96,証拠は得た…ぞ?
浮気ではない。としても、なぜ夜中に。こんな所で。隠れるように屋敷を出てきて人と会っているのか。
エデ様はきっときちんと説明されなければ納得しないだろう。
もしこれが、アグウィ伯爵家に関する事なら私が立ち入る事はできない。だけどエデ様は違う。
「ドゥル・アグウィ様」
義妹の夫を呼んだ。
静かだとか。物音もしないとか。一切関係なく、普段の声量で。聞こえる声で。
そうすると、呼ばれた本人も二人の男女も勢いよく振り向く。
ドゥル様はとても驚いた顔をして私を見ていた。誰だって問うような、戸惑う男女の視線も見えているけれど、私はドゥル様を見つめる。
私は、ここで見聞きした事を全てエデ様にお伝えしなければいけない。
「リーレイ様…。どうしてここに…」
「細かな事は抜きに、単刀直入にお聞きします。こんな時間に屋敷を抜け出し、ここで何をしておいでですか?」
ドゥル様が少し言葉に詰まったように見えた。視線を動かし、答えを探している。
そんな様子をじっと見つめる私の後ろでは、同じようにエレンさんがドゥル様を見つめる。
やがてドゥル様は困ったように「参ったな…」と小さく呟いた。
漏らした言葉通りの表情をしていて。それは夜会でも見た表情で、穏やかな人柄を表すもので。
だから、ドゥル様の前に立った私は声音を少しだけ静かに、困っている彼にそっと告げた。
「エデ様が不安がっていらっしゃいます。ここ三月程、貴方の様子がおかしいと」
「エデが…?」
「今も、屋敷を抜け出した貴方に気付いて、こちらへ向かっています」
今度こそドゥル様は言葉を失い息を呑んだ。そして項垂れる様子に私も一度口を閉ざす。
「…気付かれないように出てきたのになぁ…。本当にエデは…」
失敗を嘆いているようなのに、嬉しさが混じるような声音。力なく紡がれた言葉は私達全員の耳に届いた。
片手で顔を覆うドゥル様に、傍の二人がそれぞれに声をかける。
「ドゥル様。頑張る奥方だって話は聞くけどよ。説明くらいいいんじゃねぇか?」
「これ以上黙っているのは良くないわよ」
「…うん。そうだね」
二人の言葉にドゥル様もゆっくり頷いた。
これで私が問い詰めなくてもよくなったかな…? ドゥル様からエデ様に訳を説明してくれると思う。
手を放して見せた表情は頼りなさげだけど、それでもしかと決意したようなものだった。
その目が不意に動く。私も聞こえた音に振り向いた。
そこに、追いついたエデ様とヴァンがいた。
エデ様はドゥル様を見て、安堵するような。傷つくような。そんな表情をした。
そんなエデ様を見て、ドゥル様はゆっくりと歩き、エデ様の元へ向かう。
ヴァンがスッと離れると、ドゥル様はエデ様の前に立ち、そっとエデ様を抱き締めた。…エデ様が少し強張ったように見えた。
「ドゥル様…」
「エデ。ごめん。僕の行動の所為で不安がらせてしまったようで」
エデ様の表情から緊張が解けたように見えた。それを見て私もホッとする。
どうやら一番の問題は落ち着いたみたい。後はご夫婦に任せることにしよう。
エデ様を抱き締めたドゥル様は腕を離し、少し困った顔をされた。
「にしても、気付かれないようにベッドを出たはずだし。音もたてなかったのに。よく分かったね」
「っ…。偶然ですっ…」
…ん?
エデ様がさっきまでの表情を一転させ、プイッと視線を逸らす。
「……もしかして、昼間の調子で見張ってた?」
「かもしれませんね」
閃いただけなのに、クスリと笑み混じりにエレンさんに同意された。視線の先にはプイッと視線を逸らして彷徨わせるエデ様がいる。
え。エデ様本当に寝ないで見張ってたの?
夜くらい休みませんか? 熟睡してた私が恥ずかしいですっ。
羞恥を振り払うように、私はドゥル様とエデ様の傍へ向かった。そんな私に皆さんが続く。
見知らぬ男女にエデ様はちらりと視線を向けた。
「ドゥル様。こちらは…?」
「僕の古なじみなんだ。少し協力してもらっていて」
「どうして…私には何も…」
「…うん。フレアに、エデに心労をかけないようにと言われて。だから、きちんと調べがついてから話そうと思っていたんだ」
知らない名前が出たけれど、話は分かった。
互いを想い合っているから、少しズレてしまったんだろう。エデ様ならドゥル様の御力になれるようにと活発に動きそうだ…。
私はドゥル様を見る。あまり踏み込むのはいけないかもしれないけれど。
「何をお調べに? 私の前で言いづらいならば席を外しますので。エデ様にはお話くださいますか?」
「はい。リーレイ様…」
ドゥル様が何かを言おうとした時、ヴァンとエレンさんが動いた。瞬時にまとう空気が変わり、私も反射的にエデ様の前に立つ。
「お義姉様…?」
「静かに」
いきなりの事にドゥル様や男女も驚いている。だけどそれは今は気にしない。
私は手に持つ剣の柄に手を添えた。私達の前では剣に手を添え、ヴァンとエレンさんが警戒している。
ダンダンッと大きくなる蹄音。それも一つじゃない。
――何か来る。その緊張が場に走った。
見えない暗闇。近づいて来る蹄音。それがバッと明かりの下に躍り出た。
闇夜のような黒い髪。鋭い白銀の瞳。端正で精悍な容貌。馬を操る堂々たる威風。
「ここに居たか」
「ランサっ…!?」
ツェシャ領で役目にあたっているはずのランサが来た。
どうしてここに…。こんな時間だし。ツェシャ領は? 聞きたい事は沢山あるのに言葉が出て来ない。
ランサの後ろには同じようにやって来たバールートさんの姿もある。
二人でわざわざ? だけど…本当にどうして?
少し離れて下馬したランサは、手綱をバールートさんに預けるとこちらへやって来る。
「ドゥル様…彼は…?」
「エデの兄君。『闘将』ランサ・クンツェ辺境伯だ」
「『闘将』…!?」
ドゥル様の傍で男女は驚いている。だけどそんな様子に構わず、ランサはこちらへやって来ながらどうしてか顔を顰めた。
まるで怒っているような表情をしながら、どうしてか隊服の上着を脱ぐ。その足はまっすぐ私へ向かって来る。
怒ってる…? 何で?
私何も…してないよね?
思わず記憶を遡る私の前にやって来たランサは、その隊服の上着をふわりと私に羽織らせた。
「リーレイ。そんな格好で出歩くな」
「あ。…ごめん」
…あったね。怒られる事が。
いきなりだったとはいえ、怒られてシュンとしてしまう。…ランサに怒られた。
だけどすぐにぎゅっと強く抱き締められた。
強くて。温かくて。安心する腕の中。どこよりも安心するこのぬくもりに、今はもう安心して身を預けられる。
「冷えていないか? アグウィ伯爵に頼んで風呂を使わせてもらおう。エデ。お前もだ」
「…はい」
ランサはすぐに視線をエデ様にも向けた。そっと私から腕を離してくれて、私もホッとランサを見る。
思っていない人が来て驚いたけれど、心は少し嬉しさも感じている。ランサはきっと何か大切な用件で来たんだろう。じゃなきゃ、私を見送ってくれたのに自分がここへ来たりしない。
冷えていないかを確かめるようにそっと頬に触れ、ランサはその視線を辺境伯としての真剣なものに変えてドゥル様を見た。
「ドゥル殿。夜分に突然申し訳ない。アグウィ伯爵邸に行けば、恐らくここだと言われてな」
「いえ。ランサ様のお越しなら時間なんて…。ですがなぜ…」
「詳しい話はアグウィ伯爵も交えてしたい。何より、互いに大切な女性をこのまま夜の空の下に置いておけないでしょう?」
「はい」
迷うことなく頷いたドゥル様の傍でエデ様は少し視線を下げた。そんなエデ様の手をドゥル様はそっと握る。
優しい目でエデ様を見つめ、ドゥル様は男女を見た。
「ラレット。アミーレ。一緒に来てくれるかい?」
「あぁ」
二人も頷いた。二人も何かドゥル様と一緒に調べていたんだろう。
「リーレイ。戻ろう」
「うん」
ランサが伸ばしてくれる手を握った。
ランサがわざわざここまで足を運んだのには何か理由があるはず。ドゥル様は何かを調べている。
少しだけ緊張してしまうけれど、手のぬくもりがすぐに溶かしてくれる。
私達は皆揃って、アグウィ伯爵邸に戻る事にした。




