85,気になっていた御方に会いました
目の前にあるランサの笑み。だけどいつもとはどこか違う。
二の句を継げなくなる私にも、ランサは空気を崩さない。
「それか…ティウィル公爵なら大喜びなさりそうだな。なにせ、リーレイをとても可愛がっているから」
「…そうだけど…それは…」
「他にリーレイに挨拶してくれた方で…あぁ。ガルポ様、ガル様とゼア様。それに…ダルク様もいいな。ダルク様なら仕事柄社交にも慣れていらっしゃる。ダルク様はどうだ?」
…おかしい。ランサが変だ。他の男と踊らないでって言ってたのに。
どういうつもりなのか分からない私の前で、ランサは「どうだ?」ってなぜかダルク様を薦めてくる。
「リーレイ様は…五家の御子息方とすでに良い仲なのですね」
「良いと言いますか…ご挨拶と少しお話をさせていただきました。…ダルク様とは少し長話をさせていただきましたが…」
「公爵家同士の交流も大切だと考えておられるのだろう」
心なしか、カーナル嬢の頬がピクリと動いた。
…私は何か気に障る事を言ったかな? それに、ランサは一体どういうつもりなんだろう…。
「あの。カーナル様…」
「ダンスは結構です。五家の御子息の手間を取らせるなんて、そのような事出来ませんわ」
「…そうですか」
「そうだな。リーレイ。俺も妬いてしまうから。俺以外とは踊らないで」
ランサへ視線を向けると、思っていた以上に距離が近くてびっくりした。
と、何を思ったのか私をぎゅっと引き寄せる。
「っ…!」
「カーナル嬢。この通り、リーレイは社交も頑張ってくれているでしょう? 私は彼女と婚約出来てとても幸せです。愛しい者ができて、己の役目も身の引き締まる思いです。なにせ、頑張り屋で、俺の力になろうと常に俺の事ばかり考えてくれる人なので」
「っ…!?」
なっ、何を言ってるの!?
自分の混乱が顔に出る。同時に羞恥が容量を超えて、顔が真っ赤になってポフンッと音をたてて湯気が出るのが分かった。
それを見たランサが、またどうしてかクスリと笑う。
…駄目だ。その顔は見ることができない。
「…それは、とても喜ばしいです」
「えぇ」
カーナル嬢の笑みは変わらなかった。だけど明らかに口許が引き攣っているのが分かる。
カーナル嬢は一つ礼をすると「それでは」と去って行った。
それを一瞥だけで見送ったランサは、腕を緩めてやっと解放してくれた。何とか離れるけれど、もう…恥ずかしすぎて顔が上がらないっ…!
「リーレイ」
笑み混じりに呼びかけられても、それに答えられそうにない。
酷い。恥ずかしい。どうして場を選んでくれないの…!
私は一体どれだけこの人に心臓を爆発させられればいいの…! いつか止まるっ…!
「ランサっ…君あんな事するなんて。よっぽどリーレイ嬢に惚れてるんだね」
「まぁな」
さらっとやめて!
もう顔を覆うしかない。そんな私に「大丈夫?」って笑みを含んだ声をかけてくれるのは、さっき一時退避したあの男性だ。
そんな彼は目が合うとニコリと微笑み、その視線をランサへ向けた。
「あんなに手酷く追い返さなくてもいいんじゃない?」
「ハッ。あの令嬢、元はローレン殿下の婚約者の座を狙っていた者だろう。しつこく未練を垂れ流して、セルケイ公爵家には過敏に反応する。あぁいう奴は近づけたくもない。それに…リーレイに対し一切の挨拶もない。そんな者へかける情けは持っていない」
「うん解るけど。暗に自分を選んだ方が権力的にいいぞって? 美しくないよね」
「お前でもそう思うか? というかお前、だから逃げたな」
「うんまぁね。僕は美しいものは好きだけど。あぁいうのは好きじゃないから。さっきの君みたいな立ち位置になると、人の美しさってよく分かる」
「全くだ」
お二人に交互に私の視線が動く。なんだか気心知れた同士みたい。
ランサもこの人に対しては素のままって感じがする。男性もそれまでとは一人称を変えた。…仲良いのかな?
「あの…」
「どうした?」
ランサの目が私を見る。それまでカーナル嬢に向けていた目とは明らかに違う、優しいあたたかな目。それだけで胸の奥のもやもやが消えていくのだから、不思議なものだと思う。
嬉しさや安堵に似た想いを抱きながら、私は目の前の二人を見た。
「…お二人は、お知り合いなのですか?」
「……お前。名乗っていないのか」
「うん」
「リーレイ。名乗らない不審人物は近づけてはいけない。離れよう」
「本当に離れようとしないで!?」
男性がランサを慌てて止める。名乗っていない男性にはランサも呆れの目を隠さない。…ちょっとは隠した方がいいと思う。
色々と考えたい事がある。頭の中が忙しい。何から言えばいいのかな…。
困惑する私に気付いたのか、ランサが男性にため息を向けた。その息を受けて男性は微笑みを浮かべて私を見る。
「自己紹介が遅れたね。改めまして。僕はシャルドゥカ。シャルドゥカ・シーラット」
その名前に私は目を瞠った。
知ってる。その名前を。
同時に思い出す。道理で見た事があると思った人だ。肖像画で見たんだから。
「シャルドゥカ・シーラット辺境伯様…!」
シーラット辺境伯様はニコリと微笑みを浮かべた。その様子にランサはやれやれと息を吐いた。
クンツェ辺境伯家ともう一家、シャグリット国では「特別」な辺境伯家。それが、シーラット辺境伯家。
治める領地はツェシャ領から真っすぐ西へ行った先。北に緋国、西に海がある領地を治めている。海上防衛の要。
「申し訳ありませんっ…。シーラット辺境伯様とは知らずっ…!」
「いいよ。気にしないで」
「そうだな。気にする必要などない」
…ランサ。君本当にシーラット辺境伯様には粗略じゃないかな?
私はそう思うけど、シーラット辺境伯様はクスクスと笑うだけ。
「僕としては、見たことないランサが見えて、とっても楽しかったし。この夜会に来た意味があったよ」
「…お前にだけはリーレイを会わせたくなかった」
「どうして? 僕は、美しくて強くて勇ましい君の美しい婚約者に会えて、こんなにも嬉しいのに」
シーラット辺境伯様は輝くようにランサに訴える。だけどランサはその顔を心底嫌そうに歪めるだけ。
肖像画を見ていた時に見た顔だ。…心底嫌ですって拒絶するヴァンみたいな顔。
「ねぇリーレイ嬢。ランサって屋敷でもこんな感じ? さっきみたいに誰にでもあぁいう事言っちゃうの?」
「っ…!」
「わお。ランサもそんな事するようになったんだね」
「俺は思っている事を伝えているだけだが?」
「それは分かる。僕も思ってる事はちゃんと伝える男だから」
このお二人、実は似ているのかな…?
流れるように会話を続ける二人を、私は交互に見つめた。
同じ役目を担う特別な辺境伯。だけど、それ以上に二人は親しいように見える。役目だけで繋がっていないと一目で分かる。
シーラット辺境伯様はランサよりも年上だ。だけどランサはそんなの関係ないように言葉が容赦ない。
こんなランサ、初めて見る…。
「ん? どうしたリーレイ」
見つめていると、ランサが私の視線に気付いて首を傾げた。
「…仲良いんですね。ランサ様のそんなお顔、初めて見ます」
「…そうか? まぁ確かに、コイツほどに会いたくない相手はいないから、顔は歪んでしまうかもしれない」
「いえそうではなくて…」
「え。そう? 美しいランサが僕にだけ見せてくれる顔があるなんて、それは嬉しいね」
…そういう事なんですか?
思わずシーラット辺境伯様を見るけどニコニコ笑顔で、ランサが顔を歪めてる。…うん。そういう顔は見ないけど。
ランサは私をシーラット辺境伯様に近づけたくないのか、ぴたりと寄り添っている。
…うん、会場内には他にも人がいるから恥ずかしい。
「あの…ランサ様…。少し離れて…」
「嫌だ。今夜で俺がいかにリーレイを愛し、他の令嬢など近づける気がないか見せつける」
「っ…!?」
ものすごく真面目な声でとんでもない事を言われた。がばりとランサを見るけれど平然としている。
…もう駄目だ。帰りたい。
「ランサはこうなるんだね。昔からは想像できなかったけど、流石は前クンツェ辺境伯様の血だね」
「普通だろう?」
「うん。僕もそう思うんだけど。他者にとっては違うらしいよ? ほら」
シーラット辺境伯様に示されたランサの視線を受けながら、私は顔を覆っているしかできなかった。




