89,悩みと心配は尽きません
しばらくは忙しく、砦に泊まり込んでいたランサだけど、次第に屋敷に帰って来る日も増えて、一緒の時間を過ごせる日も増えた。
そしてやっと、「落ち着いた…」ってランサの言葉を聞く事ができた。あの時は「お疲れ様」って頭を下げて労った。ランサは本当に大変だ。
そしてある日。私はランサに呼ばれた。
行ってみると、部屋にはランサとヴィルドさん。そしてもう一つ目を引く物があった。それを見て私は瞬く。
テーブルに置かれた、数本の剣。
凝ったデザインの物から、シンプルな物。鞘に納まっているけれど長い物から短い物まで様々ある。
剣の展覧…? いや、それほどの数ではないけれど。
怪訝に首を傾げる私の手を引いて、ランサはソファに座る。
「これは…ランサの剣…?」
「いや。リーレイの剣を作らせたんだ」
「私の?」
ランサを見ると、確かにランサは頷いた。視線を剣に移した私はそのままヴィルドさんを見た。
少し驚いて。いきなりの事に戸惑って、助けを求めるように。
ヴィルドさんは私の視線にランサと同じように頷いた。
「ランサ様の提案でお作りしました。以前のようにヴァン殿と引き離されることがないとも限りません。それに、持っている実力はその時しかと発揮されるべきかと」
「そうですね…。ありがとうございます」
「いえ」
小さく頭を下げるヴィルドさんに感謝しながら、私はランサを見た。
ヴィルドさんの言葉に頷くランサも、変わらない目で私を見る。
「ありがとう、ランサ」
「いや。リーレイを守るための物だからな。好きなものを選んでくれ」
頷いて、私は剣を見た。
私の剣。素直に嬉しい。
それに、寛大で理解あるランサには本当に感謝が尽きない。
自分の剣なんて考えた事もなかった。作ろうとも思っていなかった。
だけど確かにいざという時にあるのはありがたい。
早速一振り、手に取ってみた。
♦*♦*
「抜いて見てもいい?」
「あぁ」
俺が用意した剣を、リーレイは一振りずつ吟味している。握った感触、心地。刃をじっと見つめ。重さも確かめる。
そんな真剣な様子に、俺はどうにも眉が下がってしまう。
リーレイが剣を使える事を知り、鍛錬相手をバールートとエレンに命じた。その鍛錬の様子は砦でも時折見る。
リーレイは腕がいい。ヴァンに鍛えられているだけあって騎士にもなれるだろう。…俺はさせないが。
剣を持たせるか否か、かなり悩んだ。
腕の良さだけで言うなら持たせた。だが、リーレイは行動的で危険にも駆けて行く事が考えられた。その時に剣を持っていれば、逆に迷いさえ抱かせず走らせるのではないかと…。
『いや。そこは変わらないと思います』
相談した時、ヴァンにはあっさりと言われた。…それもそうかと思ってしまった自分もいた。相談したはずが逆に心配が増えた。
剣を持たせれば必然、それを交える事が想定される。
その時、リーレイにもしもの事があれば…そう思った。だが逆に、先の一件のようにヴァンがいない、という事態もあり得なくはない。相手から都合よく剣を奪えるとも限らない。
それなら、最初から持っていた方が冷静に対処できる。
迷った。俺はかなり悩んだ。
バールートにもエレンにも意見を聞いた。二人は「いいんじゃないですか」とあっさりと頷いていたが。
思い出して内心息を吐く俺の後ろから、ヴァンがリーレイの邪魔にならない声量で話しかけてきた。
「持たせる事にしたんですか。王都に行く前に結構悩んでましたけど」
「あぁ。…こんなに悩んだのは久しぶりだ。リーレイだけだぞ、俺をこうも悩ませるのは…」
「でしょうね。他の御令嬢なら考えることのない悩みですし」
本当にそうだ…。他貴族の令嬢ならこんな事は考えない。
だが…。
俺が愛したのはリーレイだ。
馬を駆り、剣を振り。まっすぐ駆けて行く。今も真剣に剣を見ている、彼女だ。
馬を禁じ。剣も持たせず。俺の妻としての行動だけを求めて閉じ込めてしまうのは簡単だ。
だがそれでは、リーレイの心を守れない。
それに何より、駆け回るリーレイが俺は好きだ。
馬上で楽しそうにして。真剣に剣の鍛錬をして。他愛ない話に笑って。彼女のありのままを、俺は何より好ましく、愛しく思う。
だから俺は、俺に出来る限りをしてリーレイを守る。
剣を持たせる事を考えたのもそれが理由だ。
見つめる視線の先で、リーレイは「よし…」と一振りの剣を手に取った。
「この剣にしていい?」
「あぁ。…だが、俺達が使う長さと変わらないが、それでいいのか?」
リーレイが手に取ったのは騎士の物と同じ。それよりも短く、女性の力でも扱いやすい物も用意してあった。短剣くらいならいつでも持っていられると思ったんだが…。
だが、リーレイは「うん」と頷いた。
「ヴァンに鍛錬をつけてもらう時も、ずっとこの長さだったから。これが一番慣れてる。それにこの剣、他の物より少し軽いでしょう?」
「さすがだ。よく気付いたな」
「だって、ランサが私の為に作らせた物だもの。きっと私に合わせてるんだって思ったから」
…なんだその笑みと読みは。今すぐ抱きしめて口付けたくなるんだが。
俺の葛藤など知らないリーレイが、選んだ剣を握りしめた。
「これで私がもっと鍛錬を積んで強くなれば、ランサに心配かけなくて済むね。頑張る!」
「いやリーレイ、そうじゃない」
そうはならない。心配はどんな時も切り離せない。リーレイが励もうとするのは好ましいが、俺はリーレイのやる気に火をつけてしまったかもしれない…。
頭を抱える俺の耳には、遠慮なく笑うヴァンの声と「実力は鍛錬を積んでこそあるものですから」と他人事なヴィルドの声が聞こえる。…リーレイ。「ですよね」とヴィルドに同意しないでくれ。
「…リーレイ。鍛錬に励もうとするのは良いが。怪我には気を付けてくれ」
「大丈夫。少々くらいヴァンに鍛えられてるから」
「そうじゃない」
なぜ俺の心配が通じない。…リーレイ。「怪我くらい慣れてるから」じゃない。そうじゃない。
いくら怪我を承知で鍛錬を許して相手も命じてあるとはいえ、怪我くらいしてもいいとは思っていないんだ。いつも心配なんだ。
「…本当に、リーレイだけだな…」
「? 何が?」
悩まされて。心配になって。不安になって。気が気じゃない。
困る。あぁ本当に――…眩しさと愛しさを感じてしまうから。余計に困る。
俺は一つ息を吐いてリーレイを見た。
コテンと首を傾げているリーレイ。そんな姿を見て思う。
もしも二人だけで何事かがあった時、リーレイは迷わずその剣を抜くだろう。俺が守ると言っても、俺を守ろうとして。
守られるだけにならない。隣で同じものを背負おうとしてくれる。
俺はなんと、厄介で。悩みの種になる。弱さも強さも持つ女性に、捕まってしまったんだろう――
そう思うから。俺も捕まえたい。放したくない。――放せない。
改めて抱く感情を胸に、俺は話を戻す。
「領内ではいつでも好きに帯剣してくれていい。ただし、鍛錬はこれまで通り、刃を潰した剣か木剣でな」
「うん。分かった」
領内では恐らく、特段誰も何も言わないだろう。領民には寧ろ『将軍』の妻も剣を使うと知れれば、好意的に受け取られる。
貴族は知らん。披露する事などないだろうが、知られてもどうでもいい。
誰か何を言おうと、俺はリーレイの振る舞いを咎めない。
それにリーレイは、きっとそこは考えて振る舞う。…俺の事を考えて。
リーレイを傷つけるのならば相応の事は言わせてもらうが、それしきで俺は揺るがない自信がある。
リーレイが俺の事を考えてくれるなら。俺はリーレイの心を守る。――誰が相手でも。
胸に誓う俺の隣で、剣の鞘に触れたリーレイは静かに口を開いた。
「ツェシャ領に来る時は、剣はできないって思ってた。でも、ランサが受け入れてくれて。それにこんな贈り物までくれて。…ありがとう、ランサ。私のまま受け入れてくれて、ありがとう」
安心したような。喜ぶような。そんな笑みに俺は堪らずリーレイを引き寄せ、そっとその髪に口付けを落とした。
もしも、リーレイが俺でない男の元に行っていれば…。自分を押し込め、貴族として振る舞っていたのだろうか。
ティウィル公爵はリーレイのありのままを受け入れてくれる人を薦めていたようだが、目で見て初めて分かる態度もある。
そこまで考え、俺は考えを振り払った。
リーレイは俺の隣にいる。笑って。照れて。俺の婚約者として。
同時に頑張ろうとしてくれている。だから俺もリーレイの意見を聞き。ありのままに、したいようにしてほしいと思う。何よりもリーレイの為に。
…その為の寛容さと落ち着き、動じないという心構えは、もう少し身につけなければいけないかもしれないが。
そう思って無意識に笑みがこぼれた。
「ランサ?」
「いや。腹が据わるようにしろと俺に求めるのは、リーレイくらいだと思ってな」
「? 求めてないよ…?」
分からないという顔のリーレイだがそれはリーレイだけで、ヴァンもヴィルドも深く頷いている。
俺はこれでも一応、戦を経験した『闘将』なんだがな。そう思う程笑ってしまう。
「リーレイ。リーレイのまま。ありのまま。好きにしてくれ。俺は動じず見守ることにする」
「? うん…?」
ドンと構えて見守る。辺境騎士達にならできるが、リーレイ相手にまでする事になるとは。
やはり可笑しくて。リーレイだけで。俺は一層愛おしくてリーレイを引き寄せ笑った。
「ヴァン。ランサが変」
「大丈夫です。お嬢ってやっぱお嬢だなって、思い直してるだけなんで」
「何で?」




