降臨 (1)
油断した。
野営しているところをゴブリンの群れに囲まれるというこの危機的状況に陥った原因を突き詰めて、端的にまとめるとそうとしか言いようがない。カイはそう思っていた。
キリルの都 リオキリル近辺で起きた巨大地震を伴う異変による、北方からの避難民でごった返すエレーニアの王都 テナンへ続く南に向かう大街道を避け、それを横切るように走る、同じ王国領土、王都の東の果てにあるキーロス辺境伯領内最大の町 ニコへ向かう裏街道を選んで、ここまで旅してきた 10 日間。
異変に関する情報が思うように集まらなかったこと以外は、日に日に寒くなってくるこの時期に、魔物どころか、雨に祟られることもなく、順調に目指していた辺境伯領内に入り、ニコまであと半日もかからないところまでたどり着いていた。
夜を徹して歩けば、明日の日が高くならないうちにニコに入れたに違いないのだが、無理をせず、野営することにしたことは、ここまで順調であったことから生じた油断が選択させ、その結果、今の危機的状況を招いた。それが結果論と言われようが、悔やみきれるものではなかった。
夜目の利くセロが木の上から確認できただけで十数匹。最低、その倍はいると思った方がいいだろう。しかも、これだけの数のゴブリンが連携して襲ってきているとなると、上位種のゴブリンが最低一匹はいるに違いない群れ。
対するこちらは、剣術を心得えた自分と、魔術師であるアインと法術師のルーナ、エルフの魔法戦士 ファム、そして弓、ナイフ、軽いものなら剣も使える斥候のセロの 5 人。
本来、ある程度の経験を積んだ冒険者五人であれば、これくらいの数のゴブリンの群れを突破することなど容易とは言わないが、難しいことではないだろう。しかし、村を出てまだ十日も経たない、経験と言えば、村周辺に現れた数も少ない、危険度も知れている魔獣退治くらいしか経験のない、ギルドにも登録していない只人とエルフの寄せ集めで、初めて経験する集団戦闘。しかも、夜の森でのこととなれば、一つ間違えば命に関わる危機だ。
幸い北側は崖のようになっており、登られて上から襲われないよう、息を潜めてセロが目を光らせている。南側は小川というほど、狭くはない小さな川。囲まれているとは言っても、街道に戻る東側への一点突破でいい。あとは東側にいる戦力の把握さえできれば、タイミングを見計らって全員で仕掛ける。殲滅する必要はない。街道まで逃げ切れれば、上手くすれば助けを求められるし、さほど脚も速くはないゴブリンを迎撃しながら撤退するだけなら、この戦力でも容易とは言わないが、絶望的でないことも確かだ。
ファムがたき火の残り火を消すのが合図。その直前に、セロ以上に夜目が利くファムが指さした方向に、レイ・ボウ(光の矢)を放つ。その光の矢を追って、カイが、ファムが走る。ルーナは、西側に向かって、目くらましついでのホーリー・ライト(聖光)を光らせ、アインとともにその後を追う。セロはその西側から来る戦力を警戒、牽制しつつ、しんがりを務める…と言うのが、アインが立案し、説いた作戦だ。
誰も異論は唱えなかった。唱える経験もなければ知識もない。何より一番年上で経験もあるファムが、それをしなかったのだ。アイン以外の三人も、そのことでこれでいいのだと納得できた。
誰一人、犠牲は出さない。村を出る前に誓ったこと。ましてや相手はゴブリン。捕らえられれば、殺されるばかりか、繁殖の苗床に使われるかもしれない女性であるファムやルーナは、絶対に守り切る。弱々しいたき火を、屈んで背中合わせで囲みつつ、陣形を取り、息を潜めている時間の中で、その決意を何度もカイは自分の中で確認し、その思いをさらに強くしていった。
息を飲む音が耳に触る。剣を握る手に汗が滲む。遠くからはゴブリンどもの、何を言っているのかもわからない声が聞こえてくる。そのどれもが、待つことしかできない夜のとばりの中で、不快に緊張感を高めていく…
「過度の緊張は、どんな状況下でも害悪でしかない」
そんな講釈を魔法学院で受けたアインも、それを適度に抑える術は教えてはくれなかった……と、記憶を手繰ったところで、薪の火が消えた。