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ルカ視点です


 口が鉄の味まみれだ。心臓から流れる魔力が暴力的で喉が詰まる。

 「治せ、治せ、治せ」と本能が訴えている。

 呑み込まれてはいけない。理性が警鐘を鳴らす。だが、抗う体力なんてどこにもなかった。指一本、体を動かせない。

 その時、胸の近くから温もりが広がる。その暖かさは心臓を包み込む。

 熱と痛みが僅かに軽くなり、俺は再び目を閉じる。





 全身が痛い。周りが寒くて暗い。背中が何かに押しつぶされている。

 唯一心地よいのは、胸辺りに感じた温もりだけだった。


 その窮屈さから逃れたくて、腕に力を入れた。思っていたより、あっさりと解放された。

 周りを見渡せば、雪、雪、雪。真っ白に覆われた風景で、俺は今どこにいるのかわからなくなった。


 場所だけではない。

 何故ここにいるのかも、出自も、名前も。全部思い出せなかった。

 いや、思い出せないというよりは記憶に靄がかかっている。その表現の方が合ってるかもしれない。


 何も覚えてないが、ここから離れないといけない。

 そう思い、鋭い痛みに蝕まれながらも、重い足を動かした。


 そこから、俺はひたすら歩いた。

 唯一の手掛かりは凍った小さな川だけだった。

 食事は雪の隙間から生えた雑草、水分は雪から摂った。不思議なことに、絶望など全く感じなかった。もし、このまま死ぬのなら、俺の運命はそこまでだ。それだけの話。

 ただ、少しずつ弱くなった温もりに、僅かな寂しさを感じる。


 運が俺の味方をしてくれたのか、遠くに煙が見えた。同時に、体から力が全部抜けて、意識を手放した。

 次、目を開けた時、俺はベッドの上で眠っている。

 どうやら、村の人が倒れた俺を見つけたらしい。その上で、看病もしてくれた。彼に感謝の言葉を告げると、少しだけ瞠目したが、それ以上の反応を示さなかった。

 俺を救ってくれたのは一人の老人の男だった。髪は灰色で、目は鮮明な赤だ。その赤を見ると、理由もなく胸が痛みだした。


 老人はあまり語らず、無口で俺を世話してくれた。俺も口下手だったため、これくらいは丁度いいと感じた。


「手伝わせてくれ」

「……お前が?」


 お礼としてせめてのこと、家のことを手伝わせて欲しいと提案すると、彼は口を開けながら愕然としたみたい。少しだけ考え、それを了承してくれた。ただ、外に出ることだけが禁じられた。理由を聞いても教えてくれなかった。恩人を問い詰めるほどのことではないと思い、深く追求せず頷いた。


 そうすれば、記憶の靄が徐々に晴れる。

 ゼベラン、ルナード、フルメニア。周辺の国名が浮かんできた。

 そこから徐々に見えてきた。

 老人の目の色の理由も、まだぼんやりしていたが俺があそこに倒れた理由も。


 だが、これからどこに向かえばいいのかがわからない。


 体を動かしても痛みを感じない頃合い、老人が初めて俺を外に連れて行ってくれた。目の色を隠すことを条件にして、俺は彼と一緒に家の外に出た。


 村は決して豊かな場所ではなかった。それだけではなく、所々壊れているようにも見える。

 それでも、村の人達は冬の寒さに負けず、それを直そうとテキパキと動き回っている。

 その姿を見て、頬が緩んだ。自然と、笑顔になった。


「ゼベランの妖精姫が追加物資を送ってくれたって? 何で? 私たちに無関係なんでしょう?」

「ああ、なんか俺たちの村の被害が一番酷かったからってな。まあ、ルナード軍に燃やされそうになったしな」

「……ふん」


 妖精姫。その呼び名は俺の耳に響く。

 思い出そうとしたが、どうやらその記憶が一番深く靄に隠されていた。

 それがもどかしくて、切なかった。




「南に行きたい」

「……何故?」

「……わからない。ただ、あそこに大切なものがある気がする」


 太陽が傾き始めた頃、何故か心が南に惹かれた。

 「ゼベランの妖精姫」という言葉はその気持ちを強くさせた。

 老人にそのことを素直に告げると、何故か彼は納得したかのように頷いた。

 家の奥に行き、包みを俺に渡した。その中には剣、着替えや僅かな食料などが入っている。

 そして、青いリボン、——リュゼラナ色のリボンもあそこにあった。


「お前を拾った時に、持ち物と服を全部燃やした。金属類は適当な所に埋めた。見られると不味いからな。あのリボンだけを残した。倒れた時に、お前はそれを強く握ったからな」


 そのリボンを手に取って、強く握りしめた。

 そこから、魔力の気配はもう感じられなかった。あんなに暖かかったのに、あの魔力はもう感じられなくて、とても残念だ。


「……ご老人は何故、俺を助けたのか?」


 思いだせた情報と老人の言葉で、何となく推測を立てた。

 ここはルナード国であり、俺はゼベラン側の人間である。戦争でゼベランがルナードに勝ったため、彼が俺を憎むのなら、それが自然の摂理だ。

 その上、過去の記憶が鮮明に脳裏に浮かんだ。

 俺は、彼らにとっての仇であるはずだ。


「……お前だけだ。俺らのことを「スリガル」とかいう名で呼んでいないのが。ルナード軍もゼベラン軍の奴らも全員、俺らをのけ者にした。だけど、お前だけが俺らを「ルナードの民」と呼んだ」


 「昔は大嫌いだったよ。殺したいほどに」と老人は嘲笑を浮かべながら顔を背けた。


「出るなら真夜中にしてくれ。そして、ゼベランの王都を目指せ。おそらく、お前が探しているものをはあそこにあるだろう」


 彼は俺の二の腕を軽く叩き、少しだけ微笑んだ。


 それを見て、何故か心を縛る鎖が外れた気がした。




 その日から、俺はひたすら歩いた。

 ルナードの最南端の村から、ひたすら南へ。ゼベランの王都を目指して。

 途中で魔獣を討伐し、そのお金で馬車を借りたかったが、何故か馬が暴れ出した。

 どんな馬車でも同じことが起きたため、どうやら原因が俺にあるらしい。


 だから、馬車を諦めた。

 魔獣を討伐し、そのお金を使い宿に泊まる。それができなければ野宿する。

 この生活自体は、あまり悪くない。時折、昔の懐かしい想い出に浸りながら、俺は歩いた。


 旅の途中、色んな噂を耳にした。

 国の英雄が行方不明で、今でもまだ見つかっていないらしい。


 王都に近づければ近づくほど、記憶が明瞭になる。

 王都付近まで辿り着くと、記憶を覆う靄がほぼ全部消えた。

 俺が誰なのか、俺の体にどんな血が流れているのか、俺の罪、俺の使命、家族、全部。

 それを取り戻して、ようやく自分自身が「ルカ・ロートネジュ」であることを自覚した。

 そして、今生き延びたことは天文的な確率の奇跡であることも。同時に、自分の体がどれくらい危うくなったことも。



 王都を遠くから見れば、町はリュゼラナ色に染められた。

 この風景を見て、ようやく帰ったと実感した。足運びが少しだけ早くなった気がする。

 ただただ、嬉しかった。この旅を経て、実感できた。

 活気を取り戻したゼベランを見て、再確認できた。あの時取った選択は間違っていないと、ちゃんと守れた、と。


 だけど、一つだけ、小さな欠片が欠けている。

 記憶がないのに、感情だけが強く残っている。その噛み合わない様子が非常に心地悪かった。

 そうなる度に、俺はリュゼラナ色のリボンを見つめる。そうすれば、心が僅かに穏やかになる。


 そして、理由もない確信も抱いた。

 あの場所に行けば、答えを見出すことができる。

 そう思いながら、俺は王族とロートネジュ家にしか伝わってない隠し通路を使い、王都に入った。

 ここで堂々と正門から入ると、大騒ぎになりそうだから、それだけは避けたい。

 まあ、この通路を通れば、おそらくヴィルトに察知されたと思うが。


 城下町を通り抜けると、俺が生まれ育った小さな屋敷が見えた。

 早く、早く。早く、彼女の様子を確認したい。

 気が付けば、早歩きどころか、俺は全力で走った。


 見慣れた風景、嗅ぎ慣れた香り。


「止まれ。ここはロートネジュ家の屋敷だ。お前は何者だ」


 この屋敷を守ってくれた衛兵はいつも通り優秀で、とても誇らしい。

 深く被ったフードを降ろすと、彼らは驚愕した。大声を出さないようにと頼むと、彼らは唖然としながら頷いてくれた。


 家の皆に無事を伝えたい気持ちもあったが、今は優先したいことがある。申し訳ないと思いながら、俺は温室に向かう。


「……閣下?」

「カレン」


 温室の扉の前にカレンが待機している。それを見て、俺は確信した。

 温室の中に、俺が切望している答えがある。


 幽霊を目撃したかのように、カレンは目を大きくしながら俺に近づいた。普段、活発な彼女には見られない表情で、少し新鮮だった。


「え、ほ、本当に、閣下? 本物?」

「ああ」

「う、うそ、ゆ、幽霊とか、じゃありません、よね? 半透明じゃ、ないですよね?」


 彼女は俺の体を叩き、そして己の頬をつねる。

 やりすぎたからなのか、彼女の目に涙が浮かんだ。


「やだ、うそ、うそ……! 早く、早く奥様に……!」

「……俺が行く」

「っ! はい! わ、私は、私は家の皆にお知らせます!」


 屋敷に向かうカレンの背中を見送り、俺は慣れた手付きで温室の扉を開く。

 覚えている風景と少し違うが、丁寧に手入れされている。咲いている花の種類やその位置など、記憶とは所々違いがあったが、全く気にならなかった。


 懐かしい記憶がちゃんと残っているから。

 親と一緒に訪れた時のこと。ソフィやヴィルトとここで遊んだこと。母の植物講義を聞かされたこと。


 そして、ここで彼女と幾度となく過ごした時間も。


 歩み進めると、一人の女性の後ろ姿が見える。

 銀髪の、リュゼラナ色のドレスを着ている女性だ。

 春の日差しに照らされた彼女の横顔は、とても清らかで美しかった。


 その姿を確認すると、胸の中の感情が複雑に絡み合う。


 俺は、いつも彼女を我慢させてしまったから。

 初夜の時も、全員ではないとはいえ、一部の国民が彼女に向けた悪意も、最後の出陣も。今だっていつ死んでもおかしくない体でありながら、自分の我が儘を叶えるために彼女に会いに来た。

 彼女にとって、俺は害に過ぎないのだろう。


 懐かしさもあり、罪悪感もある。会いたい気持ちもあり、それに対する恐れもある。

それでも、俺は足を止めなかった。


(だが、確認だけ。確認だけをさせてくれ)


 その後、彼女が望めばもう二度と彼女の前に姿を見せたりはしない。


「ニコル?」


 そして、彼女は振り向いた。

 彼女の青色の瞳は俺の姿を映した。


 最後の一欠けらが、心の隙間にぴったりと嵌った音がした。




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