95,尾行作戦、決行!
午後。エデ様の言った通り、ドゥル様が屋敷へやって来た。私もすぐにご挨拶に伺えば、一度お会いした時の印象のまま、温和な表情に笑みをつくった。
「リーレイ様。お久しぶりです。今回はエデの招待を受けていただいて、ありがとうございます」
「お久しぶりです。ドゥル様」
エデ様の心配は杞憂じゃないかな…。どうしてもそう思えてしまう。
今だって、エデ様に優しい笑みを向けている。エデ様だって少し頬を緩めているし。エデ様はドゥル様を信じているんだと見ていれば分かる。
お二人は歳が少し離れているからエデ様も不安に思ったのかもしれない。だけどドゥル様からそれは感じない。
うーん…。お二人を見ていると思わず内心で唸ってしまう。
だけど、エデ様に協力すると言った以上、私も少々立ち入らせていただこう。
「ドゥル様はもう屋敷でゆっくりなされますか?」
「はい。領地では領地の仕事がありますが、エデとの時間もきちんと持ちたいので」
…エデ様。嬉しそうなお顔ですね。
私も思わず頬が緩んでしまう言葉だ。ドゥル様もほわほわと笑みを浮かべていらっしゃるから。
うん。浮気はない。だけどそうなると、ドゥル様は度々こちらへ来て何をしていたんだろう。
午後からのドゥル様に動きはなかった。私はそれを、エデ様に引っ張られてドゥル様の傍で過ごすという、お邪魔になっていないかと不安に思う過ごし方で確認していた。
事態が動いたのは、ぐっすりと眠っていた夜だった。
がちゃりと寝室への扉が開いた気がして、気配を感じて意識が浮上した。はっきりと覚醒するより先に、夜だから抑えているけれど十分聞こえる声量で起こされた。
「お義姉様起きてっ!」
「っ!?」
一気に頭が覚めた。
ハッとなって目が開くと、そこには私の顔を覗き込むエデ様のお姿がある。それも夜着の上に何枚も上着を着ているような格好で。
そんなエデ様の後ろには、薄暗い中で困り顔のエレンさんもいる。
な、何事…?
いきなりの覚醒にドドドッと鳴り響く心臓を頑張って鎮める。飛び出るかと思った。
エデ様。こういう心臓に悪い事はしないでほしいです…。
身を起こしてベッドの上に座る私に、エデ様は待てないと言わんばかりに身を乗り出した。
「ドゥル様が出て行ったの。行きましょう!」
…へ? 今?
夜中の突然の事態に私は面食らう。
言葉も出ず動き出すでもない私に、エデ様はじれったくなったのかガッと私の手を掴んだ。そしてそのままベッドから引き摺り下ろされる。
エデ様、ちょっと待って…。
私の心の声は届かず、エデ様はクローゼットから手近な上着を取ると、すぐにそれを私の肩にかけた。
「急ぎますよ!」
行くんですか? 本当に。今から?
後をつける作戦はどうやら本気みたい。それもこんな時間でもお構いなし。
ガシッと腕を掴まれ部屋を出るエデ様に、たまらずというようにエレンさんが声をかける。
「エデ様。せめて着替えを」
「駄目よ。それじゃ見失っちゃうし間に合わない」
夜の屋敷の中は昼間とは違って静かだ。足音を消して、使用人達に見つからないようエデ様も慎重に進む。
その配慮はさすがだ。だけど褒め言葉すら、今のエデ様の圧に押されて口にできない…。
並々ならぬ覚悟を抱いているようなエデ様の真剣な空気と行動に、エレンさんも困りながらも先頭を歩くことにした。騎士なら見つからないだろう。
そして私達は見つからないように屋敷を出た。
だけどすぐ、私はエレンさんを見る。
「エレンさん。ヴァンに何も言えてないんですが…」
「大丈夫です。ヴァンさんはエデ様のご要望で、今ドゥル様をつけています」
「あ、動きが早い…」
私が最後だったんですね…。
エデ様はドゥル様の外出に気付き。すぐさま後をつける人員を確保。そして私を起こしに来た、と…。何も言えない行動力だ。
町を歩きながら、エデ様は少しだけ眉間に皺を寄せた。
「本当はエレンさんにつけてもらおうと思ったの。お兄様の部下だもの、失敗しないわ。あの人…大丈夫かしら…」
「お褒め頂き光栄です。それにヴァンさんなら大丈夫ですよ。将軍も直属隊に引き入れたい人材ですから。私はエデ様のご要望とはいえ、将軍の命令であるリーレイ様の護衛を優先しなければいけないので。離れるわけにはいきません」
さすが辺境伯直属隊騎士…。ランサの命に忠実でそれを実行する者達。
バールートさんもエレンさんも、本当にランサの命令を一番に考えている。
そう思ってエレンさんを見ると、微笑みを返してくれ、同時にそっと左手を上げた。
その手に、私の剣があった。
驚いて見ると、エレンさんは「念のために」と言って頼もしい微笑みを返してくれる。持って来てくれたんだ。ありがたい…! さすが。エレンさんもぬかりない行動だ。
剣はきちんとアグウィ伯爵に所持の許可をいただいた。屋敷を訪れた当初はヴァンが持っていてくれたんだけど、許可を頂いてからは私が持っていた。
アグウィ伯爵はとても驚いていたけれど、「構いませんよ」と快く許可をくださった。
エレンさんに感謝しながら歩いていると、前方から見慣れた人影が向かって来る。
月明かりに照らされたヴァンは、私達を見ると急いでやって来た。そんなヴァンにエデ様が詰め寄る。
「どこ!?」
「圧すごっ…。あっちの倉庫がいっぱいある方です」
足を引きかけたヴァンだけど、背を逸らしつつも指で示した。暗闇ではよく分からないけれど方向は分かった。
私達はそちらへ急ぐ。
走り慣れている私達とは違って、エデ様はそうではない。走り出すのかと思っていたけれどそんな事はなく、急ぎたいけれど必死に堪えているような、焦燥と不安の混じる表情を浮かべて歩く。
どうしてだろう…。なんだかエデ様が苦しんでいるように見える。今にも泣き出してしまいそうな…。
たまらず、エデ様の背にそっと触れた。
「エデ様。落ち着いて。ゆっくり」
「っ…でも…」
歪む表情が胸を衝く。
思わず足を止め、私はエデ様に寄り添った。
「確かめないと…じゃないと私っ…!」
泣き出しそうな、キュッと引き結ばれた口元。眉を寄せ何かを必死に堪えているような様子。
エデ様の心労が大きいのだと分かる。とてもとても、ドゥル様を想っているんだと言う事も。
感じて、私もキュッと拳をつくった。そしてゆっくりとエデ様の前に立って、震える肩に手を置いた。
エデ様の目がゆっくり私を見る。
「エデ様。私がこの目でしかと確かめてきます。焦らず。ゆっくり。心を落ち着けながら来てください」
「お義姉様…」
「大丈夫。エデ様。お任せください」
綺麗な金色の瞳は痛みや辛さをもって揺れている。昼間のしっかりとした目ではない。
けれどどこか意思も感じる目に、私は強く頷いた。
ヴァンを見ると、ヴァンはもう分かっているかのようにため息を吐き「エデ様はお任せを」と言ってくれる。本当に頼もしい護衛だ。
「エレンさん。行きましょう」
「了解です」
私はすぐにエレンさんから剣を受け取り駆け出した。エレンさんが共に来てくれるから不安などない。
夜着と上着だけでは冷えるけれどそんな事は気にしない。ヴァンが言っていた方向を確かめながら町を駆ける。
住宅地や商街を抜け、倉庫群へ向かう。勢いを殺さず駆け抜ける。
さして間を置かず、倉庫が立ち並ぶ一角へやって来た。
町中とは違って明かりが少ない。人の気配も物音もしない。だけど、このどこかにドゥル様がいる。
こんな所で逢引き…とは思えないけれど。
「エレンさん。手分けして…」
「できません。護衛ですので」
…エレンさんはランサの命令に忠実。私が無理を言ってしまうところだった。
エレンさんと一緒に周囲を探す。音はたてず、エレンさんが先行して危険がないかを確認しながら。
もしドゥル様が誰かとここにいるなら、話し声がしないかと思って耳を澄ませる。
と、エレンさんが何かに気付いたように私に合図をくれた。こっちです、と言うような合図に私も急ぐ。
向かっていると、私にも分かった。
「…く……よ…」
「そ……に…」
誰か居る。小さな声だけど静かな場だから私にも聞こえた。
エレンさんに続いて物陰から窺う。そこに何度か見た横顔があった。
同時に確認する。その場には女性が一人いる。髪は短く、動きやすいような格好をしている。
「エデ様が危惧する状況、ではないようですね」
エレンさんがそう言う根拠は、その場にドゥル様ともう一人の男性もいるからだ。少し大柄に見える。
そんな三人は逢引きとは思えない、とても真剣な顔で何か話し合っている。
「どうする? ドゥル様。王都は?」
「数点見つけた。引き取っておいたけど、元を絶たないと…」
何の話だろう…? だけど私的な会話とは思えない。
エデ様のさっきの表情を思い出し、私は一歩を踏み出した。




