69,令嬢のもやもやと『闘将』の我慢
ランサの試合は楽しみだけど、私は頑張らなくちゃいけない事を頑張ることにする。
決意した私は、翌日からドレスを身につけ、ダンスのレッスンをすることにした。屋敷のホールには、私と教師であるシルビ様。手拍子で調子を取ってくれる屋敷の家令。そして…
「リーレイ。もっと安心して身を預けていい。滑らかに」
私の手を取り、助言しながら共にダンスを踊ってくれるランサ。手はランサの手に重ね、私はずっと練習をしている。
だけど…これは違う! 思っていたものと違う!
こんな近距離でランサの顔見ながら踊るなんて無理!
座る時に近距離なのはよくある事だけど、あれだって最近やっと慣れてきたばかりで、これは違う。全然動きを意識できない。足が覚束ない。
「リーレイ。少し休憩しよう」
動きを止めたランサにそう言われ、やっと手が離れた。
私はふらふらと歩き、休憩用の椅子に座る。…もう無理だ。項垂れるように座り込んで、とりあえず顔を覆った。
「リーレイ? 大丈夫か?」
「リーレイ様。心配しなくても大丈夫。練習すれば少しずつ上手になれますから」
「…はい」
手をのけると、ランサとシルビ様の気遣う表情が見えた。…多分心配させている事とは全く違う私の胸中。申し訳ない。
「飲み物を持ってきますね」
「はい」
シルビ様が家令とともにホールから離れて行く。ここは今私とランサだけ。
ガドゥン様は「ランサをぶっ倒せるよう鍛えて来るぜ」って騎士団の指導に向かった。…もしかして騎士達よりやる気じゃないかな?
バールートさんとソルニャンさんは、御前試合に向けて庭で鍛錬中。「ヴァンさんも相手して!」ってヴァンはさっきバールートさんに連れていかれた。「えぇー…」って不満そうなヴァンはいつも通りだったから苦笑い。
…私も鍛錬したい。ダンスの練習をすればするほど自信がなくなっていきそう。
ランサの迷惑にならないように。恥にならないように。私の為にも私が頑張るって決めたのに。
「リーレイ。リーレイはよく頑張っている。あまり頑張りすぎないで」
「そんな事ないよ…」
太陽の下にいないランサの髪は毛先まで漆黒で。浮かべられた笑みは柔らか。そんな様子はシルビ様に似ている。だけどその瞳の強さも鋭さもガドゥン様に似ている。
今のランサは私を気遣ってくれているのか、いつもと違って、出会った頃のように手を置ける距離を開けて座っている。真っすぐでよく触れてくれるのに、こういう時に見せるそうした一面が、どうしてかとても嬉しくて…。
「リーレイがそんなにも頑張るのは、俺の為か?」
「…私の為だよ」
どうしてかランサを見れなくて。視線を外して俯いた。
先日の父様の件で痛感した。
今度の夜会でティウィル公爵家の名が話題に上がる。父様の事でも。私の事でも。
父様は社交経験もあるし、今もしかと振る舞いも身につけ、能力もある。
それに引き換え、私には何もない。小さな能力を示せても、私自身は何も知られていない。いくらリランと揃って能力を示せても、今後はそこにクンツェ辺境伯家の名が乗ってくる。
失態は許されない。どちらの家名にも。
注目されるという事は、同じくらい値踏みも、嫌味も出てくるだろう。一つひとつの行動が、見られる。
だから私は、私の為に頑張らないと。
うじうじなんてしてられない。そんな事をしているなら出来る限りの事をしないと。両家と私の為に。
「頑張るから。堂々とできるように。負けないように」
今更怖気づいていられない。リランだって同じように立ち向かおうとしてくれている。ラグン様や従妹のスイ様だって、子供の頃からずっとこうして社交の場に出ていたんだから。
私が弱気になってるわけにはいかない。
よしっと気合を入れなおすと、隣からクスリと笑う声が聞こえた。見るとどうしてかランサが笑っている。
「ランサ?」
「リーレイは本当に、いつも俺が抱く愛しさを一層強くさせてくれる」
いきなり言われた言葉に瞬く。
…私、何もそんな事させるような言葉は言ってないよ?
怪訝と首を傾げるしかない私に、ランサは頬杖をついて私を見る。その目に少しだけドキリとした。
「ランサ…?」
「リーレイに出会えて本当に良かった。他の貴族令嬢なら、俺はこんな感情を持たなかっただろう。真っすぐで。頑張り屋で。時に弱い。そんなリーレイだけだ。俺には。愛しい俺の半身」
「…! んっ…ありがとうっ…」
容赦ない言葉はやっぱり心臓によろしくない。だけど嬉しい。あぁ困る…。
そう思いながら、私はキュッと拳をつくった。
家名に潰されそうな私だけど、ランサだって同じものを背負ってる。それでも堂々としていて。
少しだけ情けない考えが浮かんで、不安になる。
ランサは王都では有名だ。五年前から名高き『闘将』にして、王家からの信頼も厚い辺境伯。
そんなランサが夜会に出れば、きっと女性達だって…。そう考えて胸の中がもやもやとする。嫌だって思う。解ってる。この気持ちが何て言うのか。
「ランサ…」
「ん?」
「その…夜会でなんだけど…」
「うん」
また、視線を逸らしてしまう。私はランサのように真っすぐランサを見て言葉を紡げない。
情けない。まだ何も…伝えられない。だからこそ価値があるとランサは言ってくれたのに、私が今言おうとしている言葉は、そんな価値を下げてしまう気がする。
だけど――…見たくない。してほしくない。
「ほ…他の御令嬢と……踊らないで…」
貴方と踊るのは、私だけがいい。私だけに、してほしい。
とんだ我儘だ。自覚はある。ランサにだって領主としての付き合いがある。なのに私は――…。
行ってほしくない。ランサの想いを信じているのに。離れてしまいそうで怖い。
解ってる。私が情けないから。ランサを繋ぎとめられる自信が、ないから。いつか呆れられると不甲斐ない中で思っているから。
思わず、ランサのシャツの袖をきゅっと掴んだ。
そんな子供じみたことをしてしまう私に返ってくる言葉はない。そっとランサを見れば、ランサは驚いたように私を見ていた。
目が合うと、パッと離れてしまう。少しだけヒヤリとしてしまったけど、口を押えた手と少し赤い頬を見て、私の想像は間違いだと解る。
前にも見た事がある。
珍しい、ランサの驚いた様子。…少しだけ照れている様子。
口から少し手を離し、ランサは少し眉間に皺を寄せて私を見た。
「…リーレイ。あまり俺を喜ばせないでくれ…」
「そんな事…」
「している。リーレイは妬いてくれるんだろう?」
「っ…!」
ずばりと言い当てられて返す言葉がない。
考えて。想像して。嫌になって。思わず言ってしまった言葉。
なのにランサは、こんな我儘にもどうしてか嬉しそうな顔をしている。
「でも…我儘でしょう…?」
「俺には嬉しい言葉だ。元々俺はダンスはさして踊らないし、これからはリーレイがいるんだ。他の人と踊るつもりなどない。安心してくれ」
「でもその…領地上の事とか…」
「俺に寄って来るのは大概、俺の名声や家名狙いの者ばかりだ。こちらから近づく理由もない」
「でも…ランサはまだ若いし…格好良いし…。きっと御令嬢方の視線を集めるし…綺麗な人だってきっといっぱいいるだろうし…」
「…リーレイは俺をどうしたいんだ。これはもう許可が出たという事でいいのか?」
…どうしてか最後だけぼそりと紡いで、ランサがまた口元を覆った。
なんだかよく分からないけど、私の心配は特に問題ではないみたい。…少し安心した。
ホッとする私に、ランサはいつの間にかグンッと距離を詰めて来る。反らしかけて離れようとしたら、すかさずランサに捕らわれた。
「大丈夫。約束する。リーレイ以外とは一切踊らない」
「…うん」
「リーレイも約束してくれ。俺以外と踊らないと」
「え、あ……父様や叔父様も? ラグン様とか…他の四家の公爵家の方とか…」
「リーレイ。俺が妬いてしまう」
「っ…!」
…そんな困ったように眉を下げるのは狡い。そんな顔をしないでほしい。
見れなくて。恥ずかしくて。嬉しくて。困って。
どうしたらいいだろうって心臓がバクバクと音を立てる中で必死に考えるのに、ランサは一層腕の力を強くする。ぐっと縮まる距離に身体が熱くて仕方ない。
容赦ないランサが懇願するように頬や額に唇を落とす。すぐ傍で聞こえるちゅっという音と、感じるくすぐったい吐息。心臓がどうにかなりそうっ…。
「ランサ待って…!」
「待てない。…もう無理だ」
背筋が震えた。それがどうしてなのか考えも追いつかない中、ランサの手が私の頬に触れて、思わずぎゅっと目を瞑った。
優しいぬくもり。感じる吐息。少し身体が強張って…
「ランサ。ダンスの練習をさせないつもりですか?」
目の前の気配がピタリと止まった。
優しいのか困っているのかという声音に、私もハッとなって目を開けた。ランサ近いっ!
無意識にドンッとランサを押して、反射的に私は距離を取るように立ち上がって数歩下がった。…心臓がとんでもなく煩い。口から出そう!
ドドドドッと心臓が鳴る中で見れば、ティーセットを持った家令を後ろにシルビ様が戻って来られていた。
とんでもないところを見られた! 恥ずかしすぎるっ…!
悶えて顔を覆うしかない私とは裏腹に、ランサは少々不満そうな声を出した。
「母上…」
「今そんな事をしたらリーレイ様が余計に緊張してしまうわ。それとも、緊張しないでしょうヴァンさんに代わってもらおうかしら?」
「いえ。俺がします」
「では、練習が終わってからにして下さいね」
「分かりました」
「!? しない! しないよ!?」
ランサはなにを真面目な顔してるのかな! シルビ様も微笑みを浮かべないでください恥ずかしいです!
結局、それからの練習は全くと言っていい程頭に入らなかった。
「…お嬢。何か練習始めた時より酷くなってません? ヨタヨタどころかよれよれですけど」
「言わないでぇ…」




