れの音が耳に入る。
目を覚ますと、そこには着替えを済ませたリリスの姿があった。
もう少し早くに目覚めることが出来ていれば、着替えを見てしまうところだった。危ない。
疲れが取れて全快した身体を起こし、彼女と目を合わせる。
「あっ、おはよう、リョータ」
「お、おはよう…」
(昨日の夜のことを思い出して顔が見れない…)
不意に顔を逸らしてしまったが、変に思われていないだろうか。
「……?それじゃ、僕はちょっと用事があるから出掛けてくるね」
「ん、あぁ…行ってらっしゃい」
「ふふっ、行ってきます」
何故かリリスは満足そうに出て行ってしまった。
それにしても、魔王の朝は早いんだなぁ。とりあえず俺も着替えるか。
着慣れた服に着替え、窓から外を眺める。
相変わらず活気のある街だが……今日はなんだか昨日よりも人が多いような…。朝市でもあるのか?
そんなことを考えていると、扉をノックする音が聞こえてヨーキさんが入って来た。
「おはようございます、神乃さん。慣れない環境だとは思いますが、ちゃんと眠れましたか?」
「あぁ、それはもうぐっすりと。今なら駅伝にでも出れそうなくらいだ」
あっ、ここで駅伝って言っても伝わらないか?と心配したが、くすりと笑ってくれたから恐らく伝わったのだろう。ここでも駅伝はあるのか?
「かなり元気があるようですね。それは良かったです。朝食をお持ちしましたので、お席についてください」
「朝っぱらから手間かけさせて悪いなぁ」
「これくらい、朝飯前ですよ」
「上手いこと言ったつもりかぁ…?」
「さぁ、どうでしょうね。気にせず席についてください」
「お、おぉ
」
言われた通り席につき、紅茶が注がれていくのを眺める。
(なんかオシャレだな…)
というか、ヨーキさん今日は何だかご機嫌だな。
鼻歌混じりに作業をする彼女の表情は、心無しか昨日よりも柔らかく感じられた。その鼻歌を聴いていると、何だか心が踊る感覚がする。
(あれ、この鼻歌何処かで……)
数年前の記憶なのか、うっすらとしか覚えていない。勘違いではないかと考えながらも、彼女の鼻歌を聴いていると、ふと頭に浮かんだものがあった。
「……たそラブ?」
ぼそりと呟くと、俺の前に皿を置こうとしていたヨーキさんの手が止まった。どうかしたのだろうかと気になって顔を上げると、彼女は口を大きく開けて目を輝かせているではないか。
「た……たそラブを知っているのですか⁉︎」
「そりゃあリアルタイムで観てたから…」
そうだ、ヨーキさんの鼻歌は、大人気ライトノベル『黄昏のラブコール』のアニメ二期エンディング曲だ。確か、中学生の頃にハマってずっと聴いていた記憶がある。
「あれ…、てかなんでヨーキさんが日本のアニメの曲を…?」
その解答は得られず、彼女は俺の両肩を掴んで勢い良く問う。
「最終回は⁉︎結局主人公はどのヒロインと付き合うことにしたのですか⁉︎」
「えっ…と、幼馴染の美咲が選ばれたけど…」
そう答えると、ヨーキさんはあからさまにがっかりとした表情を見せた。
「そうでしたか…。私はクラスメイトの恭子ちゃんを推していたのですが…。ネットの考察でも、ほとんどのサイトで『恭子ちゃんと付き合うんじゃないか』と書かれていたはずなのに…」
「確かに、あれは観ていた時驚いたな…。SNSでも検索数上位に入ってたし」
それで、恭子のファンたちはかなり怒ってたんだよなぁ…。今でもよく覚えている。
「……というか、ヨーキさんってもしかして地球の人なのか?」
「そうですよ?」
重要なことのはずなのに、さらっと返されてしまった。特に隠す素振りも見せなかったが、聞かれなかったから言わなかっただけで、聞かれたら答えていたというやつなのだろうか。
続けて彼女は衝撃的な事実を口にする。
「私は大体五年前くらいにここに召喚された勇者ですから」
「……へっ?」
「当時大学生だった私は、突然この世界に召喚されました。神乃さんと同じく、魔王を討伐する為の勇者としてですね。ちなみに名前は、雪音葉紀です」
次々と情報が増え、思考が追いつかなくなる。
それを平然と語る葉紀さんだが、勇者である彼女はどうしてここに居るのだろうか?俺と同じ理由なのではないか、と心の何処かで期待している自分が嫌になる。
「……それなら、葉紀さんはどうしてここ…魔王領に?」
「私には相手の感情が、何となくですが分かるスキルがあります。それで向こうの国王の言動に胡散臭さを感じていたのです。それから情報を集め、人間ではなく魔族とともに過ごそうと判断しました」
彼女はそう言って再び朝食の準備を始める。
「そうだったのか…。ちなみに葉紀さんは何処の国の人なんだ?」
「私は日本人ですよ。ただ、母がイギリス人なので、見た目はかなりそっちに寄ってますね」
「ふぅん。まさかこんなところで同郷の人に会えるとはな」
「私も『たそラブ』の結末が知れて良かったです。ちょうど最終回が放送される直前に召喚されましたから」
「それは災難だったな…」
話をするついでに、出されたトーストを齧る。
やっぱり美味いな。小麦の香りと、じっとりと染み込んだバターの香りが食欲を刺激してくる。
「……昨日の神乃さんからは、迷いのような感情が見られましたが、どうやらいくらか解決したようですね」
「ま、まぁな。ところでリリスは朝食は食べたのか?」
「いえ、今日は予定がありますからね。食べずに出られました」
「今日は何があるんだ?」
「今日は、この魔王領の建国記念日なのですよ。良ければ神乃さんも、外の様子を見て来てください。とても楽しいですよ」
・ ・ ・ ・
建国記念日はリリスが魔王の姿で街に出るらしい。だから朝からこんなにも人が多いのか。葉紀さんに言われて外に出たものの、これだと身動きが取りづらいな。
何処か人の少ないところへ行こうと脇道に逸れると、観衆たちが声を上げ始めた。
『おおおおお!魔王様が来たぞー!』
『こっちを向いてくれー!』
『魔王様万歳!』
声に釣られて視線を寄越すと、そこでは指輪で姿を変えた……初めて会った時の姿をしたリリスが、人々に向けて笑みを見せながら手を振っていた。
昨日は恐怖を抱いていたはずの姿だが、何故だか今日はそれが美しく見えた。それと同時に、彼女は自分とは違う立場の遠い存在なのだと実感し、胸が痛くなる。
(リリスは市民に慕われるほどの立派な魔王様で……。それで、俺は…俺は、いったい何者なんだ…)