82,兄同然と姉妹同然なのです
私はリランと一緒に大人しく待っている。
父様も居てくれたんだけど、すぐに知り合いの文官か貴族かに引かれていった。大変だ…。
私達二人だけになると途端、周りからの視線を強烈に感じた。
…この夜会で目立っているからというのもあるだろう。だけどそれとはまた違うような…値踏みするような視線も感じる。
「お姉様。…その、御令嬢方の視線が」
「怖い…」
「皆様、お義兄様とお近づきになりたいのでしょうね。若くご立派な方ですから」
突き刺さって来る。これが社交…。戦場だ。改めて認識する。怖い…。
それと同時に、男性方の視線も感じる。家名狙いか。縁が欲しいのか。覚えてもらいたいのか…。色々と感じる。これらからはリランを守らないと。
このままこうしてるとダンスにでも誘われそうだ…。
そう思ってると、
「全く…。お前達二人だけか」
「ラグン様」
従兄という救いがやって来てくれた。
少々ため息交じりだけどホッとするお姿で、私もリランも安堵の息を吐いた。
「伯父上は…あちらか。クンツェ辺境伯は?」
「アーグン将軍と騎士団の皆様の方へ」
「成程。で、二人で場に慣れようとしているわけか」
ラグン様にはお見通しみたい。やれやれって少し肩を竦めた。
そんな姿を見る。
ラグン様はまだ婚約者もいない身だ。ティウィル公爵家の次期当主として、勿論跡取りなんかの事は考えておられるだろうけど、そういうお話は聞いた事もない。
選ぶのも大変なのかな?
そう思っていると、ラグン様は私達を見て不意に目を柔らかくさせた。
「久しい者を連れてきたぞ」
「え…」
「こんばんは。リーレイ。リラン」
ラグン様の後ろからひょいと顔を出した一人の女性。長い黒髪と、濃い茶色の瞳。ニコリと浮かぶ笑みが懐かしい。
その姿に私もリランも驚いて、喜色の声が出た。
「スイ様…!」
ラグン様の妹、スイ様だ。もう三年ほど会っていなかった相手に、懐かしさと嬉しさでいっぱいになる。
そんな私達をラグン様も少し口角を上げて見守っている。
「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「勿論。二人も元気そうで良かった。ヴァンも元気?」
「はい。今頃欠伸してると思います」
もう一人の家族の話をすると、スイ様も容易に想像できたのかクスクスと喉を震わせた。
ここにヴァンがいたら、きっと皆で笑って話ができているのに…。少し寂しいな。
「二人とも、不正を暴く手伝いをしたんですって? さすがだわ」
「いえっそんな…! ラグン様にも少々ご迷惑をかけてしまって…」
「あら。いいんじゃないかしら? 兄様だって使える人だもの」
「スイ…」
あ、ラグン様が額に手を当てた。そんな姿に三人でクスリと笑う。
スイ様は慣れたもので、その綺麗な髪をさらりとこぼしながらラグン様を見上げる。
「兄様。何かお困りかしら?」
「あぁ困る。本当にお前達は手のかかる妹だ」
「あら。では私達はとっても頼もしい兄が居るってことね」
「そうですね」
スイ様とリランがクスクスと笑う。やれやれと言いながらもラグン様の目は優しい。それが分かるから私も嬉しい。
ラグン様とスイ様。二人は父と伯父に似て仲の良い兄妹だ。
私達家族は、叔父様がティウィル公爵家の当主になってから領地の屋敷を訪れるようになり、それから二人との交流が始まった。出会った頃は、スイ様のドレスや所作に何度も感嘆した。
二人は、平民同然の私達にも気にした風なく優しくて、親しい友であり、家族として接してくれた。だから私とリランは、ラグン様を兄のように、スイ様を姉のように思う。…スイ様は私の一つ年下だけど、私よりずっと大人びてるから。
クスクスと笑っていたスイ様は、その視線を私に向けた。
「リーレイ。クンツェ辺境伯様と婚約したのですってね。驚いたわ」
「はい」
「どんな御方? 社交界にはあまりお姿を見せなくて。それにここ六年は務めに当たっておられたから…。少し気になっているの」
「そうですね…」
ランサは社交の場には必要だけであまり出ない。それに、婚約者として近づける、そうなれる年齢の頃に戦があって、社交の場にも出て来なかった。
そういう事があったから、六年振りで婚約者連れ。というのが目立っているんだろうな。
「陛下や殿下への忠に厚く。信頼に応え、役目を全うする一途な御方です。己に厳しく、騎士達にも厳しい。けれど気さくなところもあって、視野が広く、騎士達の言葉一つひとつにも耳を傾け、まっすぐ言葉を交わすことを大切にされていると見えます。ツェシャ領の騎士達は皆が慕う『将軍』です」
「もうっ。それもだけれど、そうじゃなくてね」
「…違いましたか?」
私、何か間違った事を言ったかな? 思わず自分の言葉を考え直す。
贔屓目…はしていないと思うけど。ランサと言う人について思い浮かぶ事を言ったつもりで…。
思わず思案する私の隣でリランがクスクスと笑い、ラグン様が息を吐いた。
「お姉様。スイ様はお義兄様の普段の御様子をお知りになりたいのだと思います」
「そうよ。リーレイったら」
「…すみません。えーっと普段のランサ様は…」
リランに言われ考え直す。
普段…。普段のランサは…。砦で役目をこなして、屋敷では領地の事をして。
「…使用人達と家族のようで。とても慕われています。よく…笑われますし。心が広くて」
言葉はいつもまっすぐで。惜しみなく想いを伝えてくれて。
剣を振る真剣な眼差しが鋭くて強くて。でも優しく柔らかくもなって。その笑みを向けられると嬉しくて…。
私の大切なものにも心を傾けてくれて。力になってくれて。
「ですが…時々意地悪です」
「あら。でもその顔、嫌ではないのかしら?」
「…嫌です」
「本当?」
クスクスとスイ様が笑っている。…その顔から視線を逸らした。
ランサは、私が「嫌だ」って言えない意地悪をするから。だから困って。恥ずかしい。…だから嫌なのに。心臓が煩くなって仕方ない。
私はフルフルと首を横に振ると、スイ様を見て話を変えた。
「スイ様こそ、御夫君はどちらに?」
「今は父様と話してるの。私は二人に会いたかったから抜けてきたの。後で紹介するわ」
「夫を置いて従妹の元に来る奴があるか」
「あらいますわ。ここに。それに、従妹ではなくて、姉妹同然の従妹ですもの。ね? 兄同然の兄様?」
「分かった分かった」
スイ様にはラグン様もあれこれと言い返さない。すぐにそう言って降参なのか放任なのかという声を向ける。それでもスイ様はクスクスと笑って。
宰相として素晴らしい手腕を発揮されるラグン様も、妹には手を焼いているのかと思うと微笑ましい。
スイ様は侯爵家の御子息の元に輿入れなさった。叔父様泣く泣くの政略的なものだったそうだけど、スイ様は持ち前の度量と度胸を持って婚約中に積極的に交流し、今では良い関係を築いている。と、季節毎に贈り物と手紙をやりとりしている父様から聞いた。
「だけど、辺境伯との婚約なんて、よく父様が良しとしたわね」
「父上以前に伯父上が了承したからな」
「それは…父様は何も言えないわね。ふふっ。伯父様には相変わらずなの?」
「変わると思うか?」
「いいえ露ほども」
流石お二人は分かっていらっしゃる。
ラグン様は少々呆れ気味だけど、スイ様はクスクスと笑うばかり。二人とも父兄弟の関係をいつも好ましく見ているから。勿論私とリランも。
「私の婚約もかなり悩んでいたもの。リーレイのは…泣いたかしら?」
「お前の時もな」
「リランは?」
「叔父様から候補者は何人か薦められています」
「もうっ父様。先に兄様を決めるべきだと思わない? 二人とも」
「「思います」」
「…お前達は」
ラグン様、何度目かのため息。私達の視線に「色々あるんだ…」と小さな御声が返って来た。
やっぱりラグン様。大変みたい。
ラグン様はティウィル公爵家の跡取り。それに現宰相閣下。若くして才能あふれるラグン様に近づきたい女性は多いだろう。
だからこそ、ラグン様も苦労なさっているんだと思う。相手を選ぶのは簡単じゃないから。条件もあるだろうし…。
「ラグン様にも、ラグン様を想い、御力になってくださる女性に隣に立ってほしいですね…」
「当然。妙な女は近づけないでね兄様。兄様の足を引っ張り邪魔する者は駄目よ」
「ラグン様は常に毅然と力が入っていらっしゃいますから、時に力を抜けるお相手がよいと思います」
「…そうか」
「そうです。なんなら今から妹達で候補者を見繕っても…」
「それはやめろ。しなくていい」
スイ様、やる気だった言葉をラグン様に遮られる。…あ、本気だったみたいでちょっと拗ねた。
「お前達の気持ちはありがたく受け取っておく。大丈夫だ」
「…ならいいですけれど」
少し頬を膨らませたスイ様に、ラグン様は少し頬を緩めた。兄妹らしい光景に微笑ましさを感じる。
だけどスイ様は、すぐにそのやる気をリランに向けた。
「リラン。貴女の候補者を見に行きましょう」
「え…。ですが私はお義兄様がお戻りになられるまでここに…」
「…リラン。俺がいる。行ってこい。お前の為でもある。クンツェ辺境伯には俺から言っておこう」
「うん。行ってきて、リラン。スイ様、リランをお願いします」
眉を下げたリランだけど、スイ様に手を引かれて離れて行った。そんな二人は本当に姉妹みたい。
スイ様が御一緒なら心配ない。リランも良い方と出会えるといいな。
「リーレイ。スイが勝手で悪いな」
「いえ。緊張も忘れるくらい楽しくて。お久しぶりで嬉しかったです」
「そうか」
そう言うラグン様も、心なしか嬉しそうな楽しそうな目をされていた。




