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 夕立のような知らせに、私たちの穏やかな時間が中断された。

 一瞬で彼の顔から穏やかさが抜け落ちたと同時に、ピリッと静電気に似た雰囲気が漂う。


「わかった、すぐ出る」


 彼はそう短く告げて歩き出したが、一歩だけ踏み込んだあと、私の方を見る。


「すまない」


 目を小さく揺らしながら出てきた謝罪の言葉。

 そんなこと、気にしなくてもいいのに。


「いいえ、気にしないでください。むしろ、早く出発しないと、ですね」

「……ああ。では、いってくる」

「はい、いってらっしゃいませ」


 背中を見せる彼に、胸が騒ぎだした。


「旦那様!」


 彼は上半身を少し捻り、振り返ってくれた。


「どうか……どうか、無事でここに戻ってくださいね」


 私の言葉に、彼は息を呑んだ。

 悲しそうに、寂しそうに目を細め、それ以上反応を示さないまま温室を後にする。




※ ※ ※




 旦那様が北部に向かってから十日間もすぎた。

 近隣討伐任務や国王の護衛などで数日家を離れたことはあるが、ここまで長く家を離れたのは初めてだ。

 彼は家にいる時間の方が少ないから、変化はあまりないだろう。初日はそう思っていた。


 だけど、どうやらそれは勘違いだった。

 一日目、二日目、三日目。ここまでは何もなかった。

 問題はそれ以降だった。


 それを鮮烈に実感させられたのは、四日目の朝だった。

 最近、寝起きが良くなったが、あの日は少し起きづらかった。

 窓から朝日が届かず、ほんの少し薄暗い部屋で支度をすると、違和感を抱いた。


 あるはずのものがない。何か、一欠けらだけ欠けている。

 その日から、時折浮上している寂しさと共に日々を過ごした。


 気が付けば、時が流れるだけだった。


「奥様、気になるのでしたら私が準備しましょうか?」


 唐突な質問に、肩を震わせた。


「ソフィ? 何で突然そんなことを?」


 首を傾げながら問うと、ソフィは苦笑を浮かべる。


「いいえ、最近、朝支度の時の奥様が少し上の空で。そして、気付いていませんか?」

「気付くって?」

「支度中、奥様はずーっと花瓶の方を見ていますよ」

「そんなことは……」


 否定の言葉を呑み込んだ。

 だって、ソフィに呼ばれるまで、私は花瓶の方に視線を向けているから。

 的確な指摘で、顔が熱くなった。


「……妖精さんがまた用意してくれるのを待つわ」

「あら、茶髪の妖精さんでは力不足ですか?」

「……ソフィの意地悪」

「冗談です」


 会話が終わると同時に、私とソフィは小さく笑いあった。


「黒髪で蜂蜜色の目をしている妖精さんがまた用意してくれるまで、待つわ」


 これは、ある意味私の意地だ。

 意地であり、祈りだ。


 寂しそうに立ち去った彼が、無事ここに戻れますように、と。

 とても小さく、身勝手な祈りだった。




※ ※ ※




 流れる時間に身を任せるのが嫌になった。このままだと駄目だと思い、気分転換も兼ねて城下町にある孤児院に行くことにした。

 母国での活動を教えると、旦那様にあの孤児院を紹介してくれた。

 彼はよく匿名でその孤児院に寄付をした。

 旦那様から許可を取り、カレンとソフィと一緒に名前を伏せながら月一回か二回くらいそこを訪れるようになった。


 前回貰った報告と孤児院の状況を照らし合わせ、子供たちと遊んだあと、院長先生から孤児院の近況について聞いた。

 どうやら、最近値上げが激しくなった。

 冬が近づいているというのもあるのだが、魔獣からの被害や家畜の流行り病などが同時にゼベランを襲った。

 彼の話を聞くと、この同盟はゼベランにとって、国民にとってどれくらい大事なのか、改めて実感した。


 院長先生の話を聞いて、数字上の情報が現実味を浴びる。

 町が気になり、屋敷に戻る前に少し見に行くことにした。

 カレンとソフィは難色を示したが、ほんの少しだけと頼み込んだら、何とか我が儘を聞いてもらえた。


 市場の雰囲気を前回と比べると、確かに活気が薄れている。冬に入る前というのもあるが、作物の値段が結構上がっている。

 こちらに関して、旦那様と両親に相談してみるのもいいかもしれない。

 屋敷に辿り着いたら、アルブル家宛の手紙を書かないと。

 頭が書くべき事項でいっぱいになったら、突然前から衝撃があった。


「奥様!」

「きゃっ!」


 一人のフードを深く被っている女性が呆然と私の前に立ち尽くしている。

 彼女の特徴的な赤目に瞠目した。

 カレンがすぐ私たちの間に割って入ったから、それが一瞬だけで終わった。


「奥様、大丈夫ですか?」

「え、ええ。私は大丈夫だよ。私よりも、あの方の方が……あの、大丈夫ですか?」

「っ! あんたは……っ!」


 私の質問に返事せずに、あの女性は一睨みをして身を翻して走った。

 急な出来事に、私は立ち尽くすことしかできなかった。


「申し訳ございませんでした、奥様。私たちがいるのに関わらず……」

「う、ううん、カレン。大丈夫だよ。ほら、怪我一つもないし、財布はソフィが持っているから何も取られてないよ?」

「うう……それでも、やはりこの時期の城下町はあまりよろしくありません。仕方ないことだと分かっていますが、スリや詐欺の被害がより頻繁に出ています。帰りましょう、奥様」

「うん。我が儘を言って、ごめんね」


 これ以上ソフィとカレンの手を煩わせるわけにはいかない。

 少し自己嫌悪になりながら、馬車が止まる場所に向かう途中、その時だった。


「おいおい、聞いたか? 北部がヴェルメドに襲われたらしいぜ」

「はぁ? 何を当たり前なことを言ってるんだ。時期は時期だし。あいつらは熊みたいなもんだからな、冬眠の下準備だろう」

「いや、今回は違うらしいぜ。どうやら、いつもより被害の領域が広いらしい」

「マジかよ。そろそろ祭りの時期なのに、物騒だな……」


 近くから聞き覚えのある単語に足が止まった。

 声が聞こえる方向では二人の男性が間に売り物を挟みながらやり取りをしている。


「でも、騎士団が討伐しに行ったから大丈夫だろう。英雄様も参加しているし、問題なく解決するだろう。英雄様々ってことだ」

「……それはどうかな。だって、あいつは同胞殺しだろう?」


 その言葉に、私の息が止まった。

 胸のあたりが冷え、体から熱を奪う。


「そしてなんだ、最近妖精の飼い犬にまでなったとか……なんだよ」

「あれは、ただの噂にすぎないだろう」

「何が噂なんだよ! 目がルナードの奴らと一緒でも、血の半分が俺たちと同じだろう。それでもあいつは六年前、それを気にしねぇで無差別に皆殺しした! 無抵抗なガキでも! 俺のカミさんの家族だって――」


 白熱したからなのか、男の声量が大きくなった。

 彼が、周囲の視線の的となった。


 その数多ある視線の中に、私も含まれている。


「……奥様」

「ソフィ」

「……帰りましょう、奥様」

「……うん」


 ソフィは唇を噛みながら帰りを促した。

 あんな、辛そうな顔をしているソフィは初めて見た。

 彼女のか細い声に、頷くことしかできなかった。

 正直言うと、私もこの場から一刻も早く離れたい。


 私たちが馬車に向かう途中、周りからひそひそとした声が聞こえる。

 内容が聞こえない分、項から、背中から嫌な汗が流れる。


 馬車に乗り込み、そのまま無言で出発した。

 窓から見える市場の風景がとても賑やかだった。


 胸のモヤモヤが増すばかりだった。




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