78,赤毛の獣に連行されます
「そうかいそうかい。そりゃ、わざわざ悪いな」
アーグン将軍はひとしきり笑うと、笑いすぎて浮かんだ涙をそのままに私を見た。それでもやっぱりクツクツ笑いは収まっていない。
…とりあえず、良かった?
立ち上がりながら「良い思い付き」ってヴァンがこっそり褒めてくれた。ちょっと嬉しい。
少しホッとした私は視線をジャンに戻す。
「ジャン。私、アーグン将軍とお話があるから」
「あ、いやっ…お前。騎士団長は五大公爵家の御子息だぞ。それなのに平民のお前が…」
「あら。城では家格で役職が与えられるの? 平民の貴方だって騎士の端くれでしょう?」
「それは…。だけどな。家格を無視するわけにはいかねぇよ。公爵家は代々王家と国を支えてきた立派な家なんだ」
「知ってるわ。だけどアーグン将軍は、平民のヴァンを認めてくれた御方だもの。家格には相応の敬意をはらい、先人とアーグン将軍の功を称え、そしてお話します」
…淑女らしくと思っていたのに、なんだかおかしくなってないかな? 合ってる?
アーグン将軍は堅苦しいのは嫌いだと仰られた。そして今の城には、身分に関係なく能力あるものを登用する陛下の御意思がある。
下手をすれば貴族や公爵家からも反発が出そうなその仕組み。そうならないのは公爵家が率先して従い、同時に能力と家格をどこよりも示しているから。
何より、バールートさんと全力で勝負をする御方。身分に胡坐をかくなら、八百長を考えてもおかしくない。だけどそんな様子は一切なかった。
誰よりもまっすぐで。誰よりも武を誇り。小細工なんて望まない。
そういう方ではないかと思ったから。
言葉を失くしたジャンとは違い、アーグン将軍はまた笑う。
「騎士団長…」
「おう、いいいい。こういう気持ちの良い人は好きだ。言葉通り、立場と俺を切り離さずも混ぜて見ない目もな」
ニッと笑みを浮かべるアーグン将軍に、私も少しホッとして笑みが浮かぶ。
そんな私を見て、アーグン将軍は視線をジャンへ向けた。
「おいジャン。話の続きがあるなら待ってやるが、どうだ?」
「どう…と言いましても…」
「アーグン将軍。彼は…結婚できないだろうと思っていた私が婚約した事に、もう揶揄えなくなると不満があるのです。ですので、続けるほどの話ではございません」
「不満ねぇ…」
アーグン将軍がジャンを見る。と、ジャンは言葉に詰まった様子で「なっ、なんでもないです!」って不自然なくらい声を張り上げた。そのまま眉を吊り上げて私を見る。
「じゃっ、じゃあな! 出しゃばってるままならどうせすぐ解消されるわ!」
「されないわよ!」
走って逃亡するジャンの最後の嫌味に、思わず怒り返した。
全く。昔から変わらない奴だな。
ふんっと息を吐いてると、どうしてか傍の二人から笑い声が聞こえた。見てみると揃って笑いを堪えてる。
どうしてかな…?
「お嬢って本当…。だから縁無しって言われるんですよ」
「アイツもアイツだが。察する事もねぇな。アンタは」
「どういう意味でしょう?」
「何でもないです」
「何でもねぇよ」
さっきまで捕まえ捕まっていた同士とは思えない揃ったお言葉。…なんだかちょっとムッとする。
けれど、フッと息を吐いたアーグン将軍は改めてその身を私に向けた。
「んで。本当の用件は何だったんだ?」
「バレてる…」
「当然だ。俺を出しにするとは良い度胸じゃねぇか」
「失礼いたしました」
ぺこりと頭を下げれば、アーグン将軍は「構わねぇよ」と気さくな一言で許して下さった。
アーグン将軍が騎士棟へ向かって歩き出すから、私とヴァンも後に続く。
「ランサ様をお迎えに来たのです。そしたらジャンに会って…」
「んで。素性がバレることも婚約者が誰かも言わねぇよう、なんとかしようとしたって事か」
「はい」
御存知のアーグン将軍には、私の考えはすぐに読めるみたい。流石だ。
そう思って半歩前を歩くお姿を見る。
アーグン将軍はアーグン公爵家の御子息だ。だけど次男で、家督は長男である兄君が継ぐらしい。
だから自身は武の道を選び、騎士団長としてその役目に務めている。だからこうも貴族という空気よりも、武人である空気が強いのかな…。
「お迎えなら辺境伯を連れて来てやりてぇところだが。今は騎士団と近衛に囲まれて無理だな。帰るのは後になるぜ」
「そうですか…。ではやはり私は先に…」
「来るか? 慰労会」
「……はい?」
先に帰ろうかと思ったのに、まさかの御提案。一瞬理解が追いつかなくて、ぱちりと瞬いてアーグン将軍を見る。
けれど、どうやら本気らしい。ニヤリと上がった口端が偽りなわけがない。
「いえ…。家族も立ち入れない所にこんな女が一人来たとなると、さすがにおかしく…」
「俺の知り合いの令嬢って事にしといてやるよ」
いえ、それはあながち間違ってはいないんですが…。
でもそこへ行くとランサもいるし。話に乗ってはくれると思うけど…。
「行くぞ」
「え、あ、はいっ…」
ずんずんと進むアーグン将軍。私に断ると言う選択肢はないみたいで、追いかけるしかなかった。
だけどどうしよう…。あまりにもいきなりすぎて心の準備が。
そう思っているのは私だけで、アーグン将軍の足はあっという間に騎士棟と近衛棟の前にある広場に辿り着いた。
「おいお前ら!」
賑わう皆様の元へ足を向けながら、アーグン将軍は声を張り上げる。傍に居て少しびっくりしてしまった。
「俺の知り合いの令嬢だ! 混ぜてやってくれ!」
いきなりの将軍と令嬢の登場に、皆様の視線が集まってしまって非常に居心地が悪い。
しかも、ランサもバールートさんも驚いて目を丸くしている。無理もないけど…。ざっと見てもさっきいたジャンの姿はない。少しホッとした。
だけど流石騎士なのか、皆様はすぐに驚きから立ち戻った。
「おぉおぉ! 入って入って!」
「団長いないと思ったら令嬢連れて来るとか…何ですかそれ!」
「食いモンあるけど食べます? あ、どれがいい?」
…どうしてか皆様に歓迎されてしまった。いいんでしょうか…?
歓迎に感謝したいし。言っておきたい言葉もあるし。とりあえず忙しい。
ひとまずランサに何か言った方がいいかなと思っていたけれど、すぐに騎士達に「こっちこっち」と引かれてしまう。
「えーっと…」
「いいから気にしないで。あ。肉食べる? それとも手軽にサンドイッチとか?」
「あ、それがいいです…」
「団長の知り合いってことは貴族だよね? あ。ですよね、か。もしかして御前試合も見に来てたんですか?」
「はい。どうぞ、接しやすいようにで構いません。皆様素晴らしい試合でした。日々の鍛錬をいかに真剣になされているか感じられて、とても頼もしく思いました」
「「ありがとうございます!」」
…貴族の令嬢として接されるのは少し慣れない。だけどそうされるのは重みもある。
それを感じながら、皆様のお言葉一つひとつを聞き、返すようにした。
♦*♦*
「…あのー、ランサ様? 視線が恐いです」
「視線で射殺すって、こういうの言うんですかねー。向こうの方々が気付かない事を祈りましょう。気付いたら終わりですから」
傍で何やら言っているが、そんな事は耳に入らない。それよりも眼前の光景が問題だ。
騎士団や近衛の騎士に囲まれているリーレイ。いきなり囲まれたので仕方ないが、それでもリーレイは騎士達一人一人の言葉を聞き、返している。
リーレイは優しい。それが彼女の良い所だ。…なんだが。
「アーグン将軍。なぜ彼女をここに」
リーレイや騎士達から離れたアーグン将軍を見る。
のんびりとこちらへやって来て、俺にニッと笑みを向けた。
「さっき会ったんだ。ヴァンを見つけて捕まえてみりゃ居てな。せっかくだ。いいだろ?」
「騎士団長。面白がってんだろう?」
父上の言葉にアーグン将軍は否定を紡がず喉を震わせる。
それを見て自分でも眉間に皺が寄るのが分かった。「あらー」とヴァンとバールートが声を揃えている。が、俺はギロリとヴァンを見た。
「護衛。なぜ身を挺してリーレイを守らない」
「首を挺しました。守った結果です。危機を察知してすぐ逃げなかった俺はよくやりました」
「あー…。ガドゥン様の時は逃げに迷いがなかったですもんね…」
城内にヴァンだけでは駄目だな。今後は別の者をつけよう。それならヴァンを犠牲にリーレイを守れる。
結論に至った俺の傍では「何か今度は死にそうな予感…」「頑張って」とヴァンとバールートが呑気な会話をしているので放置しておく。
アーグン将軍はクツクツと喉を震わせる。その様子に俺はアーグン将軍を見た。
「そう睨むなよ、クンツェ辺境伯。彼女の周りに男が居るだけでそんな顔してりゃ、彼女も困るぜ?」
「…気になるだけです。度量は広いつもりですのでご心配なく」
「そうか? まぁ確かに、気持ちの良い女性だな彼女は。しかも相手の好意に鈍い。自分がそう見られないって意識の所為か。心配にもなるなあれじゃ」
「ランサ様。殺気抑えて下さい。ビリビリしてます」
「お嬢に気付かれます。心配させます」
…それは良くないな。抑えよう。
揶揄うようなアーグン将軍にあまり乗ってはいけない。父上も困ったように眉を下げつつ息を吐いた。
「騎士団長。ほどほどにしとけよ」
「人のモンに手を出す阿呆じゃねぇんで大丈夫ですよ。『辺境伯愛妻物語』の当事者の息子のモンに、なんて、笑えん決闘になるでしょう。今でも目が恐ぇったらねえ」
「コイツは俺より執着心あるぜ?」
「んじゃ『辺境伯執着物語』にでもしますか」
「それ嫌な題名ですね」
「なんかドロドロしてそうなんですけど」
父上程ではないと思いますが? 俺はいたって普通です。
誰もかれも好き勝手で言いたい放題がすぎる。
フッと息を吐いて頭を切り替える。殺気も鎮めなければ、リーレイや騎士達に気付かれてしまう。
リーレイがなぜここに来たのか分からないが、アーグン将軍が「知り合いの令嬢」としたならそれで振る舞おう。…おい、そこに騎士。リーレイに近い。
スッと思考が冷める度「殺気ー」とバールートの声が飛んで来た。




