バレたら終わる俺の人生
私は今、某進学塾の講師をしている。
元々は会社勤めをしていたが、数年前に一念発起して20年以上勤めていた会社を退職して、50歳手前で時間講師ではあるが塾の講師として小中学生に勉強を教えている。
会社勤めの時は営業担当で、泥臭い人間関係も多々あったが、塾講師となった今は生徒の保護者との関わりは時に面倒な事もあるが、生徒達自身はとても私に懐いてくれて、私もそんな生徒達が可愛かった。
私が今担当している中学2年生のクラスには男女合わせて10名の生徒がいて、自分で言うのもなんだがクラスの雰囲気はすごく良いと私は思っている。
中学2年生は思春期真っただ中で、勉強の相談以外にも、プライベートな話も生徒達は色々私にしてくれる。家庭の話、恋の話など、50手前のおっさんである私からすればまだまだ子供の恋愛ごっこのような話だが、生徒本人たちは真面目に私に話してくれるし、私もジェネレーションギャップは確実にあるだろうが、出来るだけ生徒達の目線で話を合わせるようにしていた。
私の教え子に、岩下瑠奈という中学2年生の生徒がいる。普段から明るくニコニコ笑う女の子で、私とは先生ではなく友人として接するような少しませた娘だ。私も彼女の明るさから元気をもらえる、そんな可愛い教え子だった。
ーーー
会社勤めを辞めてから朝の通勤電車に乗る事は無くなっていたが、この日は所用が有りたまたま通勤ラッシュ時間帯の電車に乗っていた。私が降りる目的地少し手前の駅で、ホームにうずくまっている制服姿の女の子が見えた。
その娘が着ていたのは高校生の制服とはちょっと違い、私が良くみると塾がある地元の公立中学校の制服だった。公立中学校に通う学生ならばこんな時間にこんな場所にいるのはおかしいと私は思った。
私はまだ時間があったので電車を降りてその女の子を見に行くと、それは何と岩下だった。
「岩下。お前こんなところで何してるんだ?」
「あれ、先生。先生が何でこんな所にいるの?」
「それは俺のセリフだよ。学校はどうしたんだよ?」
「えっとね、今日は学校の課外授業の日で、うちの学校の2年生はみんな、今日は1日外で勉強なんだ」
それで岩下はこんなところに居たという訳だ。しかし移動中、電車があまりに混雑しているので気分が悪くなってこの駅でうずくまってしまったそうだ。
「なあ、駅員さん呼んでこようか?」
「ううん大丈夫、先生。早く行って、みんなに追いつかなきゃ」
「だけどお前、まだ顔が真っ青だぞ。それじゃ無理だって。今日は諦めて、引き返して家に帰りなさい」
「本当に大丈夫だから、行く場所ってもうこの近くだし。電車乗るのも後ちょっとだから」
そう言って岩下は立ち上がろうとするが、よろよろしていて危なっかしくて見ていられなかった。
「岩下、お前がそうしたいのは分かるけど、やっぱり無理だって」
「ありがとう先生、心配してくれて。でも、今日はどうしても行きたいの、楽しみにしてたから」
俺にはなぜ岩下が課外授業を楽しみにしていたのかはよく分からなかったが、とりあえずはもう少し話を聞いてみると、岩下の言う通り目的地はここからそう遠くはなかった。
「なあ、岩下。電車はやめた方が良い。お前が行こうとしている場所ならそう遠くは無いから、先生が車で送ってやるよ」
「でも、先生だって電車乗ってたんだから、車なんて無いじゃん」
「ははは、今はカーシェアって便利なのがあるんだ。世の中凄いよな」
岩下はカーシェアの意味はよく分かっていなかったが、私はとりあえずその場で近くの駐車場で借りられる車があるか調べると、ちょうど1台空きが見つかったので、すぐにスマホから予約を済ませる。
「岩下。車見つかったから、先生と一緒に駅の外に出よう」
「えー、本当に車見つかったの。すごいじゃん、先生」
私がすごい訳ではなかったが、とりあえず岩下に褒められたようで少し照れ笑いをした。
その後すぐに改札を出て、車がある駐車場へ向かった。歩きながら外の空気を吸った岩下は少し気分が良くなってきたようで、矢継ぎ早に俺へ話しかけて来る。
「ねえねえ先生、今日はどこ行こうとしてたの?」
「私前回の塾の授業の宿題、もう終わったよ!すごいでしょ」
「先生って、免許もってたんだ。すごいね」
岩下の質問には差し障りなく答え、褒めるところは褒めてあげた。駅から数分歩くと、パーキングに着いて、借りる車の窓ガラスに私が持っているカードをかざすと車のドアが解錠する。
「すごーい。カードで車の鍵が開いちゃうんだ」
岩下は、どうやら「すごい」が口癖らしい。
岩下に目的地の住所を聞いて、カーナビに入力してから車を出発させる。目的地までは恐らく20分もかからずに到着するだろうと、岩下には話してある。
私は車を走らせ、岩下は助手席に座って、自分の携帯電話を操作している。普段の学校には携帯電話の持ち込みは不可だが、今日は課外授業と言う事で、通信手段として携帯を持ってきても良いらしかった。
岩下はショートメッセージで学校の担任やクラスメイトに、途中で気分が悪くなり休んでいるが、回復したらすぐに向かうので心配しないでください、と送っていた。
車は順調に走っていたが、岩下の様子がにわかにおかしくなる。
「せ、せんせい。ゴメン、車停めてもらえるかな」
「ど、どうした。岩下?」
「ちょっとまた・・・気持ち悪くなっちゃったみたい」
今度は車酔いの様だった。私はすぐに停められそうな場所を見つけて、車を一時停車させる。
「すまん、岩下。俺の運転が荒かったか?」
「ううん、違うの、先生。私、車も実は酔いやすくて・・・」
(って、それを先に言わんかい!)
と私は心の中で岩下を突っ込むが、ただ私が良かれと思ってやった事が裏目に出たらしい。
私は岩下を休ませる為、車を少しの時間停められそうな場所を探すと、近くに人気が無さそうでちょっとした林道のような脇道があるのを見つけた。
私はちょっと我慢してくれな、と岩下に言いながら車を運転して、その場所へ移動して車を停めてエンジンを切った。
「すまなかったな、岩下。先生が余計な事しちゃって。ゴメンな」
「ううん、先生が謝らないで。私が車酔いするって言わなかったのが悪いんだから。先生は悪く無いよ」
何か生徒に諭されているようで、そんな自分が恥ずかしいというか少し惨めな気持ちになってしまう。
「とりあえず、背もたれを倒して少し横になりなさい。その間私は車の外で待っているから」
私が車のドアを開けて外に出ようとすると、岩下の手が私を服を掴んで外へ行くのを制止する。
私は岩下に突然服を掴まれて、思わずドキッとしてしまう。
「先生、行かないで。一緒にいて欲しいです」
「で、でも。そうはいかないだろ。車の中で、狭い空間の中で男女が、先生と教え子が一緒にいるのは良くないだろ」
「そうだよね。だけど、先生と一緒にいたいんです。良いですか?」
岩下は曇りなき眼で、俺の目をじっと見ている。俺からは、岩下の目が潤んでいるようにも思えてしまった。俺は悩む、悩みに悩んだが岩下の言う通りにした。
「わかったよ。じゃあ岩下の気分が良くなるまで運転席にいるから、ゆっくり休みなさい」
そう言って私がふーっと一息つくと、岩下が静かに、ゆっくりと私に話しかけて来る。
「ねえ、先生って結婚しているんですか?結婚指輪して無いし」
「先生、彼女とかっているの?」
私は塾講師の立場として、プライベートな事は一切教えられないので沈黙を守っていると、岩下はまた一言付け加えた。
「先生って鈍感そうだから、結婚もしてないし彼女もいなさそうだよね」
岩下が話しながら微笑するが、俺はショックだった。なぜ中2の女子に俺はそんな事を言われるんだ、しかも岩下が言う通り、俺は超鈍感でそのおかげで今までいくつもの恋愛を不意にしてきた悲しい過去を持つ私。
「な、なんで俺が鈍感なんだ?」
「ほら、先生。全然わかってないじゃん。女の子の気持ち」
そう言うと岩下はまた微笑む。それは塾で見せる、いつもの明るい笑顔とは違った優しい微笑みだった。
「先生って、本当に鈍感だよね」
「そんな事ないと思うけど」
俺はちょっとムッとして答える。すると岩下がさらに畳みかけて来る。
「じゃあ私、先生が鈍感かどうか試してみてもいいですか?」
「えっ?」
俺がそう言いかけると、突然岩下に襟首を掴まれて助手席側へ引っ張られると同時に、俺の唇に柔らかい感触がした。
(えっ、え?岩下が俺にキスしてる?)
岩下は唇を離すと、悪戯に微笑んで俺の顔を覗き込む。
「先生、わかった?」
俺は困惑してしまう。確かに今、岩下からキスをされた。しかしそれは、塾の先生としては非常にマズイ事なのである。教え子と個人的な関係を持ったとなれば、私は一発アウトなのだ。
そんな困惑してあたふたしている私を尻目に、岩下は目を閉じて待っている。鈍感な私でも明らかにわかる、今度は岩下が俺からのキス待ちをしているのだ。俺は大いに困惑する、人生でこれほどの修羅場は生まれて初めてかもしれなかった。
俺はどう対処して良いか全く分からずオロオロしていると、岩下が閉じていた目を開けて俺を叱責するように言う。
「先生の意気地なし!」
意気地無しって言われたって、俺の立場ではどうしようも無いんだよ、岩下!と俺は心で泣いていた。
「先生、もう一度言うけど鈍感ですよね。先生は私の事どう思っていますか?」
私は岩下の質問に何も答える事が出来なかった。というより、あまりに突然の事で思考が追いついていなかった。すると岩下は助手席の座席から突然上半身を起こして俺と向き合う。
「先生!しっかりしなさいよ!先生も男でしょ!」
俺は泣きたくなる、何で30も年の離れた教え子に、俺はそんな事言われなきゃならないんだ。岩下なんて、ハッキリ言って俺の娘みたいなもんだぞ。でもそれを言ったら、岩下は俺の事を鈍感どころかもっとひどく罵るに違いなかった。
「い、岩下の事は、俺も可愛いと思ってる。でも、お前は俺の教え子なんだ。そうだろ?」
「だから?」
「だ、だから・・・」
「はっきりしないなあ、もう。私が好きか嫌いかで言ったらどっちなのよ?」
岩下はそう言うと俺を睨み付ける。俺は本当に泣きたくなってきたが、もちろん岩下の事を嫌いなんて事は無いので、無難に答えようとして俺は言った。
「き、嫌いじゃ・・・ないよ」
その瞬間、岩下は俺の襟首を掴んで座席から引きずり下ろすと、そのまま俺にキスをする。先程のような軽いキスではなく、今度は舌を絡ませて強くキスをしてくる。俺もさすがにビックリして最初は抵抗したが、その抵抗も虚しく、岩下は強引に俺の唇を強く吸った。
「い、岩下・・・」
「先生、キスしちゃったね。もう後戻り出来ないよ」
俺は頭の中が真っ白になってしまった。正直、教え子とのこんなシーンを妄想する事はあったとしても、まさか現実にそれが起きたとなると話は別で、色々な事が俺の頭の中をよぎる。中学生とキスしてしまった事。教え子に手を出してしまい、もう先生ではいられない、クビになってしまうという恐怖。
「い、岩下。ど、どうするつもりなんだ」
「先生?どうするも何も、私は先生と一緒にいたいんだよ」
「でも、それは・・・」
「もう!先生のバカ!鈍感クソ教師!そんなんだから、先生は結婚も出来ないし彼女もいないんだから!」
俺はもう涙目になってしまう。何で俺は岩下からこんなボロクソに言われなきゃならないんだ。今まで真面目に塾で生徒に教えてきたはずなのに、授業はちゃんとやっていたので教えている生徒の評判もまあまあ良かったと自負してたのに・・・俺はこれからどうすれば良いんだ、一体。
「確かに、俺は鈍感だけど。それでも岩下の言い様はひどいじゃないか。俺はちゃんと真面目に先生してたし、ちゃんとみんなに勉強を教えてきたから、生徒たちも俺の事を尊敬はしてくれてないかもだけど、俺の授業は好きだって言ってくれる生徒もいたんだぞ」
「あーーもうっ。先生のバカバカバカ!それが超鈍感って言ってるの!」
「えっ、どういう事だよそれ?訳が分からないんだけど、俺」
「だから、先生は私達に優しく分かりやすく授業を教えてくれるし、先生面白いから、先生の事好きな子も多いの。でも、先生の事を異性として好きって生徒も、小中学生の中にはいるって事なの!」
俺は岩下の発言に、衝撃を受ける。俺は塾で小4~中3までの文系科目を教えていて教え子は沢山いるが、まさかそんな話があるなんて俺には到底信じられなかった。しかも小学生なんて、まだ子供だろうに恋愛も何もありえないと私は思っている。
「そんなの、子供の恋愛じゃないか。単なる大人への憧れだよ。いつか本当の恋が分かるはずだから岩下も冷静になりなさい!」
俺は岩下を諭して話を止めようとする。
「それに、俺なんてもうおっさんだぞ。お前たちとは30は年が離れているんだぞ。そんなのお前らの恋愛対象にはならないだろ。塾には大学生のアルバイト講師だっているんだから、恋愛ならそういう若い先生の方に行くべきじゃないのか?」
俺は岩下にそう言って、なだめようとするが岩下は止まらない。
「先生だって私を子供扱いするくせに、自分だっておっさんだ、年が離れているだの大学生の先生がどうとかって、そんなの言い訳じゃないですか!」
「岩下、頼むから落ち着いてくれ。お前は中学生だぞ、まだ子供なんだ」
そう俺に言われると、岩下は泣き出してしまう。俺は岩下を泣かせるつもりは無かったのでオロオロしてしまう。岩下は泣きじゃくりながら、独り言のように話し続ける。
「だって、塾で同じクラスの小林だって、先生がいつも楽しそうに塾で話している澤村、それに亀山も先生の事好きかも知れないでしょ?」
そんな岩下が言っているのを聞いて、俺はつい岩下を愛おしく感じてしまった。まだ子供ではあるが、岩下なりに俺の事を本気で好きな気持ちがあるんだなぁと分かるからだった。
俺はふと、岩下が名前を挙げた教え子たちを思い浮かべてみたが、他の子たちには申し訳無いが俺の中ではひいき目に見ても岩下が一番可愛いと思っていたし、まだ子供だと本人には言ったが、岩下は中2女子にしては発育も良く、見た目も高校3年生と言っても違和感はないかもしれないくらい大人に近い雰囲気はあった。
俺はそんな岩下がやはり心の中では前から気になっていたのか、つい岩下に言ってしまう。
「あのな、岩下。俺はお前が一番可愛いって思ってるよ。冗談とかじゃなく、本気で」
「ホント、先生。お世辞でも嬉しい!」
先ほどの涙がウソのように、私にそう言われて破顔一笑する岩下。そんな岩下の七変化を見ていて、私は段々岩下の事が愛らしく思えてしまう。そんな俺の心を見透かされたように、岩下が俺に言う。
「でも、先生の言ってる事ってどうも一貫性が無いんだよね。今のも、私がこの場に居るからそう言ってるけど、違うところでは他の子にも可愛いってどうせ言ってるんでしょ?」
岩下は、少し意地悪な風に、俺を責めるように聞いてくる。私は本当にそう思っているので、岩下に自信を持って答える。
「い、いや・・・その。実は俺が本当に一番可愛いって思って見ていたのは、岩下だったんだ」
俺は中2の女の子に、何を真面目に答えてるんだと恥ずかしく思いながら、それでも真剣に岩下に答えた。
「先生、私も先生が一番だよ!」
俺と岩下はそう言うと、再びキスをした。俺はもう岩下の事は生徒としてではなく女性として好きになりかけしまっていた。
しかし、それ以上はもうダメである。もうこの時点で私のキャリアは既にアウトになっているのだが、それでもやはり大人としての責任というか一線は越えてはいけないという理性はまだあり、この場は引くことにする。
「岩下の気持ちは、先生良く分かったから。気分も良くなっただろ?今日はこのまま課外授業へ行きなさい、これから先生が近場まで送っていくから。いいね?」
岩下はまだ不服そうな顔をするが、私は岩下の目を真面目に見返し、岩下がちゃんと課外授業に参加するまでは全体に譲らないという表情で言うと、岩下も不承不承俺の話をようやく聞いてくれる。
「わかった、じゃあ送っていってよ」
「もちろんだ、行くぞ」
そう言って俺は車のエンジンをかけて、再び走り出す。順調に進み、あっという間と思えるくらいの速さで目的地に到着した。岩下が降りられそうな場所を探して、道端に車を停める。
「じゃあな、岩下。課外授業頑張れよ!」
「ありがとう、先生」
岩下が車を降りてドアを閉めた後、私は助手席の窓を開けて外で小さく手を振る岩下に言った。では私も帰りますかと車を出発させようとしたその時、岩下が大きな声で俺に叫ぶように言った。
「先生、大好き!」
私はドギマギしてしまう。こんな人の往来が多い場所で何てことを言うんだ、岩下は。中学生の制服を着た女子が、車の中の中年男性に向かってそんな事叫ばれたら、周りで見ている人は俺をどんな目で見るものか・・・
俺はさっさと車を走らせ、逃げるようにその場をさった。俺は、さてこれから自分の用事を済まさないとなと思いながら、車を走らせる。
(続く)