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 ゼベランの冬は骨に染みるほど寒かった。

 そのせいなのか、皆は私が出かけるのをあまりよく思ってない。だから、今年の冬は大半家の中で過ごした。

 だけど、ようやくそれが終わりを迎える。


 冬の名残の隙間からスノードロップが顔を覗かせる。気温も暖かくなり、小鳥のさえずりが所々聞こえるようになったこの季節。


 冬が眠り、春が目覚める日。それはゼベランの建国記念日だ。

 そして、私と旦那様の結婚式の日でもある。


 私は今、宮殿のとある一室にいて、その準備をしている。

 露出の少ないシンプルな白いドレスを身に纏い、リュゼラナで作れらた花冠を被る。ブーケはリュゼラナを中心に、色とりどりの野花が施されている。

 フルメニアの花嫁姿とそんなに大差なかった。


「シエラ、とても綺麗よ」

「ありがとう、お姉様。……お姉様、泣いてるの?」


 手紙から家族が参列してくれることは前から知っている。でも、まさか式の前に姉が一人でこっそりと私に会いに来たとは。

 姉の行動には驚いたが、こうやって元気な姉の姿を目にできて素直に嬉しい。

 文通は続けているとはいえ、やはり直接会えるのは一味違うものだ。




 ファルク様と別れた日から、早くも四ヶ月がたった。

 旦那様が家に帰れるようになり、生活がいつも通りに戻った。

 朝食の後彼を見送り、晩食の後時々二人で過ごす。

 その繰り返しの四ヶ月だった。


 変化といえば、一つあった気がする。

 旦那様が無言になり、私の髪かリボンを指で弄るようになった。時々だったそれが、今は頻繁に変わった。

 そうされる度に居たたまれない気持ちになった。その行為がもどかしくて、口の奥がムズムズしてしまう。


 だけど、彼に構われると思うと喜んでいる自分もいる。

 恥ずかしいけど、嫌ではない。矛盾している気持ちで板挟みになって、私は彼の行為を甘んじて受け入れた。

 一度、その甘い拷問に耐えられず「何でですか」と可愛くない口調で理由を聞いた。それに対して、彼は「なんでもない」とだけ返事して、再び私の髪を弄る。


 そのやり取りも含めて、愛しく感じる。

 暖かくて、綿に包まれるような心地よさ。それを享受しているから、私の決心が固まった。


 この想いを墓場まで持って行こう。


 あの日、ファルク様と言葉を交わしたおかげでわかった。いや、確認が取れたというべきかもしれない。

 この塊はちゃんと私の胸の中に存在している。

 だからこそ、言ってはいけないのだ。


 自覚したあの日、予感がした。これは不毛な恋であることを。

 旦那様は愛国心の強い人だ。彼の優先順位の一番上とそれ以降は「国」である。

 そして、そんな彼だからこそ惹かれたと自覚している。


 報われない可能性が大きいとわかった上に告げる強さなんて、私にはなかった。

 嫌われるならまだいい。私が距離を取ればいい話だ。距離を取りながら、彼を支える方法を探せばいいという話だ。

 だけど、愛国心の強さと同じくらいに、彼は優しい人だ。

 この気持ちを明かした結果、彼に負担を背負わせるかもしれない。それを想像するだけで、喉が苦しくなる。


 そう決心して、今日という日を迎えた。


「シエラ、本当に大丈夫? 帰りたいとか思ったりしない? 私と一緒にフルメニアに帰ろう?」

「もう、手紙でも書いたでしょう? 大丈夫だよ。そんなことはしないし、できないよ……」


 一度、参加を表明する方々の名簿を見たことがあった。

 フルメニアとゼベランの重鎮はもちろんだが、ルナードの王弟などのような各国の貴族や王族も参列する。

 民だけではなく、この結婚式は周辺国から注目されるとわかった時に、しっかりしないといけないと自分を鼓舞した。


「……シエラの大丈夫、一番信用できないから」

「お姉様……」


 先ほどまで私の頭を撫でる手を止めて、お姉様は自分の腕に手を添えた。


「昔もそう。あの家庭教師が異様に貴女を厳しく指導した上に裏で悪口まで言いふらして……もし、お父様に気付かれなかったら、貴女はそのまま我慢するつもりだよね?」

「……」

「あいつの婚約者になった時もそう。色んな人にあれやこれや言われて、笑顔が段々とぎこちなくなって……それを一人で我慢して裏庭で泣いているのを、知ってるからね。……私も原因の一つだから、慰めにいけないのがすごく腹立たしい」


 まさか、知られているとは、全く気付かなかった。上手く隠せたと信じていたのに、事実はそうではなかった。


「お姉様……殿下に対して「あいつ」はどうかと思う」

「あんな優柔不断な男には「あいつ」がお似合いだ。両国のために努力しているのはいいけど、その結果はシエラを悲しませているだけの物になったんだから」


 驚きのあまりについ話題を逸らしたが、お姉様の口調が固くなるばかりだ。

 何回か深呼吸をしてから、お姉様は眉を下げながら顔を俯かせる。


「役目を得てから、貴女が私たちに何も言わなくなって……私も、お母様も、お父様も、すごく心配していたからね」

「……ごめんなさい」

「いや、違う……シエラを責めたいわけではない。……ううん、ごめん」


 私も姉にこういう風に謝らせたいわけではない。

 だって、これは完全に私の落ち度だった。

 家族を信じきれず、一人で全部抱えようとした。話しても理解してくれないと、勝手に決めつけたから。

 彼らは「シエラ」を「シエラ」のままで受け入れてくれると、誰よりも知っているはずなのに。


「昔はあんなに溌剌の大声で笑ったり、ドレスを着ているのに平気で木を登って皆を騒がせて――」

「待って!! それ以上は駄目!!」


 黒歴史が掘り起こされそうで、慌てて両手でお姉様の口を塞いだ。久々の姉妹の時間に気を使って、ソフィとカレンが部屋の外で待機しているのが本当に運がよかった。

 羞恥で目に涙が溜まっている感じがするが、それに構わずお姉様を睨む。

 だけど、寂しさが籠ったお姉様の目を見たら、感情が落ち着いた。彼女の口から手を離し、視線を逸らした。


 今度、お姉様は両手で私の頬を包む。

 額を合わせ、瞳を閉じる。それに誘われ、私も同じことをした。


「ねえ、シエラ。貴女は今幸せ?」


 お姉様の手に手を重ねる。


「うん、とっても」


 家族に愛され、嫁ぎ先にも受け入れられた。

 好きな人ができて、その人は少し不器用だけど、とても優しい。

 その人ともう結婚しているし、彼を「旦那様」と呼んでもいい権利を持っている。

 そんな彼と、今日結婚式を挙げるの。

 報われなくて、一生想いを告げるつもりはなくても、彼の隣にいられるだけで充分だ。我が儘を言うと、彼の役にも立ちたいな。これからそれについて考えよう。


 そして、一つの駒に過ぎないかもしれないが、両国の役に立てた。

 それが愛する人達を守る糧になることなら本望だ。


 これ以上求めると、本当に我が儘で恩知らずになってしまう。


「シエラ、私から学んだおまじない、今でもまだ覚えている?」

「ちゃんと、覚えているよ?」


 偶然か必然かわからないが、唯一使える妖精のまじない。

 それ以降、お姉様から単語を勉強したとしても、効果を発揮できなかった。


 頷いた私を見て、お姉様は目を細める。

 そして、私の額に優しく口づけを落とす。


『貴女が幸せでありますように』


 額から暖かい魔力を感じる。これは、お姉様の魔力だ。

 お姉様は私を抱きしめた。強く、強く、私を抱きしめる。


「研究してわかったけど、妖精のまじないって、曖昧な言葉を選ぶと効果があまり発揮しないものでね。だから「幸せ」とか、ものすごく定義が曖昧な言葉には多分効果なんてないの」


 お姉様の声が僅かに震えている。それを聞いて、目の奥が熱くなり始めた。


「でもね、知らずとはいえシエラがそうなれますようにと昔からずーっと貴女にかけたんだ。わかった後でも、ずっとね。……非実用的なことなのにね」


 私から体を離すと、お姉様は涙を流しながら笑った。

 その言葉に、幼い頃の記憶が脳裏に浮かんだ。

 何回も何回も意味の分からない言葉を嬉しそうに言っている幼い姉の姿。それに釣られて嬉しくなった私の気持ち。

 「おねえさまがいつもわらえるように」と願いながら、姉の言葉をオウム返しをしていた記憶。


「かわいいかわいい、私の小さな妖精さん。かわいいだけではなく、貴女がどれくらい真面目で頑張り屋さんなのが、わかっているからね」


 お姉様の愛情に触れて、涙が溢れた。


「お姉様、ごめんなさい……」

「何で謝るの? シエラは何も悪くないよ?」


 それに気付かず、一番近くにいる貴女よりも他人の言葉に耳を傾けてしまった。そこから生まれた劣等感で視界が霞み、塞ぎ込んでしまった。そんな私は、どれくらい彼女や家族を心配させたのか。


「私の方こそ、何もできなくて、ごめんね」

「違う、違うの、お姉様」


 そんなことはない。辛くても、いつも私の側にいて、いつも私を甘やかして支えてくれた。

 頑張っている背中を見て、幾度もその姿勢を見習った。


「今までいつも、一緒にいてくれて、ありがとう」


 実家から離れて時間が結構たったはずなのに。本当に他の家に嫁ぐと今さら実感した。

 あの家にはもう簡単に戻れない。母、父、姉、弟、使用人たちと気軽に会えなくなったんだ。


 この瞬間、私は本当の意味で我が家から飛び立った。





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