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ルカ視点です

※少し加筆しました


 部屋がリュゼラナに埋め尽くされている。

 この時期では普通まだ咲いていないはずのリュゼラナがこんなに沢山集められた。

 国民にとって、今日という日にはどういう意味があるのか、この花の量を見ればわかる。国内からだけではなく、フルメニアからでも早咲きのリュゼラナが大量に輸入され、こうやってここに飾られている。


 青に包まれた部屋の中に、俺は正装を纏い、一人で立ち尽くしている。

 既に魔力を失った栞を眺めながら、彼女のことを思い出す。


 俺たちの関係は仮初そのものだ。結婚はしているが、夫婦ではない。

 何故なら、俺たちは想い合っていないからだ。

 そんな俺たちだが、同盟のために結婚式を挙げなければいけない。思えば、責任感のある彼女がこの日を成功させるためにあの提案をしてから半年もたったのか。時の流れというのは、本当に早いものだ。


 本来、俺は彼女に指一本触れる資格なんてなかった。

 罪なき血で塗れているこの手で、国の賓客である彼女に触れるにはあまりにも相応しくない。

 それだけではなく、俺の存在自体は彼女を傷つける。あの日のことの詳細をカレンから聞いた時に絶望に似た気持ちが湧いた。まさか俺を理由に、騎士団の掃除婦が彼女にあんな無礼を働いたとは。

 彼女にその件について謝罪を述べたが、彼女は首を傾げながら「何故旦那様が謝るんですか? 旦那様のせいではないですよ?」と答えられた時に自分の情けなさで落ち込んだ。


 だが、俺は彼女に触れた。彼女を傷つけ、彼女に想い人がいるにも関わらず、だ。


 この間、ファルク殿下がゼベランに訪れた。友好関係のための来訪と言いながら、フルメニアからの物資や、ゼベランの戦力を見極めるためにも兼ねているだろう。

 何故か、そのことを彼女に伝えるには深く葛藤した。だが、あの日二人が偶然出会った時、運命かもしれないと、内心一人で納得した。

 そんな二人がまたいつ会えるかどうかわからないと思い、その機会を作った。そして、彼女はそれを承諾した。


 彼女と殿下が並んでいる姿を見て、俺は確信した。

 おそらく、彼女の心の中に、ファルク殿下がいる。遠くからでも見える程、彼女はあんなに顔を赤らめたのだから。


 これ以上、彼女の近くに居てはいけない。理性はこう叫んだ。

 それなのに、俺はいつの間にか卑怯な人間に墜ちてしまった。


 結婚式がまだ控えているから。結婚式を成功させないといけないから。

 理由を並べて、触れた。嫌がらず、素直に受け止めた彼女の態度を見て、行動に火が付いた。

 まだ彼女に触れていいんだ。まだ彼女の隣にいてもいいんだ。安心と共に、更に試したくなった。


 そして、結婚式の日が近づくに連れて、胸の中の痛みが強くなる一方。

 それを和らげるために、大きなため息を吐くことしかできなかった。


「おいおい、新郎がそんなに大きなため息を吐くって大丈夫か? いや、厳密にいうともう新郎ではないか」

「……アベル」


 ノックもなしに遠慮なく入る人は二人しかいない。

 アベルだろうな。そう思って当たったが――。


「そうだね、ルカはこんなため息も吐くんだ? 今日初めて知った」


 まさか、もう一人も一緒にいるとは。


「陛下まで……何故ここに?」

「つれないね。今日は幼馴染の晴れ舞台だから、応援しに来たに決まってるよ」


 アベルの後ろから、この国の王であるヴィルト・ゼベラニカが現れた。

 彼は飄々と近くにある椅子に腰をかけ、満面な笑みを浮かべる。


 どうせアベルの発案で、公務から逃げるためにそれに乗ったのだろう。

 呆れながら彼を睨んだが、それに全く気にせずそのまま話しだした。


「で? 何があった?」


 笑みを顔に貼り付けるヴィルトはこちらを見つめている。

 こうなると、彼は相手が口を割らないまで追求を止めない。素直に諦めて、早めに解放された方がいいと経験から学んだ。


 手元にある栞に視線を落とす。彼女のために選んだ花が巡り巡って再び俺の手に戻ったことに不思議と感じる。


「結婚式が終わったら、彼女にどう接すればいいのかわからない」

「はっ?」

「ん?」


 周りの声を無視し、今までの経緯を軽く説明した。

 書類上結婚しているとはいえ、夫婦ではないこと。

 今の関係はあくまでも結婚式を成功させるための期間限定のものであること。


 説明が終わると、一番最初に声を上げたのはアベルだった。それも、とても大きくて深いため息で。


「お前……真面目なのが分かっているが、本当に「結婚式まで」と思ってるのか?」

「どういうこと?」

「いや、ほら、過ごしているうちにお互いに惹かれて、そんで……ああ、もう! なんで俺がこんなことを説明しないといけないのかよ!!」


 「あんなに惚気けた上に見せつけられたのに、なんだよこいつは……」とアベルはブツブツと文句を垂れ流している。

 だが、彼女が俺に惹かれるなど、か。


「それはない」

「はっきり言うね……根拠とかあるのか?」


 根拠は、ある。だが、理由はわからないが言うべきかどうかは迷う。

 胸の中に何かが引っ掛かる。肉体的な痛覚と違うそれは、繰り返して深呼吸しても消えてくれなかった。


「おそらく、彼女はファルク殿下を慕っている」


 言うと、彼女の秘密を暴露したような気分になった。

 重しのような鈍い痛みがさらに強度を増した。


(おそらくファルク殿下も……)


 彼を護衛した日々を思い出した。

 ファルク殿下は異様に彼女のことを気にかけている。

 彼女は元気なのか、馴染んでいるのか。妹のような存在だから心配だ、などなど。一度答えれば問いが二つ増える勢いだった。


 そして、城下町で彼を案内する時は最も強く感じた。彼女の好みを語る時の彼の笑顔や横顔。

 それはおそらく、家族に向けるには、少し違う色をしていると感じた。


「まあ、確かに二人は元婚約者だから、その可能性は捨てきれないけど……」

「いや、おそらく確かだ」

「いやいや、お前……それを本気で言ってる?」


 アベルの問いに頷くと、彼は渋い物を飲み込んでいるような顔をした。そして、何故か残念な生き物を目の前にした時の目で俺を見ている。

 少し考え込んだあと、ヴィルトはアベルと視線で会話している。彼が俺に指差すと、アベルの顔の皺が深まった。


 ヴィルトがため息を吐きながら立つと、場の雰囲気が一変した。


「貴公が悩んでいるのが分かっているが、この結婚式を終わらせないといけない」


 先ほどの親しさのある声が温度のない物に代わり、この部屋を支配する。

 俺だけではなく、アベルも姿勢を正した。


「伝説の血筋を持つ二人が結ばれるとは、もはやおとぎ話のようなものだ。だからこそ、この結婚式はゼベランの国民に夢と希望を与えるものだ。そんな空想なものに縋るのは好まないがな」


 好青年は影の中に潜み、彼は王の佇まいで言葉を続ける。


「貴公はいい意味でも悪い意味でも堅物だ。すぐに結婚式を挙げたら噂が破綻するだろう。それを見込んで、フルメニアが提示した条件を呑んだ。詳細聞き出せないままにな」

「……心得ております」


 フルメニアが提示した条件は、結婚式をゼベランの建国記念日で行うことだ。ゼベラン側からすると、その日宮殿の一部が一般公開されるために、同時に行うことで費用を削減にもなる。だから、概ね悪い話ではないんだ。

 だが、フルメニアの思惑は今でもかわからない。思えば、あの条件を提示したのは第二王子であるファルク殿下のはずだ。


「去年のはぐれワイバーンの件も、国民のフルメニアに対する不信も、どちらも北と関係あるものだ。裏から得た情報からすると向こうがいつ動くのかおかしくない。こちらの準備も整ったが、それでも警戒を怠るな。いいな?」

「「はっ!」」


 そうだ、これは個人的な問題ではなく、国が絡んでいる問題だ。

 自分の悩みに頭を抱えるべきではない。陛下のお言葉のおかげで、再び気を引き締めることができた。


 俺たちの返事に満足したのか、陛下はヴィルトに戻った。

 外に待機した人が機会を窺ったのか、扉にノックの音がする。


「もう、戻らないといけないか。行こう、アベル」

「はい、はい」


 扉に向かう二人の幼馴染の背中を見送ると、急にヴィルトが振り向いた。


「時に、ルカ。先程、シエラ嬢がお前に惹かれるのはありえない。そう言ったよね?」

「ああ」

「じゃあ、その逆は?」

「逆?」

「そう、逆。お前はシエラ嬢に惹かれた。そんなこと、考えたことはないか?」


 その質問に、思考が真っ白になった。言葉通り、真っ白だ。


「あはは! 如何にも考えたことがない表情だね!」


 ヴィルトが大きく声を上げながら笑ってるが、今はそれに構う余裕がない。

 俺が、彼女に? 触れることすら許されてないはずの彼女に?

 そんなことは……。


「あー笑った笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだ……そんな笑いを提供してくれたルカに、お節介を一つしようか」


 床を見つめ、ヴィルトの言葉に耳を傾ける。そうするしかできなかった。


「人の心って、変わりたくないと思えば変わらないし、変わろうと思えば変われるものだよ。じゃあ、シエラ嬢はどっちなのかな?」


 それを言い残し、ヴィルトは部屋から出ていった。

 まだあそこにいるアベルがまた大きく息を吐いた。


「おい、ルカ。ちゃんと奥さんのことを観察してみろ。それでお前の悩みに答えが出ると思う」


 アベルは手をひらひらと振りながら退室した。

 一人になった部屋は異様に静かで、不気味だった。


(俺が、彼女のことが……?)


 そんな馬鹿な。

 ありえない、抱いてはいけない感情だ。まして、彼女になら尚更だ。


 言葉になりそうな感情を振り払うために、何回か首を横に振った。


 目を開けると、その先に栞がある。

 その栞にガーベラの押し花が飾られている。それに似ている彼女の顔が連想された。


 その笑顔が、もっと見たい。

 それを想像するだけで、胸が暖かくなる。





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