9,砦はいつも忙しいようです
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砦に差し入れを届け、やっと辺境伯様とも挨拶ができて、私は安心して屋敷へ戻る…つもりだった。
けれど、休憩なのか休んでいる騎士達に「御令嬢って馬に乗るんですね!」「ランサ様とどうですか!?」ってなんだか好奇心溢れる様子で囲まれたり、「ヴァンさんって言うんですね。手合わせしません?」「え、やだ」ってヴァンもすぐに囲まれたりしているうちに時間が流れてしまった。
仕事中なのに…と申し訳なさで溢れていたら辺境伯様がやって来て…
「リーレイ嬢。食堂で昼食にしないか?」
ってお誘い下さったり。思った以上に長い滞在になってしまっている。
砦の中には騎士達用の食堂がある。皆そこで昼食を頂くらしい。
騎士達の昼食時間は交代制らしくて、同じ時間に昼食を摂る騎士達は、どうしてか私達をほわほわと見つめている。少し居心地が悪い…。
「お嬢これって…世に言う珍獣現るってやつなんじゃ」
「誰が何? それヴァンもだからね」
「一緒にしないでください」
こっちの台詞!
ムッとするけど、ここでいつもみたいに言い合うわけにはいかないから堪える。
私の前で昼食を摂る辺境伯様は、スッと私へ視線を向ける。私がその視線に「何でしょう?」と食べ物を飲みこんでから問うと、空気を変えず答えて下さった。
「リーレイ嬢さえ良ければ、午後もここにいるといい。俺も後数日屋敷へ戻れそうにない。少々仕事が立て込んでいてな」
「……では、私は戻るべきではありませんか? ここにいては辺境伯様や皆様のお邪魔に…」
「だが、それでは互いの事を知る時間が減るだろう?」
…それはそうかもしれないけれど。
私にとって確かにそれは大事な事。だけど辺境伯様の最も大事な事はこの地で担うお役目のはず。
私は、そんな大事な事の邪魔だけはしたくない。
けれど、そう思う私の前で辺境伯様はフッと口端を上げた。
「なにも俺の傍に張り付いていてくれとは言わない。砦はこの地でも有数の重要な場所だ。リーレイ嬢には、俺の事を知ると同時にこの地の事も知ってほしいと、俺は思っている」
「それは私も知りたいと思っています」
「では決まりだ」
…決まりなのですね。分かりました。
同意を嬉しく思われているのか辺境伯様は笑みを浮かべている。
でも、同じ考えの一面を知る事ができて、私も嬉しい。
「全員。午後からもリーレイ嬢がいるから、よろしく頼むぞ」
「「勿論ですっ!」」
とっても綺麗な喜色のお返事が返ってきた。…少し吃驚した。
でも、歓迎してもらえてるという事かなと思うと、嬉しくもあった。
辺境伯様はヴィルドさんを連れて執務に戻られるらしい。「敷地内では好きにしてくれて構わない」というお言葉をいただき、私はヴァンを連れて砦の中を見て回る事にした。
砦の中には地下への通路があったけど、その前には騎士が立っていて止められた。辺境伯様の許可がないと下りられないらしい。
きっとお仕事上の大事な場所なんだろう。素直に諦める。
それから厨房の方へ行ってみた。
食堂の料理は専属の料理人が三人で作ってくれているそうで、一度の調理量がとても多いそう。大変な仕事だ。
「将軍は、普段は執務室で食事を摂られるんです。お忙しい方なので」
「提供する料理が遅いと文句を言う騎士もいたりした事があったのですが、将軍がすぐ指導されていましたよ。「彼らの仕事の邪魔をするな。俺達は客じゃない」って」
「あの時は泣きました…」
辺境伯様はそんな事を……。
聞いて屋敷のシスやディーゴを思った。彼らも辺境伯様を理解し、心から仕えていると感じられる。
それから資料室に入ってみた。
無数にある書棚には難しそうな本や紙の束が収まっている。そこにいた騎士が教えてくれた。
「過去にまで遡った衝突の戦歴は全て記録されています。最近はカランサ国の事も増えていますね。ランサ様もここで様々な資料に目を通されたり、執務室へ持って行かれたりしてます。全部頭に入ってるんじゃないですかね」
私が見ても理解が追いつきそうにない内容だろうな…。辺境伯様凄い…。
そして話をしてくれる皆、辺境伯様の事を話してくれる。
嬉しいけれど、辺境伯様はこれを知ったらどう思うんだろう…。聞いていいのか悪いのか。今の私には判断がつかない。
こういう時辺境伯様ならこうだろうな…って、そう考えられるようになるかな…。
砦の外、その横には見張り台が建っている。
全方位に警戒が出来るようになっていて、休む事無く見張りの目を光らせているらしい。これも大変な仕事だ。
他にもまだ教えてもらっていない建物や、見えないけれど他にも色々あるみたい。砦の敷地は広い。
そして、砦を挟んで街道とは逆に、騎士達の鍛錬場がある。
今もそこでは鍛錬をしている騎士達の姿がある。私が砦の壁の傍からその様子を見つめていると、気づいた方々がぺこりと頭を下げてくれるから、私も下げ返す。
本音を言うと……
「……剣の鍛錬、したい」
「いやー、流石に無理でしょう」
ガクリと項垂れた。そうだよね。
乗馬は良いと言ってもらえた。その理由には、貴族らしくなくて驚いた。
それにまるで、また戦が起こったら…と考えているようで、少しだけ胸が騒めいた。
その考えは多分『国境の番人』として正しいと思う。いつ何事が起こっても対処できるように、きっと色んな考えをされているんだろうと思う。
ここにいる騎士達もきっと同じ。もしもの有事を胸の中で危機意識として持っている。
それが、戦を経験し、今もこの地を守る方々の心の内。
その考えを知って、私は淡い期待を持ってしまった。
もしかしたら、剣も許してもらえるんじゃないか…と。
「ねぇヴァン」
「何です?」
「ヴァンは…妻になる人が私みたいな女性だったらどう思う?」
「嫌です」
「ヴァンは正直だね……」
もう座り込んでいいかな? ヴァンが正直なのは知ってるけど、もうちょっとこう……うん分かってる。空しい期待だって。
ガクリと項垂れる角度がさらに深くなった私にも、ヴァンはさらりとしたまま。
「だってお嬢の剣術、それこそ騎士並みじゃないですか。強い上に勝手に馬乗って駆けてく女性なんて、護衛で十分振り回されてますんで。ってか手一杯です」
「……そんな私が辺境伯様の婚約者になってしまいました」
「いやー。辺境伯様が不憫で不憫で。今はまだお嬢の仮面が功を奏してますけど」
「付け焼刃の仮面で悪かったね!」
分かってるからね! 毎度私の後ろでヴァンが「わーよく出来た丁寧お嬢仮面」って視線を向けてくる事は!
でもね。これは当然だと思う。
だって相手は、この国を守ってくれた方なんだから。実力もあり、貴族としても「特別」な位置にある。私だって礼儀は弁える。
「でもま、話の通じる方で良かったですね」
「…うん」
それは私もすぐに感じた。
辺境伯様はいきなりやって来た私もちゃんと見て、その言葉を聞いてくれる。そして自分の考えを伝えてくれる。そういう人で良かった…。
実際に会ってやっと分かる事が、今の私にはホッとした余裕をくれた。
だから、もう少し辺境伯様の事を知りたい。もっと話をしてみたい。そう思った。
「でも…やっぱり辺境伯様、私の事ティウィル公爵の娘だと思ってるのかな?」
「じゃないですか? 殿下から全部聞いててやってるなら、結構食えない人ですよ」
うーん…。少ししか話をしていない辺境伯様の様子を思い出す。
やっぱり殿下はお伝えしてないのかな? 何でだろう。どうせ私が話すと思ったのかな?
悶々と考えていると、少しだけ鍛錬場が騒がしくなった。
騎士の一人がやって来て皆さんと話をしたかと思うと、今度は数人が鍛錬場を出ていく。
どうしたんだろうと思って見ていると、今度は別の方向から声をかけられた。
「ティウィル御令嬢」
私達の所へやって来たのはヴィルドさん。少し急ぎ足のようでまっすぐやって来る。
その様子を見て、私も無意識に駆け寄った。
「何があったんですか?」
「国境沿いが少々野盗で騒がしくなりましたので、ランサ様が騎士を連れて向かわれます。御令嬢は屋敷へお戻りになられても結構との事ですが」
「いえ。ここにいます」
「…分かりました。そう伝えておきます」
「お気をつけて」
私の判断を聞くとヴィルドさんはすぐに戻っていく。その背中を見送ってぐっと拳をつくった。
その拳をもう片方の手でぎゅっと包む。
この地は、これほどに緊迫した空気を常に纏っているのだろうか…。
王都での平穏とは全く違う。そしてそれは、国境を守る人々がいるから、守られていた平穏。
何度感じても胸が痛む。
平穏を当たり前だと当然だと、守られているとも思っていなかった恥ずかしい内心が。なんて愚かなんだろうと思う。
「…やってけますか? お嬢」
少し心配そうないつもとは少し違う声。私はすぐ顔を上げ、ヴァンを見た。
「やるよ。出て行けと、辺境伯様に言われるまで」
全部解っていてここに来た。全て覚悟の上。
屋敷で私は心に決めた。だから逃げない。
例えこの地で、また戦が起ころうとも。
私の答えにヴァンはフッといつもの空気をみせた。
「んじゃ、婚約者って意識が持てたって事で。良かったですね」
「自覚がなかったのは否めないけど…」
「え、そうなんですか? あ、でも会ったのここ来て初めてなんですっけ? それはそうもなりますか」
……いつの間にかヴァンの隣にいる青年はどなたでしょう?
パチリと瞬いてその人を見る。
赤みの強い茶色の髪と明るい色の瞳。着ているのは騎士の隊服。年のころは辺境伯様と同じくらいにも見えるけど、顔つきのせいか若くも見える。
私がこの砦に来た時、私を囲んでいた気がする。
ヴァンが「おや?」って顔で青年を見てる。こら護衛。仕事しろとは言わないけど抜けてないかな?
私とヴァンの視線に、青年は「あ」と思い出したような顔をした。
「辺境伯直属隊所属、バールートです! ランサ様から御令嬢の護衛を命じられました。なので、よろしくお願いします!」
「…そうですか。ありがとうございます」
感謝すると「いえいえ」って頭に手を置く。
辺境伯様のお心遣いは嬉しいけれど、少し申し訳ない。野盗対応の方がずっと大事なはずなのに。
護衛ならヴァンがいるから問題ないのに…。
「御令嬢にはごゆっくりして頂くようにと言われてます。なので、何でも言ってくださいね」
「では一つ」
「何でしょう?」
指を立てた私に、バールートさんは首を傾げる。
そんな動きがなんだか幼い子供のように見えて、少しだけ微笑ましい。
「私の事はリーレイでお願いします。御令嬢じゃ、誰の事か分かりませんので」
「……了解です!」
一瞬驚いたような顔をして、すぐに二っと笑みを浮かべた。
騎士の皆さんは最初から好意的に接して下さっている。それは嬉しい。
けれどそれは、私が辺境伯様の婚約者だからだ。
それではいけないと、私は屋敷で知った。だから接してくれる人にはちゃんと、私として関係を築きたい。
それに、まだまだ私には意識が薄い。
それは多分、辺境伯様も私の事を知ると言って下さったから。私達は今お互いの事を知るための距離を保っている。
少なくとも悪いように思われていないだけ良い方だ。
だから、辺境伯様の心遣いが嬉しくて、少し痛い。