20
何事もないかのように、私たちは手を繋ぎながら城下町を見回っている。
知らない世界に夢中になり、気が付けば周りが暗くなり始めた。
晩秋だからなのか、体感ではいつもよりも早く暗くなった気がする。それでも、城下町は賑わっている。
いや、どうやら皆が何かを準備しているようだ。
「ランタン?」
ある人は花の形をしているものを。ある人はフルメニアの伝統模様が描かれたものを。
色んな種類があったが、その共通点は皆ランタンを手にしている。
「祭りの一番の見どころだ」
彼は身を翻した。急な行動に体が僅かに硬直した。
「こっちだ」
彼に手を引かれ、光が集まる所から離れる。
徐々に暗闇が深くなり、どこに向かうのかは全くわからない。慣れない雰囲気に心臓が少し早くなったが、左手から伝わる温度は私を安心させる。
彼となら大丈夫、と。
どれくらい歩いたのかがわからないが、周りがすっかり暗くなった。
月明かりを頼りに歩いたが、やはり心もとないものだ。いつもより警戒しながら歩いたせいなのか、息が少し上がった頃、彼は歩を止めた。
薄ぼんやりとしか見えないが、どうやら彼は指差している……みたいだ。
その指に従い、顔の向きを変えれば。
「わぁ……」
目の前に広がる風景をもっとはっきり見たくて、仮面を外した。
暗闇の中に小さな橙と黄色の光が数多に散らばっている。
静かに、ゆらゆらと。真夜中の暖炉のような色。
この方角、この色。
「城下町と、火ですか?」
「ああ」
その幻想的な風景に、言葉を無くした。
「祭りの最終日に、ろうそくを灯す習慣がある」
雰囲気を壊さないためなのか、彼の声はいつもよりも小さい。
「ゼベランは、竜の力で建国できた国だ。その竜が力を貸した理由は、一人の人間に見初められたからだ。竜は、花嫁が亡くなった後、子孫を残し、ゼベランから離れた。だが、晩秋の時期だけ、彼はここに戻ると言われている。このろうそくは彼を見送るため、『ゼベランはここにある』と彼に忘れられないために灯された」
この美しい風景の裏にそんな寂しい理由があるとは。
それを知ると、この光景から切なさが漂う。
「……昔の言い伝えだ。おそらく多くの人にはもう覚えていないだろう」
彼も仮面を脱ぎ、白い吐息を吐きながら町に視線を向けた。
「祭りの終わりを、いつも皆とここから眺めている」
追憶に浸るように、彼は静かに目蓋を閉じる。
月に照らされたその横顔はあまりにも儚い。
彼は、誰を思っているのだろうか。
いつも一人でここに来たのか。それとも、大切な人と一緒に来たのか。
そんな寂しさを漂わせた横顔だった。
「小さい頃からこの光景を見る度に、決心が固まる。ゼベランを守りたい。この国に生きる人達、子供たちの未来を守りたい」
あまりにも、素直で一直線な想いだった。
(羨ましい)
こんなに、綺麗な気持ちを抱ける彼に。
こんなに、暖かい気持ちに向けられた相手に。
涙が出そう。彼の前ではもう泣かないと決めたのに。
「あんなこと、言われてもですか?」
可愛くないことを言った。ここでいつも通り「そうなんですね」と受け止めればいいのに。
だけど、純粋な気持ちを目の当たりにして、納得できない気持ちが膨れ上がる。
「私には、無理です」
思わず彼と自分を比較してしまった。
家族を守りたい。大切な人達を守りたい。だけど、裏で陰口をする人達まで守りたいと思えるほど、私は大人ではない。
そんなどうしようもない気持ちから目を逸らすために、「貴族だから」という口実を利用した。
ではないと、心が壊れてしまうから。
彼は、私を見つめる。ただただ、私を見つめる。
背中に冷や汗が流れ、目を逸らした。
暗闇の中でも、その視線で私の中に潜む醜さが看破されそうで、耐えられなかった。
「城下町の様子を見て、どう思うか?」
「城下町、ですか?」
「ああ」
「賑やかで、皆様が楽しそうにしています。それと、逞しく生きている、そんな印象でした」
今日の様子を思い出しながら答えると、彼は目を細めた。
「それが、愛しいんだ」
その短く、素朴な想いに胸が締め付けられる。
「……それに、あの噂は事実だ」
返答を期待していない疑問に答えが与えられた。
光源を背中にしたせいで彼の表情がはっきり見えない。
「あれは、俺が十五歳の時だった。あれは初陣で、魔獣を討伐するためにあの村に行った。任務自体は問題なく無事に終わった。だが……」
言葉を切り、彼は顔の向きを何回か変えた。
彼は、今どんな表情をしているのだろうか。暗闇が、とてももどかしい。
そんな彼に相槌を打つことすらできず、私は言葉の続きを待つことしかできなかった。
「急に、あの村に住んでいる住民に襲われた」
「そんな……」
「守りたいもの達に裏切られて、絶望した。意識が飛んで、気がつけば周りは焼け野原になっていた。襲撃した人々も、無関係な住民たちも、多くの仲間も。……そして、俺を止めようとした父も」
あまりにも重い事実に私は言葉を呑み込んだ。
黒い手袋に覆われた己の手を見つめながら、彼は話の続きを口にする。
「後日、裏にルナードが糸を引いたと判明したが、俺にはどうでもいいことだ。村も、同僚も、父も、守りたかったものを全部、俺が殺したから。……国がそれを隠ぺいしてもな」
隠ぺいされても、隠しきれないものがある。
彼らの悪名はその事実を物語った。
「確かに、あの日俺は裏切られた。だが、それは国の一部に過ぎなかった。それは、彼らを見捨てる理由にはなれない」
彼は再び町の方に視線を向けた。
「こうやって祭りの終わりを見ると実感できる。ちゃんと、守れたんだと」
彼は目を閉じて、小さく微笑んだ。
「俺は、それだけで充分だ」
今まで見た中で一番美しい笑顔だった。満たされたと言わんばかりの、そんな表情。
どうしよう。
彼が眩しすぎる。
彼は、誰よりも柵に縛られているはずなのに。
生まれに、経歴に、名声に。彼に付属する物のほとんどが彼を縛り付けるだけのはずなのに。
でも、何故彼がこんなに自由に映るのだろう。
自己完結的な愛。
見返りがなくても、愛を与える。
愛する喜びそのものを目撃した。
彼の力になりたい。
不躾にそう思った。
理解できたとしても、納得できない気持ちは今でも変わらなかった。
もっと感謝されるべきだ、もっと認められるべきだ。
同時に、彼にこのままでいて欲しい。
隣でもいい、後ろでもいい、どこでもいい。不必要と思うが、彼が己を貫く姿を支えたい。
矛盾している気持ちは私の胸を乱す。
乱されればされるほど、それが一つの塊になりつつある。
「……いらない話をしてしまったな。すまなかった」
「っ! そんなことは! そんなことは……全くありません」
「そうか?」
「はい。……むしろ、話してくださって、ありがとうございます」
「……そうか」
感謝を述べると、彼は指先で私の頬をそっと触れる。ほんの少し温かくて、気持ちいい。
いらなくはない。
迷惑でもない。むしろ、心が喜びで踊る。
話してくれたことに、心を開いてくれたことに。
私を、信じてくれたことに。
「それでも、君の息抜きになれば、と思ったが……本末転倒だな」
「私の、ですか?」
「ああ」
息が苦しい。
お願い、やめて。これ以上、私の気持ちをかき乱さないで。
形が。感情の形が、はっきりになってしまうから。
直感が私に語る。
その塊の正体に気づくべきではない。自覚すると、今のぬるま湯のような心地よい関係に波が立つ。
そして、出来上がったとしても、その塊に未来がないから。そんな塊を、今度はどこに捨てればいいのだろうか。
「それと、これ」
彼は包みを差し出している。首を傾げながらそれを受け取った。
(軽い……なんだろう?)
その中身を覗いた瞬間、心臓が止まった。震える手で、その中身を取り出す。
それは、一本の黄色いリボンだ。
月の光を反射するそれは、昼と違う美しさを放っている。
「君が、あまりにも一心にそれを見つめたから」
気づかれたんだ。あの時、私の心を奪ったものは赤でも橙でも青でもない。
彼の瞳の色を連想させる、透明感のある蜂蜜色だった。
だが、それを買おうとは微塵も思っていなかった。
あの店主の話を聞かなくても、おそらく青系統の物を選んだのだろう。
今までの私みたいに。
「青、ではなくても……いいんですか?」
苦しい。喉が熱くて痛い。
震えている声で、意味不明な質問をした。
今まではそれしかない。青しかない。私の人生には「青」以外の選択肢が存在しない。
それが自然で当たり前だと思った。今日だって、嫁いだ時に持ってきた服や手袋の青で固められている。
でも、最近違う意識が芽生え始めた。気付いたけど、一生懸命その事実から目を逸らした。
「……青ではないといけないのか?」
彼の返答に、私は首を横に振った。
そうか、そうなんだ。
もう、青である必要はないんだ。
「そんなことは、ないです」
顔が熱い。心臓が破裂しそうだ。
塊の形が、完成してしまった。
「いやだったのか?」
ずるい。本当に、この人はずるい。
そんなの、決まっているでしょう。
「……好きです」
ああ、懲りないものだな。
私は、本当にバカだな。いつも、いつも、同じ失敗を繰り返すばかりではないか。
「黄色が、とても好きです」
また、報われない恋に落ちてしまった。




