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 目蓋が重い。

 最近、目覚めだけではなく、寝つきも悪くなってる気がする。

 暖炉の暖かさと帳の隙間から差し込む冬の日差しがとても心地よくて、眠気が増すばかりだ。


「奥様、大丈夫ですか?」

「ん……カレン? ううん、大丈夫だよ……」

「と言っても、先ほどからうとうとしていますよ? 針を使っていますから危ないですよ?」

「うん、大丈夫……」


 眠気を取り除くために、ごしごしと目をこする。

 なんとか意識を保つことができて、針刺しから針を抜く。


 今日、旦那様はいない。

 正確に言うと、今日もいない。

 怪我が全治した彼が再び登城し、仕事に復帰した。急に決まったことで驚いたが、それが彼の本分だ。

 知らされた時に微かな寂しさを感じるのは、私だけの秘密だ。


 同時に、胸を撫で下ろした。

 自分の態度の不自然さを自覚している。昔の余裕を見繕えなくて、ちぐはぐしている。

 一度立て直す必要はあると思ったが、同じ屋敷の中で生活している限り、それは叶わなかった。

 彼を避けるわけにはいかず、今まで通り過ごそうとしたが、やはり無理だった。

 毎回、私の努力は逃亡という結果で終わった。


 だから、こうやって朝から晩まで彼が家にいないことはとても助かった。

 結婚式をどうしても成功させないといけないから、次の春までちゃんと元に戻らないと。

 そのための心の整理と覚悟を準備する時間ができて、前よりぎこちなさが減っただろう。

 多分、きっと。……おそらく。


 彼が家から離れることに対してほんのりとした罪悪感と共に安堵もした。

 そう思ったが、まさか彼が丸々五日間家に帰らないことになるとは。


 登城し始めたから、彼はとても忙しい。一月も長期休暇を貰った分、復帰してから休みは一日もなかった。

 そして、畳みかけるようにこの五日間、彼は屋敷に帰らなかった。

 守秘義務があるから書けないが、急な任務が入った。いつ帰れるのかは未定と、五日前彼が送った手紙に記されている。


 その後は音沙汰なしだった。


 それを知った時、心の奥に潜む不安の種が芽生え始める。

 無知な状態がそれを大きくするばかりだ。


 彼にはあんなことがあったばかりなのに。

 もし、今度こそ彼がここに戻らなかったら……。

 ……。

 私の心の準備がちゃんとできたのだろうか。


(ううん、駄目ね、シエラ。本当に駄目だわ)


 彼の選択を受け入れる。そう決めた。

 受け入れるということは、その先にある可能性も受け入れるということだ。

 それはそれとして、彼の安否を心配していることも事実である。

 知らせを待つだけではとても歯がゆくて、そわそわしてしまう。


 このまま座るだけじゃ、気分が暗くなる一方。ざわつく胸が煩くなるだけ。

 こういう時は、くよくよと悩むよりは、行動に移すのみ。お姉様が昔よくそう言った。


 知らせを待つのではなく、聞けばいいんだ。

 今なら、大丈夫なはず。

 知らなければ、聞けばいい。二人でそう決めたから。


「あれ、奥様? どこに行かれますか?」

「部屋に」

「本を読みたいですか? 私が取りに行きましょうか?」

「ううん、違う」


 早く。早く部屋に着きたい。

 その思いは私の足を動かす。


「旦那様に手紙を送りたい」


 もし、駄目だとしても、やらずに後悔するよりは、やって後悔した方がよっぽどいいんだから。




* * *




「奥様、こちらは今日の手紙になります」

「ありがとう、ニコル」


 朝食の後、ニコルが一通の飾り気もない手紙を渡した。

 その手紙を確認して、ほっとする気持ちと弾む心が入り混じる。

 手紙を受け取るのは変なことではないが、時折なそれがこの数日で毎日になった。

 今でもそれにまだ慣れなくて、頬が少しムズムズしている。


 逸る気持ちを堪えながら、ナイフで手紙を開ける。

 中に固くて綺麗な字で書かれたものを読むと、思わずふふっと笑った。


 今日の天気、任務を無事こなしたこと、帰りがまだわからない。

 私と家の方々が元気にしているのかという質問と手紙を締めくくる謝罪の言葉。


 一つも無駄な言葉がなかった。報告書のような文章で書かれた手紙だった。

 本当に、彼らしいと言えば彼らしい。

 こんな簡素な手紙を貰ったことがないが、彼らしいと思えばそれだけで心が温まる。


 数日前の私は、まさかこうなるとは思わなかったのだろう。

 不安な気持ちを鎮めるために、居ても立っても居られなくなり、勢いで手紙を書いた。

 あの日やったこと、温室の変り具合、最後は彼の健康を祈る言葉で締める。そんな当たり障りもない内容だ。

 それをニコルに渡した時に、彼は僅かに瞠目したが、何も聞かずにそのままだしてくれた。


 正直に言うと、返事なんて期待していなかった。

 彼は忙しいから書く暇がないかもしれないし、急な遠征任務で不在もしれない。

 だから、手紙を送ったのは単に私の自己満足だ。

 どんよりとした空気に飲み込まれないために、何かをやったと自分を誤魔化すためのものだった。


 だが、予想に反して、手紙を出した次の日に返事が届いた。

 返事を読んで、また更にその返事を書く。その往復を繰り返す。


 手紙が届いたことは、彼が無事であることを証明している。

 初めて貰った時にものすごく浮かれて、大事なことが頭から抜け落ちた。

 それを四回も繰り返してから、ようやく思い出せた。


「もしかすると、迷惑、になったのかな……」

「奥様?」

「我が儘言って、手紙を送って貰って……旦那様やニコルに迷惑をかけてるのでは、と思って」

「おや、それはそれは」


 よくよく見ると、今日の手紙はいつもよりも走り書き気味で書かれている。


 返事はとても嬉しい。

 だけど、「返事を書かせることは彼に負担をかけてるのでは?」とそれを見て気付いた。

 それだけではなく、こんな私事まみれの手紙のためにニコルにも手間をかけさせている。


 やらずに後悔よりはやって後悔した方がいい。確かにそう思ったけど、他人に迷惑を掛けてしまったら話が変わる。


 そう思うのなら、これ以上私から手紙を出さなければ済む話だ。

 頭では理解している。

 だけど、「君は元気にしているのか」という文章を見かける度に、思わず返事を書いてしまった。

 返事を、書きたくなってしまった。


 それを送り、満足する。返事が届く度、喜ぶ。


 もしかすると、この文通で得しているのは私だけじゃないか。

 そう思うと、気分が沈むばかりだ。


「奥様、これを老いぼれの戯言として聞いてください」

「ニコル?」

「人間と言うのは、生きているだけで周りの人に迷惑や負担をかけています。子供が親の手を煩わせないと生きていけないように、です。ですが、全員とは言えませんが、親は子供の世話をすることからしか得られない喜びもあります。そして、子供が大人になり、親が老人になり……その時立場が逆転します」

「子供が親の世話をする番、だね」

「そうです。言い換えれば、親が子供に迷惑をかけることになります。もちろん、それは家族の中だけではなく、人間関係そのものにも共通するものです」


 ニコルは目を細めながら私を見つめる。

 その瞳から、親身を感じる。


 祖父というのは、こういう存在だろうか?

 実家では祖父母と親しくなる機会がなかったから、こう感じるのが初めてだ。


「ですから、大丈夫ですよ。わたくしめだって、奥様に温室の手入れを手伝わせたんですが……それは、奥様にとって迷惑でしょうか?」


 その問いに首を強く横に振った。

 むしろ、とても嬉しかった。優しくしてくれた方々のお役に立てるもの。


「奥様、もっと我々に頼ってもいいですよ」


 ニコルの笑みが深まった。


「だって、ここも奥様の家ですから」


 ニコルの言葉は、私の意識にある泡沫を弾きだした。


 そうか。そう、か。

 ここも私の家になったんだ。彼らに頼ってもいいんだ。

 周りを見渡すと、皆がいる。

 皆の微笑みが、私の家族の笑みととても似ている。


 人に頼ってはいけない。だって、人に頼るのは、我が儘なことだから。上に立つ人は、我が儘を言ってはいけない。

 言うと、周りの人を困らせてしまう。困らせると、嫌われてしまう。嫌われると、居場所を失くしてしまう。


 いつからそう思うようになったのだろう。

 両親も、姉も、弟も、家の皆も。全員、それを許してはくれたのに。

 ファルク様だって、許してくれたのに。


 暖かい感情も切ない感情が混ざり合う。

 胸の中に小さな矛盾を沢山抱える。

 それがすごく苦しいが、知っててよかった。そう思った。


「ありがとう」


 そう小さく呟くと、皆は優しく微笑んでくれた。

 その表情で、私の目の奥が熱くなり始める。


 大事なことに気付かせてくれて、ありがとう。こんな私を受け入れてくれて、ありがとう。様々な意味を込めて、ありがとうを告げた。

 少しでも、彼らに届いたらいいな。


「では、そんな奥様にですが」


 ニコルは先ほどと打って変わった声色で話した。

 どこかで、弾むような声色で、楽しそうにしている。


「一使用人が仕える主になんぞ、前代未聞な出来事かもしれませんが……」


 そこで言葉を切るニコルに、私は首をかしげる。

 彼はウィンクをして、続きを口にする。


「奥様、このニコルの『頼み事』を聞いていただけませんか?」





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