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 今でもまだ鮮明に脳裏に刻まれている。

 あれはゼベランが白銀の世界になった頃合いだった。


 あの日、お気に入りの妖精の柄が施された花瓶を落として割ってしまった。思い返せば、あれはある種の虫の知らせだったかもしれない。


 その時、ゼベラン全土が熱に浮かれただろう。

 無理もない、三年半も続いた戦争がゼベラン側の勝利に終わったと知らされたばかりの頃合いだった。

 城下町に行けば、慎ましく生活している冬らしくないほどに人々は飲んでは食べて、騒いでいる。


 確かに、とても喜ばしいことだ。戦場は北部に止まったとしても、いつ何が起きてもおかしくないのは戦争なんだから。上辺では活気を取り戻したように見えても、皆は見知らぬ恐怖を抱えながら生きているのだろう。

 歓喜の中で、私は何とも言えない感情を抱えたまま、とある一報を待っている。

 戦争の最中に送られてもおかしくない一報を聞くために、今まで心の準備をしていた。


 日が傾いた頃、アベル様が屋敷を訪れた。

 時が来た、内心そう思った。

 応接室は重い空気で押しつぶされそうになった。私の胸にまで、それが伝染した。

 覚悟はしていたにも関わらず、心臓が破裂しそうになるほど鼓動を刻んだ。


 そして、アベル様の口から旦那様の詳細が語られた。

 最後の最後に、旦那様は大規模の魔法を発動しているルナード王から皆を守るために竜化した。

 ワイバーンだけではなく、竜の血族である旦那様にすら致命傷を与えるルナードが独自に開発した毒を用いて、戦場の一面に爆発させ、ばら撒くような、そんな術式だった。

 魔法を阻止することが出来たが、旦那様の行方が煙と共に消え去ったということ。


 亡骸が見つからなかった。

 辺りをまんべんなく捜索したが、結果が芳しくなかった。

 近くに深い地割れがあったが、急な天候変動に調査が不可能になった。調査できるとしても、雪解けまで待たないといけない、ということだ。

 そのことを踏まえて、ヴィルト様と話し合いを経て、旦那様を戦死としてではなく、行方不明と報道するつもりだ。


 でも、アベル様の表情が全部物語っていた。話している最中、如何にも苦しそうな顔で説明してくれた。

 アベル様に感謝し、見送った後、私は流れるように温室に行った。

 この席に座り、ここからロートネジュ夫人として何をしなければいけないのかを考えた。

 ライヤの正式な爵位継承、北部への復興支援、王族やフルメニアに出さないといけない手紙。こうやって理性が静かに次々とやるべきことを提示してくれた。


 私は泣かなかった。あの日、泣かないと決めたから。


(思うとあの時、自分が驚くほど冷静だったなぁ……)


 私は日々自分自身を忙しくさせた。あまり深く感情に飲み込まれないように。もとからやらないといけないことはあまり多くないため、新しいことを探すにはとても苦労した。


「でも、兄上はもう……」


 ライヤの小さな声が私を過去の回想から呼び覚ました。

 途中で言葉を切り、彼は顔を俯かせる。


「いつか戻ってくれたら、いいな」


 この子は、本当に優しい子だ。

 それがほぼ不可能だと一番理解しているのが彼自身だろうに。

 だからなのか、希望の代わりに、淡い願望めいことたを口にした。


「そう、ね」


 春の日差しを浴びながら、内心ライヤに感謝を告げた。

 今日も、穏やかな日になりそうだ。




* : * : *




 最近、時間の流れが早く感じる。

 気が付けば数日も経ち、私は二十一歳の誕生日を迎えた。


 誕生日だとしても、私はいつも通りに過ごす。

 お気に入りの青いドレスを着て、髪に蜂蜜色のリボンを結んだ。

 家の皆から贈り物とお祝いの言葉を貰った。そして、ニコルに「せめて、今日くらいゆっくり休んでください」と言われた。

 これだけで充分だと、心からそう思う。


 いつもよりも手紙が沢山届いた。

 フルメニアやゼベランの王族やアベル様、縁がある孤児院たち。そして、その中に実家であるアルブル家からの手紙もあった。

 その内容を読み、どうしても一人になりたかった。

 だから、温室の中に入り、カレンを外に待機させた。


 少しだけ奥の方に歩き、姉が書いた手紙をもう一度読み返した。

 その中に書かれていたのはそこまで複雑なものではなかった。

 二十一歳の誕生日、おめでとう。ゼベランで上手く過ごしているのか。春になっても、やはりゼベランは寒いから、体調に気を付けるように。

 アルブル家の近況、弟の成長や姉の研究の進み具合など。大変なこともありながらめでたいこともある。そんなありふれた、暖かいものだった。


 そして、いつものように「いつでもフルメニアに、私たちの家に帰ってもいいよ。お父様とお母様もそう言っている。ユリウスとメアリだって会いたがっているよ」と書いてあった。


 戦争が終わり、同盟などの意味が薄まっているのだろうか。王子を産んだアクイラ様だけでもう充分成り立つものになったからなのか。ゼベランにはフルメニアに対する不信を抱いている人も今でも少なからず存在していることに対する心配なのか。

 それとも、それと全く関係なく、未亡人のような立場になった私に気を遣っているからなのか。

 家族のことを考えると、おそらく最後の二つのうちの一つなんだろう。そう思うと、ため息を吐きたくなった。


 気持ちは、とても嬉しい。

 だけど、手紙で何回もそのつもりはないという意思表示はした。それでも、お姉様がこうやって私のことを心配している。昔のことであまり信用されてないのは自業自得だけど、やはり少しだけ寂しさを感じる。

 こうなると、お姉様が信じるまで本心を綴るしかないな。


 ふと、視界に青い花が映った。

 甘い香りを漂わせる、百合と隣り合っているリュゼラナだ。旦那様の代わりに、私が育てたリュゼラナだ。


 身を屈めて、その香りを肺に沁みるまで吸い込んだ。

 不思議なことに、嫌な気持ちにならなかった。昔は、あんなに大嫌いだったのになぁ。見るだけで過去の嫌な記憶が蘇ったはずなのに。

 今なら、そうではない。


 ファルク様はこの青が好きだったな。実家の庭にも沢山咲いているな。そこで昔姉と隠れん坊をして、中々見つけられないから泣きだしたこともあったな。

 フルメニアにとっては国の象徴、ゼベランにとっては希望の象徴。

 そして、リュゼラナを見つめる旦那様の目はとても優しかった。


 それを自覚すると、人間は変われると実感できる。


 再び、お姉様の手紙を読み続ける。

 結びに「遠くから貴女の幸せを祈っているわ」と綴られた。


(私の幸せ……本当に、お姉様って心配性ね)


 大丈夫なのに。確かに、寂しい、悲しい気持ちもあるけれど、貰ったのはそれだけではないのだから。

 花瓶の花を見る度に寂しさを感じるとしても。

 そして、私は一人ではない。

 ニコルやハンナ、ソフィやカレン。そして、今はライヤもいる。

 変わったものがあるとしても、大切なものはちゃんと残っているから。


 たとえ、大好きな彼がもう二度と戻らないとしても。

 正直、あの日からは針を飲み込むような痛みを抱えながら生活をしている。

 でも、家の皆のおかげで、挫けずに前に進もうとした。

 ある程度覚悟もしたからなのか、少しずつ、少しずつ。でも、確実に。

 私はその痛みとうまく付き合いながら、こうして人生を歩む。


 だから「再婚」という言葉は一度も考えたことはなかった。そして、彼に向ける気持ちも変えたくない。彼を、過去の人にしたくない。

 あの時と違って、私は諦める必要はないのだもの。だから、変わらないことを選んだ。

 例え、それが私を苦しませても。いつか、その苦しみでさえ愛しいと思える日々が訪れるように考え方を変えようと思う。

 今は、時折胸がまだ痛むけど、その痛みよりも大切なものをちゃんと受け取ったんだ。

 そして、ちゃんと全部丸ごと大切に胸の中に抱きしめる。


 その気持ちが膨らみ、早く彼女に信用されるように真心をこめて手紙を送りたい。

 そのために、手紙を飾るための花を探そうとしたら、後ろから扉が開かれた音がした。


(ん? 誰だろう? ニコルかしら)


 家の人に一人になりたいと言ったけど、緊急事態ではそうはいかない。

 外からは騒がしさが全くなく、おそらく危険なものではないだろう。

 それなら、早めに対応した方がいいだろう。


「ニコル?」


 そう思って、私は後ろに振り向いた。




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