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ルカ視点になります


 彼女が零した本音に晒され、胸に鋭い痛みが走る。


 俺は、何故忘れたのだろうか。何故、気づかなかったのだろうか。

 初めて会ったあの日の、彼女の横顔。

 こんなに、鮮明に思い出せるのに。


 彼女は覚悟を持ってゼベランに渡った。

 俺が想像できるものよりもずっと、大きな覚悟を抱きながらここに来た。


 政略結婚で、同盟も絡んでいる。

 そんな当たり前なはずなのに、何故かそれを見落とした。


 あの夜、拾った彼女の一欠けらの本音と、庇護欲を誘う華奢な容姿は俺の目を曇らせた。

 真相に気付かず、知らないうちに身勝手な行動を取った。そのせいで、ここまで彼女を追い詰めた。


 すまない、という一言で済ませられないと分かっている。だが、今の俺にはそれしかない。

 俺の謝罪に、彼女の涙がさらに溢れだした。どうすればいいのか分からず、俺の手は宙に彷徨っている。

 視界に黒い手袋に覆われた己の手が映る。


(俺は……)


 先ほど、翻した彼女の手を思わず握った。そんなことをする資格なんて、俺にはなかったのに。


 これ以上は触れてはいけない。


 そう思っているにも関わらず、未だに一所懸命泣き声を呑み込む彼女の姿を見て、切なくなる。


 慰めたい。

 泣き顔よりは、笑顔が見たい。


 胸の中に、矛盾している感情がせめぎ合っている。


「ごめんなさい」


 葛藤に挟まれる最中、彼女がそうか細く呟いた。

 その声があまりにも悲痛で儚い。


「……ごめんなさい」


 二回も繰り返されたそれに、頭より体が早く動いた。


 彼女を抱きしめた。

 何故だろうか。こうしないと彼女が消えそうで、胸騒ぎがする。


 彼女を、繋ぎ止めないと。


「……君は」

「え?」

「君は、頑張ったんだな」


 城下町で見たことがあった。転んでも泣かないと涙を我慢する子供に、母親がそう慰めた。

 彼女の姿はその光景を思い出させた。

 だから俺はそれに倣い、彼女にそう伝えた。


 そうすると彼女は俺の服を強く握りしめて、そして泣いた。


 声を殺しながら、彼女は涙を流す。

 こんな状況になってもなお我慢する彼女に、やるせなくなった。


 俺のせいだと分かっている。

 だけど――。


(全部、全部、思う存分流してくれ)


 そう願わずにいられなかった。




* * *




 影が僅かに傾いていた頃。

 腕の中からモゾモゾと動く気配がする。


「……また、取り乱してしまって、すみませんでした」

「いや、いいんだ」

「それは、できません……だって、先ほど私は、旦那様を」


 彼女はそこで言葉を切った。

 先程の出来事を辿り、彼女は何を言いたいのか何となくわかった気がする。


「……痛くないから、気にするな」

「いいえ、痛いとか痛くないとか、そういう問題ではありません」

「なら、気にしないからいいんだ」

「ですから、そういう問題ではないです!」


 彼女は急に勢いよく顔を上げる。

 そうすると、思っていたよりも近くにある青い目と視線が合った。

 やはり、リュゼラナにとても似ている、美しい青だ。


 だが、見る見るうちに、彼女の顔が徐々に赤くなる。


(もしかすると、体調を崩したのか!?)


 慌てて、彼女の額に手を置く。ああ、駄目だ、手袋をしているせいで正確な温度が測れない。僅かに躊躇いを感じたが、状況は状況だ。

 それを気にする場合ではない。


 再び熱を測るために手袋を外そうとしたその時に、胸が何かに押された。


「あ、あの……ち、近いです、近すぎます……」


 体を縮こませ、僅かに震えている。

 俺の、腕の中に。


「……すまない」

「い、いいえ……大丈夫、です」


 彼女の肩に回る左腕を退かせば、自然と俺たちの間に距離が出来た。

 漂っている気まずい空気を払うために立ち上がった。


「立てるか?」

「あ、はい」


 彼女は素直に俺の手を取った。どこにも怪我がないようで、安堵した。

 静かに服から埃を落とす彼女の動きが突然鈍くなった。彼女の視線の先に辿り着くと、そこに割れたカップがあった。


「大丈夫だ」

「ですが、あれは旦那様の母君が大切に使ったもので」


 なるほど。彼女は知っているんだ。あれは、母がお気に入りのティーセットであることを。

 おそらく、家の者の誰かが彼女に教えたのだろう。別に気にしていない、秘密にするつもりはないからだ。


 だけど、その事実は彼女をより落ち込ませる。


「俺も昔、間違って割ったことがあるんだ」

「旦那様が、ですか?」

「ああ。別のティーセットだがな。それでソフィにすごく怒られた」


 俺の言いたいことが想像できないのか、彼女は首を小さく傾げる。

 一所懸命、言葉を探す。伝えたいことがちゃんと、伝わるように。


「形ある物は、いつか壊れて、灰に帰る。だが、想い出は……褪せるかもしれないが、胸の奥に残っている」


 例えば、先ほどまで覚えていないが、こうして話すと自然と浮かぶ。

 このティーセットを使いソフィと紅茶の淹れ方について意見が割れた時。

 この空間の中に両親がこのティーセットを囲み、仲睦まじく時間を過ごしている時。


 だから。


「大丈夫だ。大切なものは、ちゃんと残っている」


 俺の言葉に、彼女は瞠目した。


「もし、ソフィに怒られるなら、一緒に怒られればいい」

「一緒、に?」

「ああ、君と俺。二人で一緒に」


 俺の言葉が、彼女の琴線に触れたのだろうか。

 彼女の青い瞳が、キラキラと輝きを放っている。


 そして、残っている彼女の不安を取り除かないといけない。


「子供についてだが、君にそんな思いをさせて、すまなかった。だが、悪い。これだけは譲れない」

「……はい」

「……そもそも、竜の血のせいでロートネジュ家に子供ができづらいと知られている。一人生まれたら運がいい、二人目ができたら奇跡に近いんだ。今までだって、跡継ぎが生まれないから分家の嫡子が継ぐ事例が幾度かある」


 その上に、よりによって俺はその血を濃く受け継いでいる。確率は更に低くなるだろう。


「だから、安心して欲しい」

「……」


 彼女の眉間に浅い皺ができた。まるで、理解はしているが納得はしていない、そんな表情だった。


「理由は……君のせいではない。本当に、俺個人の理由で、欲しくないだけだ」


 ちゃんと説明し、話すべきだと思う。だけど、これ以上話すには躊躇いを確かに感じる。

 彼女に誠意を見せるために、こちらの手札を見せるべきだと頭では理解している。


 矛盾している。そんなことは、昔から分かっている。


 この血を、誇りだと思っていると同時に畏れている。

 この血のせいで、おかげで、大切な存在を守る力を持っている。それと引き換えに、俺の手から数多くの大切な存在も滑り落ちた。


 「考えが甘い」と、あいつらによく指摘された。

 それは、否定できない。


 子供に、こんな暴力的な血の業を背負わせたくない。

 母のように、妻となる人に生命力と引き替えにするまで産ませたくない。


 ならば全部、俺の代で終わらせればいい。

 俺が全部、背負えばいい。


「旦那様」


 ぐっと握った拳に、温もりが伝わった。

 顔の向きを正せば、苦笑いをしている彼女がそこにいる。


「言いたくないなら、言わなくても大丈夫です」

「……だが」

「ううん、大丈夫です。私だって、旦那様に言いたくないことがありますので。……いいえ、まだ言えない、と言ったほうがいいかもしれません」


 彼女は自嘲を浮かべながら、優しく、冷静な声色で続きを口にする。


「すみません、私は旦那様に、私の価値観、我が儘を押し付けましたね」

「いや、それは違う。俺が君にちゃんと説明していなかったから」

「いいえ、私だって旦那様から逃げて、質問しなかったせいでもあります」


「いや、俺が……」

「いいえ、私が……」


 お互いがお互いに譲れない結果、俺たちは声を被せて似たようなことを言おうとしている。

 調和している音に、俺たちは同時に口を閉ざす。


「ふふふ、これじゃ、話が終わりませんね」

「そう、だな」


 彼女は肩を震わせながらクスクスと小さく笑っている。

 一通り笑い、彼女は笑みを浮かべた。

 今までと、少し違う笑みを。


「旦那様、結婚式のこともありますが、やはり私たちの間に言葉が必要と思います」


 その結論に異論がなく、素直に頷いた。


 これ以上彼女を蔑ろにしたくない。だからこそ、話し合いは大事だ。

 言葉が出るまで時間がかかった上に、いらないことをよく口にした。人を傷つけるよりは、黙った方がいい。今までそう思っていた。


 だが、彼女との衝突でわかった。

 それでも、やはり口にするべきだと。


「じゃあ、時間がある時に、またこうして私とお茶をしませんか?」


 その提案にも、俺は頷いた。


「……今度は、後ろではなく、前に座ってくれたら、嬉しいです」


 その言葉は俺の胸を抉った。

 良かれと思ったことが、逆に彼女を追い詰めたからだ。


「……ああ」


 罪悪感で、彼女を直視できなくなった。


「ありがとうございます!」


 彼女の溌剌とした声に誘われて、顔を上げた。


 無邪気に、唇を緩ませて笑っている彼女がいる。

 それは、昔彼女が見せたリュゼラナのような、上品な笑顔ではなかった。


 もっと素朴で、もっと元気な。

 そう、草原に満遍なく咲いている色とりどり野花のような。


 その笑顔は俺の瞼の裏に焼き付いて、消えなかった。




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