77,お迎えに行きます
「何でこうなったのかな…」
「え? 嫌なんですか?」
「…そうじゃないけど」
御前試合は無事に終了した。
終われば私達は屋敷に帰る…はずだったんだけど、「ランサをお願いね」とシルビ様に笑顔で任され、リランとソルニャンさんにもそうだと言わんばかりに頷かれた私は今、城の中、騎士棟へ向かって歩いている。
…なんでこうなるの?
シルビ様とリランはすっかり仲良しになられて、「屋敷でお茶でもどうかしら?」「よろしいのですか? 是非」って今からクンツェ辺境伯邸へ。ソルニャンさんはそんな二人の護衛。
ぽいっと放り出された私は、ヴァンを伴ってぽつぽつと歩く。
城内は御前試合の冷めない熱気を感じるけれど、通常通りの政務が行われているようで、意外にも静かだ。
「騎士とか、その家族とか…出入りはしてないんだね」
「まぁ一応そういう警備はちゃんとしてますよ。家族とかもあくまで、会場の傍にある控えの場所近くは行けても、城は流石に。かこつけてバタバタ人が出入りしても問題なんで。今回はほら。ランサ様も出てて人が溢れるのが目に見えてましたから。事前に手は打たれてます」
それなら私はどうなの。
思わずヴァンを見るけれど、ヴァンはなんてことないような顔。そんな様子を見て自分がここにいることに少々罪悪感を抱く。
城内に入る際、当然衛兵に止められた。だけどどうやらその衛兵さんはヴァンと知り合いだったらしくて…
『よっ。この間振り。どした?』
『あ。騎士団に行きたいんですけどいいです? この人俺の主人』
『おう、良いぜ』
って、なんでかあっさりと通してもらえた。いいんでしょうか?
ヴァンが倉番してたとはいえ、まさかあっさり城内へ通してもらえるとは…。これでティウィル公爵家の者だとかランサの婚約者だとか出してたら…。想像するだけで怖い。
今はまだそれらは秘密だからヴァンも言わなかったんだろうけど。
城に入れてもらえなければ言伝を頼むか。帰るランサを待っているしかなかった。
でもこれ。私がランサの所へ行ったらバレるんじゃ…。いいのかな?
あ、でも。ランサの婚約者だとはバレても、ティウィル公爵家の者だとはバレないのか。それならいいのかな? できればどちらも回避したい。叔父様の考えの邪魔になっても嫌だし…。
色々考えながら歩く。ヴァンに案内されながら進んでいると、騎士棟らしい建物が見えてきた。
「んー…。声が聞こえる。外で慰労会でもしてるんですかね?」
「耳良いね」
「耳も鼻も目もいいですよ、俺」
本当にヴァンは、気が抜けているように見えて凄い…。改めてそんな事を思っていると、目の前から騎士が一人やって来た。
その姿にふと首を傾げる。前を歩くその人も私を見て、そして目を瞠った。
「リーレイ!?」
ぴたりと互いに足が止まった。
驚いたように名前を言われて私はその人を見る。歳は同じくらい。短く立っている茶色の髪。同じ色の瞳と鍛えた体。だけどどこかで見たことがある。考えて思い出した。
「……ジャン」
「なんだよその不機嫌そうな声」
近所のいわゆるガキ大将だった男だ。家はそれなりに大きなお店をやっていて、ジャンは昔から同じ年の近所の男友達を連れ歩いていた。
子供の頃から色々と忙しく動き回っていた私に何かとちょっかいを出してきて、構ってられなくてよく怒っていたのを憶えてる。
泥水かけてきたり。ぶつかってきたり。とにかく子供の頃から悪戯ばかりしてきた相手。
そんなジャンがまさか騎士に…。そういえば騎士団に入る為に養成所に入るんだとか昔言ってたっけ…?
「なっ、んでここに? ってか何だよその格好」
「何よ。私が淑女らしくドレス着てちゃ変?」
「いや…別に…」
今の私は御前試合の観戦の為、人前に出られるよう貴族の御令嬢らしい恰好をしている。ジャンが昔から見ていた男装じゃない。それでさんざん嫌味を言われた。
ジャンは何でか私から視線を逸らした。
「そういやお前…結婚したんだってな」
「まだ婚約」
「! そっか…」
「もう行き遅れなんて言えないでしょ? そんな風に言ってた私が婚約して驚いた?」
子供の頃から色々やられてこれまでも散々言われて、私の言葉にも少し棘が出てしまう。
…そんな私にヴァンが後ろから「お嬢、淑女らしく。はい、夜会の練習」って助言らしいものをくれる。
それを聞いてジャンを見た。…それもそうだね。私ももう立場があるんだし。これまでの事があったとしても、こんな態度を取り続ける事はできない。
騎士団の養成所に入ってからは町でも会ってないから、久しぶりに会う。
喜ぶ再会ではないけれど、今後はそうそう会う事もないだろうし。
「騎士団に入ってたんだ」
「あぁ…。ってもまだ新人だ。下っ端もいいとこさ」
「そこから努力して力をつけるんでしょ? 昔から体力はあったんだから、努力を続ければ分からないよ」
「! …そうだな」
なんだか久しぶりのジャンはどうにも歯切れが悪い。
どこか悪いの? そう思ってジャンを見るけど、なんでか視線を逸らされる。おかしい。
「ねぇ。どこか悪いの?」
「別に…。その…お前…」
「なに?」
もごもご口籠ったジャンは、頭を掻くと私を見た。やっとちゃんと目が合ったと思ったら何でか急に怒り出したように眉間に眉を寄せる。
「誰と結婚したんだよ!」
「…誰でもいいでしょう。それから婚約だって」
「よっ、くねえ! 俺はっ…!」
「? なに?」
ジャンが変だ。「おっ…」って言ったまま続きを何も言わない。フルフル震えてて挙動不審すぎる。
「誰だってって…。お袋も近所も…誰も相手知らねぇし。変な奴じゃねぇだろうな!」
「変って…。私だって選ぶから」
「じゃあ誰だよ!」
「…どうしてそこまで知りたがるの? 私が誰の妻になってもいいじゃない」
「よっく…ねぇって…」
ジャンが変だ。やっぱり。昔は悪戯顔で笑ってたのに。
やっぱりどこか悪いのかなと思って、助けるべきかとヴァンを見る。「大丈夫ですこれは」ってヴァンが言うから、それに従っておく事にする。
「ねぇジャン…」
「そこで何してんだ?」
そこに、助けの御声がかかった。
私が視線を向けると同時に、一瞬巻き起こった風。虚を突かれてキュッと目を閉じる。
「ぐへっ…!」
「一瞬鈍った。ハッ。護衛の役目が裏目に出たなヴァン」
そんな会話が聞こえてそっと目を開けた。
目の前に、赤毛の獣に捕まったヴァンがいた。がしっと逃げられないよう首に腕が回っている。
あ…。目の前で悪夢が。城でのヴァンの悪夢をこの目で見てしまった事に、少々唖然としてしまう。
ニッと不敵な笑みを浮かべたガルポ・アーグン騎士団長は、その視線を私とジャンに向けた。
「…御令嬢。一応聞くが、騎士団の騎士が何かしたか?」
「…いいえ。彼とは旧知の仲で、少々昔話をしておりました」
「そうか。それは失礼したな」
ガルポ様は五大公爵家の御子息。当然私の事は知っている。
実際に顔を合わせた事は無い。だけどヴァンが傍に居る事。同じ騎士団にガドゥン様がいること。それらから、会った事はなくとも私が誰であるかは察しているはず。
それでいてわざわざ、今の呼び方。
私は淑女の礼をして、一言遅れたご挨拶をする。
「騎士団長、ガルポ・アーグン様でいらっしゃいますね。お初にお目にかかります。私は…」
「あぁいいいい。俺は堅苦しいのは嫌いなんだ。挨拶なんざまたでいい」
そう言って、意味深長に口角を上げる。
…そういう事ですか。分かりました。
では今度、きちんと夜会でご挨拶させていただきます。
思いつつ見れば、危ない事に気付いた。
「アーグン将軍、ヴァンをお放しください。圧死してしまいます」
「お? あぁ」
思い出したように腕を離すと、ヴァンが咳き込みながら座り込んだ。「もうヤだ。なんで二回も…」ってぼそりとヴァンが不服そう。経験があったのかな…?
一度ヴァンの背を撫でで、私は改めてアーグン将軍を見た。
近くで見ると一層鍛えられた体躯が目を引く。ガドゥン様にどこか似ている風格。生粋の武人という空気。
その赤い目はジャンを見た。
「御令嬢と知り合いか?」
「は、はい。近所の付き合いで」
「そうかい。んで、御令嬢は何でこんな所に?」
…さて。なんて言い訳をしようか。
ここでランサを迎えに来たと言えば、ジャンにまで私の婚約者を知られてしまうかもしれない。それは別にいいけど、私を平民だと思っているジャンに知られると、ティウィル公爵家の事まで知られかねない。ジャンがどこかへ行くならいいけど、もしこのまま騎士達の元へ向かうなら、そこにはランサもいるわけだし…。
ガドゥン様のお名前も出せない。ランサも駄目。必然バールートさんも駄目。他は――…
考えてふと、座り込んだヴァンが視界に入った。そして思いつく。
そうだ。ここには理由を作れる相手がいる。
「アーグン将軍に少々お話があって参りました」
「…俺に? 何だ?」
「以前よりヴァンを騎士団にお誘いくださっていると聞き、やはりきちんと私からお断りをお伝えすべきかと。これでも一応、ヴァンの主ですので」
アーグン将軍をまっすぐ見つめて言うと、どうしてかポカンとした表情になり、そして「ふっ…」と口元が笑みをつくった。
そして、アーグン将軍の大きな笑い声が周囲に響き渡った。




