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 初めての茶会から、更に三ヶ月の月日が流れた。

 季節は夏から秋に移り変わり、肌寒さも増すばかりだ。


 だが、温室の中は相変わらず暖かくて、心地よい。

 ガラスから透き渡る優しい日差しはむしろ私には丁度いいものだ。


「君は左利きなのか?」

「……旦那様、そんな繊細な話題を直接本人に聞きますか?」

「す、すまない。知らなかった」

「ふふふ、大丈夫です。冗談です」


 過去の私は、彼の名高い英雄とこうやって気軽にやり取りできる日が来るなんて、まったく想像できなかったのだろう。


 あの日、彼に本心の一部をぶつけた日。思い出すと、今でも草むらに身を隠したいほど恥ずかしかったし、情けなかった。


 でも、一部を見せる代わりに、彼も彼の一部を見せてくれた。

 子供のことを話した時の彼の表情、今でもまだ覚えている。


 酷く辛そうで、悲しそうにしかめられた顔。


 それを見て、頬が叩かれた。


 彼だって、事情や葛藤を抱いていると。

 それに見向きもせず、勝手に自分の事情を押し付けた。

 もし、彼が噂通りのような方だとしたら、おそらく色々終わったのではないだろうか。同盟や、私の命とか。


 いや、違う。

 私は知らないフリをしただけだ。噂と違って、彼は優しくて、穏やかな人だということを。

 だから、あの時私は彼に甘えた。

 許されると分かって自分勝手な行動を取った己が本当に狡猾で、情けない。


 だから、そんな彼にこれ以上負担を掛けないように、ちゃんと彼と向き合って、話し合おうと決心した。

 その決心は、少しずつ実った。おかげで、色んなことを知ることができた。


「いや、すまない。君がよく反射的に左手を使ったのが気になった」

「うーん、フルメニアでは昔から妖精が左手を嫌うという言い伝えがありましたので、左利きは失礼に見えてしまう傾向があります。そのせいで、昔は家庭教師に右手も使えるように矯正されました」

「そうか。……ゼベランにはそんな風習がないな」


 例えば、隣国だとしても、二つの国の間に様々な認識違いがあるということ。

 信仰はもちろん、貴族のあり方、嫡子に対する考え方、文化、などなど。

 昔は一つの国だと思えないほど、小さな違いが散りばめられている。


 他国であるため、当たり前のはずなのに。ここに向かう途中、カレンから沢山話を聞いたのに。

 そんな常識を忘れてしまうほど、私の視野が狭かったと実感した。


 ゼベランのことはもちろん、彼のことだって――。


「旦那様?」

「いや、なんでもない」


 例えば、彼にははぐらかす癖があるとか。


 私の話を聞くと、時折彼は急に黙り込んでしまう。顎に手を当て、どうやら何かを考え込んでいるみたい。


 そういう時に様子を伺えば、彼はいつも「なんでもない」と答えた。

 最初は、拒絶されたようで、気分が少し沈んだ。

 だが、その後、彼はいつも補足や説明をしてくれた。


 私はその経験と周りから学んだ。

 こういう時、静かにじーっと彼を見つめて、その続きを促し、待てばいい。

 家の人の対応を見て、これは彼にとっての「普通」だとわかった。


「……両手使えるなら、もし戦闘で利き手が負傷しても遜色なく戦えるのでは、と思った」


 言い終えたすぐ、彼は気まずそうに紅茶に角砂糖をもう一つ加えた。その紅茶の甘さを想像すると、口内に不快感が広がる。彼はそれを平気で飲み干した。


 これも知った時に、結構驚いた。

 どうやら、彼は甘党みたい。


 父やファルク様、周りにいる殿方はあまり砂糖を摂取しない。砂糖は高級品だから、という点もあるのだが、そもそもフルメニアの男は甘味があまり好まない。


 もちろん、彼の話だけではない。私も私の話を共有するようになった。


 私は甘い物よりは香辛料が効く料理の方が好みだったり。

 花は八重咲なリュゼラナよりはユリの方が好きだったり。


 今日は、実は左利きだったりとか。


 こうやって、私たちは互いの「普通」をすり合わせている。

 驚くほど、共通点があまりなかった。むしろ、真逆な所ばかりと言っても過言ではない。


 でも、何故だろうか。

 彼とこうして過ごすなんでもない時間が、ものすごく穏やかで、心地よかった。

 フルメニアの春の日差しを浴びるような、そんな温もりに包まれている。


 だけど、気付いたことは温かいものだけではなかった。


「……騎士団に提案するのはありかもしれないな」

「何をですか?」

「両手で武器を扱えるための鍛錬」


 これに関して、前から薄々違和感を抱いている。

 嫁ぐ前からわかっていたが、騎士団の中では、彼は階級を持たない、いわゆる「ただの騎士」であること。

 それについて、団長や副団長になる打診自体はあったが、彼本人がその話を断ったと。

 彼からすると「上に立つ者になるため器がない」や「協調性があまりないから、集団行動よりは単独行動の任務をこなした方が性に合う」、だそうだ。


 この屋敷もそうだ。

 立地は主都の外れで、「公爵家」としては、あまりにも素朴だ。

 屋敷の大きさもしかり、使用人の数もしかり。どうみても、「偉大なる竜の血を引く公爵家」としては質素すぎる。

 華美の方がいい、と言いたいわけではない。経済的に苦労をしているゼベランなら頷ける。彼も現状に満足している。


 だけど、彼の名声やロートネジュの歴史などと現状の間にあまりにも大きなズレがあると感じた。


 社交界での立ち位置もそうだ。

 社交シーズンになっても一度も送られたことのない招待状。これは貴族会の中では発言権や発言力がないという裏打ちである。

 それらを「当たり前」と言っているニコル。


 どう考えても、フルメニアの、私の知っている「貴族の常識」とかけ離れている。


 色々引っ掛かり、一度書斎でロートネジュ家の記録を調べたことがあった。


 まず、ロートネジュ家の方々は主に騎士として国に仕える。伴侶となる方は貴族ではなく、平民の方が多かった。

 貴族との繋がりよりも王族との繋がりの方が強い。

 旦那様の代では、収入に対して出費があまりない。最低限と言ってもいいくらいだ。

 屋敷管理や使用人の給料と私たちの生活費。貯金のための金額はあるものの、それ以外は城下町や地方の孤児院などに寄付されている。


 裕福な平民のような生活だ。私が知る、貴族のきらびやかなところは全く見当たらない。

 むしろ、「爵位」こそがロートネジュ家の異分子に見える。


 例えると、透明な首輪。

 竜を躾け、繋ぎ止めるための首輪。


 そんな印象を受けた。


 そして、最後は――。


(ロートネジュ家の方々は、早世する傾向がある)


 二十代半ば、長くても三十代半ば。最悪の場合は二十歳にならず他界した方もいた。

 死因のほとんどは「戦死」。

 騎士は危険が伴う職務。それは分かっている。でも、こんなに並ぶと不気味さが漂う。

 ゼベランの平均寿命は確か五十くらいのはずだが、強い生命力と知られている竜の血を受け継ぐ方々としてはあまりにも低い数字だ。


 その記録は、私の心に不安の種を植えた。


「利き手が使えなくなる場面って、よくありますか?」

「戦いのことだ、何が起きるのかわからないからな。準備するに越したことはないだろう」

「そう、ですか」


 穏やかな時間が不安の色に染められる。

 戦いという話題は水となり、種に付けられた。


「どうした?」

「え、あ、はい?」


 彼は私の横髪を耳にかけた。

 影がかかる目で、私を見つめる。


「急に顔を俯かせた。茶が口に合わないのか?」

「い、いいえ、そんなことはありません」

「……だから、君に戦闘についてあまり話したくはなかった」

「旦那、さま?」


 彼の指は、私の頬を微かに触れた。

 これも、あの日に生まれた小さな変化。


「いつも、君はこんな表情になるから」


 心臓がぎゅっと絞められた。

 私だって、彼にこんな顔をさせるつもりはなかったのに。


「旦那様のことが心配、なんです」

「俺のことが?」

「はい」

「……何故?」

「何故って」


 理由を聞かれて、言葉が詰まった。

 早世に関して触れていいかどうか。

 彼の実力を疑うわけではない。ただ、一度芽生えた不安はそう簡単に取り除けない。


「だって、私たちは夫婦じゃありませんか」


 違う色の感情が絡まり、わからなくなった。だから、思わず無難な返答をした。

 同時に何故か、これが一番しっくりくるとも感じる。


 絞り出した回答に、彼は目を揺らした。


「だが、君は――」

「閣下!」


 外で待機しているはずのカレンは早足で私たちに近づいた。


「閣下、奥様。二人の時間を邪魔してしまい、申し訳ありませんでした」


 カレンは私たちの前に跪き、固い声を発した。

 彼女の声から緊張感が伝わり、胸騒ぎがする。


「城から閣下への緊急伝令です。ゼベランとルナードの国境にある町が魔物に襲われています!」



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