93,二人でお茶をしましょうか
翌日。午前中に私は庭を散策させていただいた。
町にも行ってみたいのだけど、エデ様とのお茶会よりも先に出て行くのも失礼かなと、そう思って散策にした。部屋でじっとしている選択は私にはない。
やっぱりアグウィ伯爵家の庭は美しい。どこから見ても何度見ても見惚れる。
まるで蝶や小鳥がどこで羽を休めるかさえ計算されているみたい。
「綺麗だな…」
「えぇ。貴族のお屋敷は凄いですね…。ティウィル公爵邸のお庭も素晴らしいのでは?」
「綺麗ですよ。整えられてて。でもなんつーか…ここは手入れが細かいってのが分かりますね。それこそ公爵家の庭って言われても頷けますよ」
ヴァンも舌を巻く素晴らしさみたい。
領地にあるティウィル公爵邸も王都にあるティウィル公爵邸も、どちらも庭は素晴らしい。花の種類。どう見えるか、どう見せるか。枯れているものは当然散り始める花さえない。
それでいて、決して見飽きない。静かな時間を与えてくれて心が安らぐ。
素晴らしい庭を見つめていると、そそっとメイドが一人やって来た。
「リーレイ様。エデ様からお茶会のお誘いなのですが、いかがいたしましょう?」
「お受けします」
「畏まりました」
頷き礼をしたメイドは「準備ができ次第お呼びいたします」と一度下がった。それを見て私も準備に戻る。
呼ばれたからにはお茶会に相応しい服装でなければいけない。いつもの動きやすいワンピースじゃ駄目だ。
私はエレンさんの手を借りて着替えた。それと同時にメイドからお呼びがかかり庭に出た。
綺麗な庭の中にはガゼボがある。そこにエデ様のお姿が見えた。
「ヴァン。エレンさん。ここまでで大丈夫です」
「「はい」」
少し離れた場所で二人を止め、私はメイドの案内を受けエデ様の元へ向かった。
エデ様は場に負けぬ堂々と、それでいて和やかな表情をされていた。それさえも夫人としての振る舞いなのだろう。…凄い方だ。
「エデ様。リーレイ様をお連れしました」
「ありがとう。もう下がっていいわ」
メイドはエデ様の言葉に礼をして下がる。そして、この場は私とエデ様だけになった。
エデ様に促されて私は席に座る。
「当日参加する時には、社交界と同じで場に入るのにも順序があります。今日は私達だけですので、お気になさらないでください」
「分かりました。茶会ではどういう話が話題に上るのですか?」
エデ様は自ら茶を注いでくれて、私の前へ置いてくれた。そして自分も椅子に座る。
その動きを見つつ問うてみた。
「そうですね。社交界の話題は流行やゴシップは当然、新しい物好きな方が多いですから、よく話題になります。昨今はもっぱら、クンツェ辺境伯やその婚約者の話です」
「っ…」
「リーレイ様。そこは笑顔で「そうなのですか」と流せばよろしいのです。知りたがりな御令嬢にあれこれ問い詰められますわよ」
「…気を付けます」
微笑みの練習をしておこう…。今のところ他の茶会に誘われてはいないけれど、今後の為に。
「それから、身分、教養、品。全てが出来てこそ参加できるものですから、みっちり身につけて下さいね」
「はい…」
「特に、社交界でも一目置かれているような方々の茶会の参加は、何が話題になったかも重要です。流行の発信になりえる事もあります。話についていけず置いて行かれる…なんて、それを上回る何かを示さないと、完全に格下です」
「気を付けます…」
十分理解した。
私の苦手が詰まっている分野だ、と。
そんな戦場で戦っている女性方。凄い…。エデ様も、スイ様も。そうしてこれまでやってきたんだ…。
「茶会は、何かと嫌味を言われることもあるでしょう。ですが…泣いている暇も、落ち込んでいる暇もありません。己でもきちんと立てるようになってください」
「はい」
「当然。夫の仕事の邪魔なんて以ての外です。余計な事を口にすれば、それが夫人や令嬢から、夫や兄弟などの耳にも入りかねません。逆に有益と思える情報は伝える、というのも一つです」
つまり、私もそういう場を通してランサの力になれるということ。
私を見るその目に、ランサへの想いを感じた気がした。やれるのかと。問うてくる目に私はしかと頷きを返す。
「胸を張って、挑みます。ランサ様の婚約者ですから。泣きつくなんて一番彼を心配させるような事、致しません」
ランサに甘えない。彼には何よりも大切なものがあるんだから。
「私は、ランサ様の隣に立つと。御力になると。とうにそう決めました」
多くのものを背負い。ひたすらに役目を果たし。忠を尽くすランサを、ずっと見てきた。
堂々たるその背中を見て、力になりたいと思った。引いてくれる手に、隣に立ちたいと思った。
その為なら、どんな事でも。どんな困難でも、挑んでいける。
じっと私を見て、エデ様は不意に瞼を震わせた。カタリとカップを置く。
「そう…。良かった」
「エデ様…」
「最初は少し、心配だったんです。お兄様はお役目に忙しくて。それを大事にしている方ですから」
カップの中の茶を見ていた目が、私に向けられる。
それまでとは違う、柔らかな安心したような目をしていた。
庭を吹き抜ける風が穏やかで、草木や花を揺らす。
「お兄様に頼り切りの御令嬢じゃ、お兄様が苦労される。お兄様は優しい方だもの。両方に気を配らなければならないなんて、お兄様が疲れてしまうから。だから婚約者がいるって聞いて、どんな方なのかとても気になっていました」
「…それで、夜会で見たのが私だった、と?」
「えぇ。お兄様が甘いのは見ていてよく分かりました。あんなお兄様は初めて見ましたもの。そしたら隣にいた御令嬢は、私が他人を装ってお兄様に声をかければ自信なさそうなお顔をされて。ねぇ?」
「…あれは」
「リーレイ様。こういう時は視線を下げず、相手を言い負かす言葉を出さないと」
あ。これも指導の一手だったのですね。完全に騙されました…。
指導ははっきりびしっと言って下さるエデ様に、私も成程と頷く。
指導を入れたエデ様は「全く…」と言いながらも、それまでのような鋭さのない目を私に向ける。
だから私も微笑みを浮かべてエデ様を見た。
「それで、私は合格点を頂けたのでしょうか?」
「まぁ。その自信はどこから来るのかしら?」
言い合って、顔を見合わせてクスクスと笑った。一度出てしまうとなかなか収まらなくてしばし笑い合う。
少ししてやっと落ち着いてきた私達は、二人だけの茶会を楽しむ。
「とても美味しいお茶ですね。香りも強くなくて」
「モク公爵領で作られているものです。私も最近になって知って、お気に入りです」
モク公爵家は国有数の薬草栽培地。こんな美味しい茶もあったなんて初めて知った。でも、なんだかいい効用がありそうだ。産地だけでそう思えてしまう。
「エデ様。お聞きしたい事があるのですが、よろしいですか?」
「えぇ。何でしょうか?」
「エデ様がアグウィ伯爵家に入られたのは二年ほど前と伺いました。御両親が王都で暮らす事になったのは約四年前ですから、それまではランサ様と二人でツェシャ領で暮らしていたのですよね?」
「そうです。約二年間は、お兄様と屋敷の皆と暮らしていました」
「ガドゥン様とシルビ様は、エデ様が輿入れなされるのを待たなかったのですか?」
お二人ならそうするだろうと、少しだけ知るお人柄を考えてそう思った。だからこそ不思議だった。
昨夜私が感じた不思議をエデ様にぶつけてみる。
エデ様の婚約は十四歳の時。五年前の戦より前に婚約されていた。そして結婚は婚約から四年後。少し期間が開いている。
戦があったからタイミングを探っていたとしても、少し意外な行動だった。
私の問いに、エデ様はさして気にしていないようにさらりと答えてくれた。
「当初は、私を見送ってからと考えていたようです。ですが、お父様が引退を決めた理由は知っていましたから、早くお母様とゆっくり過ごしていただきたくて、私がお兄様と一緒に先の隠居を薦めたのです」
「…そうなのですか?」
「カランサ国内が王を失い混乱している時から、お兄様には「嫁に行け」と言われていたのですが、私だけ安全な所に出て行くなんて絶対にしないと思って、頑として動きませんでした。戦が終わっても何かと忙しかったですし、すぐに行くつもりもありませんでした」
…なんだろう。ランサだけは頭を抱える姿が想像できる。笑顔で告げるエデ様に私は返す言葉を一瞬失う。
だけどその言葉と笑みから、意思の強さと揺るがない一面を見た気がして、ランサの妹だなって思う。こういうところは二人ともガドゥン様似なのかな?
「なので、お父様には「引退したのに私の嫁入りを待つと、辺境騎士団を完全にお兄様に託すのに時間がかかりますから先に隠居してください」と。引退するとお父様が仰ったその場ですぐそう言ったので、お父様も頷いてくださいました。それに、私がツェシャ領を出る日は来てくださったので、特に寂しくはありませんでした。するだろうと解っていましたので」
…エデ様は、ランサに全てを託すと決めたガドゥン様の考えに沿ったんだろうけど。ガドゥン様が言葉を失くす様が想像できてしまう。
うん。ガドゥン様の影響力は大きいだろうけど…。引退しても屋敷に居るとか。町で暮らすとか。口出ししない事はできたと思うけど。
だけどエデ様もランサも、御両親の穏やかな日常を選んだ。
思えば、ランサはそういう昔話はしない。…だからエデ様という妹がいることも知らなかったんだけど。
ランサに聞いた昔話なんて「子供の頃から剣を振っていた」ってことくらいかもしれない。後は…シルビ様から聞いた話だけ。
「…エデ様。ランサ様はどんな兄君ですか?」
私の問いにエデ様は少しだけ目を丸くして「お兄様?」と首を傾げた。そして少し考えるとゆっくりと話してくれた。
「優しい兄です。剣の鍛錬をして。時折別の事をしていて。そんな時に後ろをついていくと、いつも振り返って手を伸ばしてくれるんです。だんだんと騎士として過ごす時間が増えて、砦にも行くようになって。だけど帰って来れば本を読んでくれたり、一緒に勉強をしてくれて」
そんな二人を想像する。微笑ましくて笑みが浮かんだ。
エデ様の眼差しはその頃を思い出すような色をして。
ランサは子供の頃、剣を持つ事や重圧に苦しんでいただろうと、シルビ様は言っていた。気分転換にシルビ様は心を砕いた。それは今のランサの母への感謝にも繋がっていて。
同時に、妹の存在も大きかったのだろうなと、エデ様を知って思う。ランサは今もエデ様を大切に想っているから。
ランサの周りには家族が居て。直属隊の騎士がいて。国境警備隊の騎士がいて。
あぁ本当に――…良かった。
「これからはリーレイ様がいらっしゃるから心配いらないですね」
「そ、そうですか…? ありがとうございます」
「はい。お兄様をお願いしますね。お義姉様?」
「っ…!?」
意地悪な笑みで人の心臓に衝撃を与えて来るのは、兄と同じだ…。




