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「では、旦那様。おやすみなさいませ」

「……ああ」


 長い攻防戦の後、彼が先に折れてくれた。

 その結果、私たちは今、同じベッドの上に身を沈めている。


 言い合いの最中、頭が硬くなったから気付かなかったが、もしかすると素直に彼を退室させた方がいいのではないだろうか。


 長い、と言っても少し大袈裟かもしれないが、怪我人の彼からすると一分一秒はとても大事だ。


 それを、一緒のベッドで眠るよう、説得するために浪費した。

 良かれと思った行動は、果たして本当に正しいのだろうか。


 そう反省しながら、隣に寝ている彼を横目で盗み見してみる。

 背中を向けて眠る彼を見て、何故か少しだけ寂しくなった。




(どうしよう……全く眠くない)


 全身が痛いのに、眠れる気がしない。


 今まで他者とベッドを共有した経験なんてあるのに。例えば、お姉様とか、弟とか。

 だけど思えば、年上の異性と一緒に眠るのはこれが初めてだ。

 だからだろうか、心臓の鼓動が中々鎮まってくれない。


 意識してしまうと、眠ることから離れてしまう。

 気を取り直すために、もう一度寝返りを打った。


「……眠れないのか?」


 いつもよりも控えめな声に、固く閉じた目蓋を上げた。

 まさか、彼もまだ起きているとは。


「ごめんなさい……私、動きすぎて旦那様の邪魔をしてましたか?」

「いや、そんなことはない」

「……」

「嘘ではない」


 会話がそこで終わり、私たちはお互いの口を閉じる。

 彼は読めない表情でただただ私を見つめる。

 何故か彼の視線は私の頬を熱くさせた。ムズムズして、顔を隠したくなる。

 これ以上は耐えられなくて、視線を泳がせる。そして、気になる物が視界に入った。


「……いつも、こんな怪我を負ったんですか?」


 馬鹿な質問をしている。分かっている。

 彼は騎士だ。怪我だけではなく死すら付きまとう職務なんだ。


 でも、どうしても聞かずにいられなかった。


「……ここまで酷いのは久々だ」

「そう、ですか。他の方々は?」

「大半は怪我をしたが、死者はない。任務も無事遂行できた」


 彼は、僅かに目を細める。

 笑顔と呼ぶには大袈裟になるほどの表情の変化だった。

 だけど、彼にとってこれも立派な笑顔なんだ。


「それは、よかったです」


 私は、何を言っているのだろう。

 もちろん、国も守れたし、誰も大怪我していないことは、とても喜ばしいことだ。

 だけど、目の前にいる彼は無事とはいえ、大きな怪我を一人で背負ったのではないか。


 それに――。


(なんで、貴方はこんなに、いかに幸せそうに笑えるの?)


 一人で全部抱えて、隠さないといけないのに。

 知らない人々が勝手に押し付けている「英雄ルカ・ロートネジュ」でいなくちゃいけないのに。


 そんな、想像もできない我慢を強いられてもなお、自国民にあんなことまで言われて。


(……わからないよ)


 何が彼をこんな風にさせたのだろう。

 私からすると、理不尽なことを押し付けられただけなのに。

 偶然、ロートネジュ家の名の下に生まれて、竜の血を濃く継いだだけではないか。


 それだけで彼が全部、一人で背負わないといけないことなの?


 貴族らしからぬ思考が私の頭の中に渦巻いている。

 ひたすら不条理で、納得できないことばかりが連鎖している。


「泣いているのか?」


 いつの間にか、彼の手は私の頬に触れた。

 指先でそっと優しく、花を丁寧に扱うように、私の目尻を撫でる。


 彼の体温は、こんなにも温かい。

 呼吸が苦しくなる。


「旦那様、私は納得ができません。旦那様が……旦那様がこんなに身も心も張りながら国を守っています。ですが、国民の間では、あんなことを言われるなんて、私は……」

「……そこまで知ってるのか」

「この前、城下町で偶然、聞きました。スリガルの方々のこと……」

「そうか」


 彼は小さくため息を吐いた。


「それでも、俺は守る」


 穏やかな瞳が覚悟の色に一変した。

 何を言っても揺るがないそれを突きつけられると、何も言えなくなった。


「……泣かないでくれ。君が泣くと、俺はどうすればいいのか、わからなくなってしまう」

「私は、泣いていません。……泣きたくもありません」


 彼は混乱している。だって、私は今、泣いているから。


「旦那様の覚悟と誇りを哀れむなんて、そんなこと、できるわけがありません。だから、私は泣きませんし、泣きたくもありません」


 哀れみ。

 この感情は、覚悟を持つ人に対する侮辱に過ぎないと、私は身をもって経験したから。


 だけど、せめて今夜だけ。いや、むしろ今夜を起点にしよう。


 だから、今夜は全部洗い流そう。

 そして、意思表示でもあるこの強がりを許して欲しい。


「貴方の覚悟も受け止めたいの」


 誓いの言葉を言い終えると、体が温もりに包まれている。

 先程のような暴力的な熱ではなく、体の芯まで沁みる、優しいものだった。


 あ、もしかすると、私は。

 また彼に、抱きしめられた?


「だ、旦那様?」

「……」

「あ、あの、旦那様……?」


 二回も彼を呼ぶと、ようやく抱きかかえる力が僅かに緩んだ。


 この時、私は何故顔を上げたのか。

 少しだけ、後悔した。


 だって、彼は今まで見たことのない表情をしているから。


 煮詰められた蜂蜜のように濃厚な色をしている瞳。

 彼はそんな目で、私を見つめている。


「ありがとう」


 感謝されるようなことはしてないし、資格もないのに。

 でも、その短い言葉は確実に私の心を満たす。

 込み上げる何かがあって、でも正体がわからない。体が熱くなり、それを隠したくて、彼の胸に顔を埋めた。


「そして、忘れる前に一つ」


 彼は私の顔を上に向けた。

 今度は、眉間に皺が少し寄せられた。

 なんか、今日の彼はとても表情豊かな気がする。


「約束してくれ。あんな状態の俺に、二度と近づかないでくれ」

「……うん」


 素直に約束したからなのか、彼は小さく息を吐いた。


 彼は私を抱え直した。丁寧に、左肩に触れないように優しく。

 私はもう色々限界で、そのまま彼の腕の中に体を丸める。


 人間って、やはり慣れる生き物だと再確認した。

 それだけではなく、変わる生き物でもある。


 彼の温もりがこんなにも馴染むなんて、全く想像できなかった。

 家族に抱きしめられる時と少し違う安堵感。

 耳元をすませば、ドクンドクンと規則正しく鼓動が聞こえる。


 この音は、彼がまだ生きている証。


 彼の生を実感したからなのか、体から緊張が抜けた。

 自然と眠気が訪れる。


 私はそのまま目蓋を閉じて、彼に体を預けた。




* * *




 朝起きて、二人で部屋からでたら、目を赤くしたソフィが待っている。

 無言な圧力を放ったソフィに従い、私たちは朝支度を済ませた。


 いつも通り食事室に辿り着いたら、ソフィが満面の笑顔で私たちを迎えた。彼女の後ろに不安げな表情をしているハンナとニコルが立っている。


 そして、そのまま二人並んで座らされて、叱られた。


「奥様のことが気になって部屋に行ったら居ませんし、坊ちゃまの部屋の前で奥様のストールを見つけたし、坊ちゃまの部屋に入ろうとしたら結界張られたし。……一晩中外で待っている私の気持ち、想像できますか?」

「……すまない」

「……ごめんなさい」

「声かけても、色んなことを試しても、おじい様に相談しても結局何もできなくて、待つことしかできなくて……待っている時に最悪の可能性を想像するだけで、私は、私は……」

「ソフィ……」


 ソフィは顔を俯かせて、私達の前を歩いた。

 そして、そのまま私たち二人を抱きしめる。


「お二方が、無事でよかったです……」


 彼女の腕の震えが彼女の気持ちを物語っている。

 心配させたことに心が痛む。

 安心させたい一心で、彼女の腕を撫でる。


「ごめん、ソフィ」

「奥様は、もう二度とやらないでくださいよ? 心臓が止まりそうですからね?」

「……うん」

「坊ちゃまも、無理かもしれませんが、もっと私やおばあ様、おじい様を頼ってくださいよ?」

「……善処する」


 離す前に、ソフィはもう一度だけぎゅっと力を入れた。

 彼女の抱擁は母と姉のものととても似ている。





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