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ルカ視点になります


「おやすみなさいませ」


 夜の挨拶を告げて、彼女は身を翻した。

 隣の部屋に戻る小さな背中を見守ることしかできなかった。

 その姿は白い兎を思わせた。


 扉の閉められた音が立てば、俺の意識が戻った。

 いつの間にか椅子から立った。気が付かないほどに、俺は驚いている。戦場ではないとはいえ、警戒心を忘れたことが情けなく感じる。

 重い気分になり、再び椅子に腰を下ろした。額に手を置き、深いため息を吐いた。


(戦場ではないのに、まさか、ここまで緊張するとは)


 俺の人生のほとんどは戦場の中で過ごした。幼い頃から父に連れられ、慣れていたからだ。それでも、始まる前の緊張感や高揚感なども未だに感じている。それはありがたいことだと心から思っている。


 どうやら今日は視野が狭くなるほど緊張しているようだ。

 国にとって、大事な方を迎えないといけないからだ。

 倒れた椅子を見て、先ほどまであそこに座っていた女性のことを思い出す。


 アクイラ殿下の護衛任務で出会った女性、シエラ・アルブル。

 柔らかい銀色の髪と、リュゼラナの青に酷似している瞳の持ち主。

 その背は同年代よりは小さく、初めて会った時は未成年だと思わせるほど顔も背も幼さを残している。「妖精姫」という呼び名に相応しい容姿だった。


 出会った時のことは今でも鮮明に覚えている。

 他国で俺がどういう風に呼ばれているのかは知っている。だから、あの時、彼女が震えていたのは仕方のないことだと分かっている。むしろ、彼女が哀れだとすら思った。


 だからなのか、震えと共に見せられた彼女の笑顔に釘付けになった。

 あれは美しいものでもあり、歪なものでもあった。華奢な見た目に反して彼女の気高さを漂わせる、そんなちぐはぐな笑顔だった。

 だが同時に、どこかで危うさも感じた。


 美しいガラス細工のような女性だった。誤って触れれば、すぐ壊れそうな存在に見えた。


 今日の彼女を見て、その感覚が強まった。

 そして、俺は決心した。

 黒い手袋に包まれた己の手に視線を落とす。


 あれは、俺みたいなものが触ってはいけない存在だ。同盟の証とも呼べる彼女の存在を、ロートネジュ家の血で壊してはいけない。

 賓客として大切に扱わないと、俺は心に誓った。


 そう思った矢先に。


(先ほどのあれは……あれは、「怒り」だ)


 吊り上がった青い瞳に、何かを耐えるように噛まれている唇。赤くなった顔と一緒に上げられた左手。

 どうみても「怒り」を表す変化だ。

 キラキラと輝いている青色の目は俺の意識を掴んだ。

 そのせいで、身動きが一瞬遅くなった。


 俺は、彼女を怒らせるつもりはなかった。

 そう思い、再び深いため息を吐いた。


 子供に関して、父を亡くした時から決めたことだった。そもそも、結婚をするつもりは全くなかった。今回の結婚だって、できれば断りたかった。だが、状況は状況であり、頷く以外の選択肢が残されなかった。

 おそらく、あの国王の思惑も含まれているだろう。あの男ならありえることだ。


 自分でもあまり触れられたくない過去を彼女にどう伝えればいいのかを結婚が決まってからずっと考えていた。

 俺は言葉が足りない上に、喋れば余計なことをよく吐き出してしまう。ソフィだけではなく、幼馴染であるゼベランの国王と騎士団長にも「お前は口を開けない方がいいと思うぞ」とお墨付きほどに。

 だから、できるだけ彼女の心を傷つけないように、要点だけ伝えて、気にしないように言葉を探した。


 世継ぎが必要なのも、必要としていないのも、国と己の都合だから。

 彼女には関係のないことだ。


 だが、結局俺は彼女を怒らせてしまった。


 己の部屋と彼女の部屋を繋ぐ扉に視線を送った。

 怒らせたことに対して、謝りたい。だが、何で怒ったのかが分からないまま謝るのはどこか違うと感じる。

 一瞬の悩みは生死に結びつくため、戦いの中なら直感を信じて躊躇ったりしないのに。しかし、人間関係になると、打つべき一手が分からなくなった。


 知らないのなら、聞けばいい。いつもならそうだ。

 だが、俺の直感が今、それを違うと告げている。


 無意識に足を扉の前まで運んだ。ノックするか否かと悩んでいる時に、扉の向こうから気配を感じる。


 そして、嗚咽も耳に入った。


 俺は息を呑んだ。

 手に力を入れようとしたが。


「ファルク様」


 聞こえてきた彼女の弱々しい声は俺の動きを止めた。

 同時に結婚式で、彼女と交わした短いやり取りが頭によぎった。


『私は、好きですよ』


 そう告げた彼女の横顔があまりにも儚い。

 あの面差しに見覚えがある。大事なものを守るために命すら捨てる覚悟を決めた人の表情だった。


 脆くありながら、強かな存在。

 彼女の矛盾は今でも俺の胸に巣食っている。


 そんな彼女にかける言葉が見つからず、口を閉じることしかできなかった。


 思えば、あの時の彼女の視線の先は一体どこに、誰に向けられていたのか。

 その言葉は、何に、誰に向けられたのか。

 リュゼラナに向けられたと、俺は思った。


(もしかすると)


 呆然と手から力が抜けた。

 扉の前に立ち尽くして、混乱で目を震わせた。


 彼女の泣き声が俺の体を凍らせた。

 俺は彼女の押し殺された泣き声が消えるまで扉の前に立つことしかできなかった。


 夜が深まるにつれて、彼女の声も徐々に弱まった。そして、いつの間にか完全に消え去った。

 静寂が俺の心を騒ぎ立てる。彼女のことが心配になり、躊躇いながら静かに扉を開けた。


 扉の向こうには床の上に丸まって眠っている小柄の女性がいた。それを見て、胸が罪悪感で痛み出す。

 彼女の隣に膝を突き、彼女の目蓋に垂れている前髪を人差し指でそっとずらした。

 月明かりで照らされた彼女の顔があまりにも痛々しい。目周りに赤みが差し、涙の痕も残っている。


 寒いからなのか、彼女は肩を震わせ、体をより丸めた。

 見渡してみると、彼女の部屋の暖炉には火がついていないと気付いた時に俺は焦った。

 彼女に手を伸ばせば、視界に黒い手袋に包まれた自分の手が見える。僅かに躊躇いを感じながらも丁寧に彼女を横抱きする。

 長旅のせいなのか、先ほど泣き疲れているからなのか、それともその二つが積み重なったからなのか。無反応な彼女に安心した際には再び実感した。


(やはり、軽い)


 先ほども思ったが、彼女はあまりにも軽かった。その軽さは俺の心に芽生え始めた罪悪感を重くさせた。

 だが、今は身勝手な罪悪感に支配されるわけにはいかない。フルメニア生まれの彼女にとって、ゼベランの冬は寒すぎる。このままほっておくと、風邪を引いてしまう。

 彼女の顔から視線を逸らしながら、できるだけ注意深く彼女をベッドの上に下ろす。

 彼女に毛皮のブランケットをかけようとしたら、それが目に入った。


 ぐちゃぐちゃな青い花だ。

 彼女はそれを胸の前でぐっと強く握りしめている。


 戦いが始まる前によく見かけた行動だ。戦友たちが、己にとって大切なものを強く握りしめる姿が浮かんだ。

 国の、同僚の、そして何よりも自分自身の武運を祈っている姿だ。

 彼らが俺にそう教えてくれた。


 ボロボロな花弁を見て俺は安堵で胸を撫で下ろした。

 そんな資格、俺にはないと分かっていながら。

 それでも、少なくともその花が彼女の心の支えになれたらいいなと願っているのも本心だ。


 ベッドの端に座り、ブランケットの中に包まっている彼女の寝顔を見つめる。

 月の光に照らされなかったあれは儚さを潜める。そのせいなのか、俺の目にはより幼く映る。

 軽くなった胸の奥が再び重くなり始めた。


 もし、彼女が本当にファルク王子殿下のことを慕っているのなら。


(明日から彼女とどう顔を合わせればいいんだ)


 ゼベランにとって大事な方だ。

 フルメニア国の「妖精姫」。

 フルメニアだけではなく、ゼベランにとっても象徴的な存在。

 彼女に危害が及んでいたら両国の関係が悪化する可能性すらある。この屋敷は安全といえど、距離を取り、彼女を無防備にするわけにはいかない。


 彼女を守る。これだけは譲れない。


 だから、彼女の隣にいることをどうか許して欲しい。


 それを彼女にどう伝えればいいのか。


「ん……」


 頭を抱えながら悩んでいると、彼女が小さな呻き声を上げながらより体を丸めた。

 この部屋の暖炉には火がついていないと思い出し、慌てながらベッドから離れた。


 できるだけ音を立てずに火をつけた後、彼女の隣に戻った。

 居心地よさそうに寝ている彼女を見て一安心した。

 これ以上ここに長居するのが申し訳なく感じて、自分の部屋に戻った。


 自室で悩みに悩んだ挙句、答えがでないまま朝鍛錬の合図である鶏の鳴き声が聞こえた。


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