80,いざ。戦場へ!
それからの一週間はあっという間に過ぎた。
私は屋敷のメイド達にあっという間に着替えさせられ化粧をされ髪を結われ…。されるがままの体勢を保ち続けていた。
そして準備が終わって鏡を見る。けど…これ本当に私かな?
化粧は薄めにされて普段と大差はないように見える。…素人目だけど。でも唇の赤を見ると化粧されてる感じがする。黒髪は綺麗に、だけど飾り立てるような事はなく結われた。飾りはシンプルな銀細工で、皆さんそれを見てどうしてかニコニコしていた。
今回の為に持って来たドレスは、屋敷のメイド達から「絶対にこれです!」って押しに押された、澄んだ青色のドレス。
これはツェシャ領の町、ツァットにある衣裳店、ホルクさんとデニシャさんが仕立ててくれたもの。ランサが選んでくれた生地のもの。
上質な生地と派手にしない意匠。腕なんかの肌が見えるのは仕方ないけれど、傷痕があるから少し困った。
そしたら、メイド達はまるで承知済みのように、ポンポンッと何かの粉のようなものを振ってくれた。それのおかげで傷痕は見えない。
『化粧はこういう事でも使えるのですよ。…実は、ランサ様から、リーレイ様は剣をなされるとお聞きしておりまして。必要になるかと』
『ありがとうございます』
嬉しい心遣いだった。
ランサには肌の傷なんて言った事は無い。だけど解っていたんだろう。…少しくすぐったい気持ちになる。
準備を終えた私は、すぐにランサ達の元へ向かった。靴が…動き辛い。こけないように気を付けないと。
すでにランサも、ガドゥン様もシルビ様もいらっしゃった。
「お待たせしました」
皆様すぐに私を見る。私も思わず皆様を見て吐息がこぼれた。
ガドゥン様の礼装。普段見る武人特有の空気が消え、貴族として品と威厳が感じられる。引き締まったお身体にその服はとても似合う。
隣に寄り添うシルビ様もお美しい。艶やかな黒髪は綺麗にまとめられ、落ち着いた色合いのドレスがガドゥン様のお隣で違和感なく混ざり合っている。
それに…普段の隊服やラフな格好ばかり見ていた、ランサの礼装。その服には、ガドゥン様と同じように銀色の光がある。
漆黒の髪の合間に見える銀色の瞳。鋭くも柔らかい。その目が私を見て、かちりと視線が合うとドキリとする。
あぁ…。格好良いな。
こんな人の隣に、私は立つんだ…。
言葉の出ない私の前にやって来たランサは、そっと跪くと私の手を取った。
「リーレイ。俺に見惚れてくれていたのか?」
「っ……うんっ」
「それは嬉しいな。俺も見惚れた。やはりリーレイにこの澄んだ青色はよく似合っているし、銀色の髪飾りも黒い髪によく映えている。注文通り、リーレイを引き立ててくれるドレスと装飾だ。静かで広大な自然の中に美しく咲く青い花のようだ。ありきたりな言葉だが、とても美しいよ。俺の婚約者」
顔から湯気が出るのがよく分かった。
ランサは褒めすぎだ。ドレスに着られてるだけの私なのに。それに化粧のおかげだし…。
私よりも遥かに上品なシルビ様の方がとてもお綺麗だと思う。
「んじゃ行くか」
クツクツと笑っていたガドゥン様が出発を告げた。
王城の一角。社交の場に使われるそこに私達はやって来た。
社交の場では、会場への入場にも順番がある。辺境伯家は少々後で、最後は王家の方々。私達はその時が来るまで少し控えの間で待つことになった。
お、落ち着かない…。今日は本当に傍に居るのはランサだけ。従者であるヴァンや騎士であるバールートさんもソルニャンさんも会場には入れない。
ランサが離れてしまうと私はぽつんと一人。怖い…。そして落ち着かない。
「リーレイ。緊張しなくていい」
「でも…」
「なら。これを見てみないか?」
そう言うランサに手を引かれ壁の傍へ行くと、ランサは飾られた絵を指差した。それを見て私も目を瞠る。
一枚の大きな絵。描かれているのは三人の人物。
一人は真ん中で玉座に座る男性。王陛下だろうその方の両脇に立つ二人の男性。
まるで、王を。国を。守護する二振りの剣のよう。
一人は、白銀の瞳と黒い髪をもつ男性。冷たくも見える鋭い目で前を見据えている。見覚えのある黒い鞘の剣の柄頭に手を置き、立っている。
一人は、白い髪と青い瞳をもつ男性。微かに上がっている口角は鋭さよりも柔らかな印象を与える。白い鞘の似た剣の柄頭に手を置いて同じように立っている。
「これは…王と辺境伯…?」
「あぁ。あの剣を拝受した時のものだ」
「じゃあ、この二人があの歴史の辺境伯? 両家の先祖?」
「そうだ」
大きな反乱を押さえ、国の復興と発展に貢献した二人の当主。王を支え、国を守る忠を誓った二人。
彼らに挟まれた王は、どこか優しい人のように見える。二家の当主にとってこの王はどんな御方だったんだろう…。
「この絵はレプリカで、本物は王家が大切に保管しているがな」
ランサは今、先祖の。始まりともいえるこの絵を見て。何を感じているんだろう…。
絵画をじっと見るランサをちらりと見ても、そのまっすぐな瞳は絵画から動かない。
同じように絵画を見て、私はふと思い至る。
「ランサ」
「ん?」
「今夜はもう一家の辺境伯家も来るよね? どんな御方?」
「……アイツか」
…おかしいな。辺境伯として絵画を見ていたランサの目が、急にただの青年のものになった。
それに顔が。すごく嫌だってものになってる。会いたくなさそうに見える。
「…ランサ。ヴァンみたいな顔」
「…それは分かり易い表現だな」
妙に納得顔で、思わずフッと笑ってしまった。
こんなにあからさまな顔をするなんて、ランサには見たことがない。新鮮で新発見でちょっと嬉しい。
ここしばらくダンスの練習で聞く余裕がなかった。お会いする前に少しでも聞いておきたい。
そう思うけど、ランサはしばし顔を歪めたまま。
「ランサ…? 仲悪い…?」
「そんな事は無い。腕は確かだし信頼できる奴だ」
流石もう一家の辺境伯。ランサと同じ『将軍』はランサも認める実力者みたい。
キュッと眉を寄せたランサに問い続けづらくて、私は少し困ってガドゥン様を見た。ソファに座っているガドゥン様は私達の会話が聞こえているのか、クツクツと喉を震わせていた。
「ガドゥン様。もう一家の辺境伯様はその…何かランサと問題でも…?」
「問題といや問題がなくもない。気にすんな」
あるのに気にするなってどう言う事ですか!?
ギョッとする私にもガドゥン様もシルビ様もクスクスと笑う。
「ただのランサの個人的な問題だ。どうせアイツから寄って来るだろうから気にすんな」
「ふふっ。ガドゥン様やランサと同じように、役目に忠を持っていらっしゃる方ですよ」
「そう、なのですか…」
ランサが個人的に顔を歪める相手…。駄目だ想像できない。今までそんな人見たことない。
いつだってランサは、風格と鷹揚さを持って騎士達や領民と接していたから。
私が一人頭を捻っていると、城の方に呼ばれ会場入りする事になった。
緊張しながらも「よし」っと自分に気合を入れる。そんな私にランサはそっとエスコートの体勢を取ってくれるから、私もそっと手を添えた。
今回、クンツェ辺境伯家の会場入りは、ランサと私が先頭だ。引退したガドゥン様とシルビ様は一歩下がっている。
「リーレイ」
すぐ傍からかけられる声に視線を上げる。ランサの優しい目がじっと私を見ていた。
「君の初めての社交界。その隣に立てて俺は幸せだ。どうかこの栄誉、生涯俺だけに与えて欲しい」
「っ…私も…私も幸せだよ。初めてで緊張もするし、少し怖いけど。でも…ランサが居てくれるなら、頑張れる」
ふわりと浮かべてくれる笑みが、私の全身に沁み渡る。
この人が隣に居てくれる。それだけで私は頑張れる。
幸せも喜びも頼もしさも緊張も抱いて、私は会場へ足を踏み入れた。
会場に咲く色とりどりのドレス。向けられる様々な視線。
でも大丈夫。なによりも頼もしい味方が居てくれるから。
「…ふぅ」
「大丈夫か?」
「うん…」
会場入りするだけで疲弊した。視線が恐い。突き刺さって来る。
会場にいる貴族は皆、一週間前の御前試合も観戦していたのか、すでにランサに視線を向けている。…同時に私の事も。
コソコソと「公爵家の席の…」って聞こえるからそろそろバレてるかも…。
公爵家が会場入りしてくる。五家それぞれの当主や御子息がいらっしゃる。アーグン将軍もいた。
そして、ティウィル公爵家の中には、父様と父様にエスコートされるリランも。
リランの淡い色のドレスは控えめな意匠で、それでいて可憐で可愛い。思わず「ランサっ、リランが可愛い」って言うと、ランサは笑みをこぼして「そうだな。だが俺にはリーレイの方が綺麗に見える」って言われた。…恥ずかしい。
そして私は見た。父様を二度見する方々や。開いた口が閉じられない人がいるのを。
…城の文官さんかな。心臓に悪い衝撃を与えたようで娘として申し訳ない。
そしてすぐ、王家の方々がいらした。
レイゲン国王陛下とゼティカ王妃殿下。ローレン王太子殿下と、御婚約者のレイウィ・セルケイ様。ギルベル第二王子殿下とミギャ王女殿下。
すぐに楽団が楽を奏で、王家の方々のダンスが始まる。…感想はもう、圧倒される以外のものが出ない。今の私には出来ない腕前です、はい。
ダンスの終わりは盛大な拍手で賞賛が贈られた。
公爵家や侯爵家がダンスを続け、次第に皆様も踊られる。
…のだけど、ティウィル公爵家は幾人かの貴族に囲まれていた。
「おや。彼は誰かと? 私の兄のディルク・ティウィルです」
「「兄!?」」
「えぇ。民と共に生活し、その苦労や喜びを分かち合い、陛下のお力になれればと屋敷を離れておりまして…。心優しく誇り高い兄はこれまでこういう場を好まず、私も兄を尊重しておりました」
…叔父様のお言葉がとても滑らかだ。
見ていて何とも言えない。ラグン様も別の男性から色々と声をかけられている。
「デ…ディルク殿…いや。ディルク様は金番の…」
「えぇ。金番室長をしております。あまり家名を出してしまうのは陛下の御意思に反する事ですので」
「彼女はリラン・ティウィル。伯父の娘です」
「お初にお目にかかります」
リランも大変だ…。駆け寄ってあげたい。
そう思うけど「リーレイは駄目だ」ってランサに止められる。
そんな囲みの中でハッとした男性が一人。
「ディルク様が例の不正を発見したというのは、やはりそうだったのかっ…! 証拠をまとめたのはご息女との事でしたが、確かもう一方…」
「えぇおりますよ。この子と同じ優秀な私の姪がもう一人。ただ…彼女はしばらく前に婚約しまして…」
「婚約…。! もしやあの噂の…!」
がばりと囲む貴族方の視線がこっちを見た。ビクリと肩が跳ねる。
と、隣から「…成程な」って冷静なランサの御声がかかる。
ランサはすでに御前試合で注目を集めていた。当然この会場内でも目立っている。
そんな中、叔父様は肝を伏せた噂を流し、意味ありげな私の紹介をした。わざとだ。
一気に、父様と私とリランを、この場の中心にした。
分かる。これも侮られない事、ティウィル公爵家の立ち位置を示すものだと。
「上手くやる。身内の可愛がりだけじゃねぇな。身を引き締めろってか」
「戦が終わって六年振りでは、どうしても注目されますから。周囲のガス抜きですね。それに辺境伯への熱を戻させるためか…」
「注目の的である辺境伯にわざと注目を集めさせることで、王家への忠を盾にした封じ込め…。流石ティウィル公爵ですね」
「俺はそもそも目立ちたくはないんですが…」
「無理だろ、『闘将』」
「真綿の首絞めですか…」
…クンツェ辺境伯家の皆様。どうしてそんなに冷静なのですか…? 私がビクついているだけでしょうか…?
向けられる視線にぎこちない笑みが浮かぶ。するとすぐに他家の方々が声をかけてきた。
「クンツェ辺境伯。前辺境伯。いやお久しぶりです」
「お久しぶりです。サルゲン伯爵」
「五年…六年振りでしょうか…。して、こちらが噂の…?」
「私の婚約者です。こういう場は初めてで、お手柔らかに」
「お初にお目にかかります。リーレイ・ティウィルと申します」
淑女の礼を披露すると、やはり周囲で一瞬どよめきが走る。…大丈夫。微笑みは絶やさない。落ち着け。できる。
「ティウィル公爵の姪子さん…。ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「いやはや、先は御父君と不正を暴いたとか…。素晴らしい方ですな」
「いえ。私は父の助けを少ししただけで。さほどではありません」
心臓がバクバク煩いけれど、なんとかこなす。
ランサもガドゥン様も声をかけられ、堂々とした様子で答えている。が、頑張らなければ…。




