66,生贄…いえ。試合です
メイドはすぐにてきぱきとお茶の用意をしてくれた。
慣れた動作の中にも手際の良さが窺える。シスにもよく感じる仕事の仕方で、このメイドも経験長い方なのだとすぐに解った。
「この屋敷の使用人は皆、元はツェシャ領でも仕えてくれていた方々なのですよね?」
「えぇ。ガドゥン様と王都に来る時に共に来てくれて。皆家族のような者達なのです」
「畏れ多い事でございます。大奥様」
恐縮しながらも、その瞳には喜びが見える。それを見るシルビ様も同じ。
本当に良好な関係なのだと一目で分かる。
…私もいつか、そういう風に屋敷の皆となれるといいな。頑張ろう。
「シルビ様。実は…今回、ツェシャ領の菓子とシルビ様がお好きだという茶葉を持って来る予定だったのですが、荷物を持たず駆けて来たので、今こちらに向かっている状態なのです。申し訳ありません」
「いいえ。今回の事は私もガドゥン様にお聞きしました。何ひとつ、リーレイ様が謝罪なさる事ではありません。楽しみにしていますね」
「ありがとうございます…」
寛大な御心には感謝しかない。だけどそれに甘えてばかりにならないようにしないと。
今回は事情があっただけ。今回が…違うだけ。
「それに。私もガドゥン様も、リーレイ様が来てくださっただけでとても嬉しいの。あまり気遣いは無用ですよ? 貴女はランサの妻になる方。それはつまり、私達の娘になるという事だもの。だから。ね? 家族に気遣いは無用でしょう?」
「家族…」
「えぇ」
笑顔でそう言って下さるシルビ様。ガドゥン様の隣で淑やかな方だと思っていたけれど、笑うととても素敵な方。ランサの歳の子供がいると見えない。
それに、とても…温かい方。
嬉しい。父様やリランとはまた違う、家族ができる。
増えていく心のぬくもりは、いつも私に幸せをくれる。
「ありがとうございます…」
お礼を言うと、シルビ様はニコリと笑みを浮かべた。品のある所作でお茶を飲まれるのを見て、私も一口頂く。
美味しい。ツェシャ領で飲むものとはまた違う。
「屋敷の皆は元気?」
「はい。シスとディーゴが皆をまとめてくれています。シスは、シルビ様が嫁がれる以前から仕えていたのですよね?」
「えぇ。彼女とは私の生家からの付き合いで、ツェシャ領では侍女として傍にいてくれたの。今も手紙のやり取りをする、友人でもあるかしら?」
「私も、シスからは色々な事を教わりました」
シルビ様とは屋敷の皆の事を話す。思い出話なんかもしていると時間はいつの間にか過ぎていく。
「リーレイ。いるか?」
そんな時突然、部屋の扉ががちゃりと開いてランサがやって来た。
ノックがなくて少しだけびっくりしたけど、シルビ様はそんな様子はなくて困ったように眉を下げてランサを見る。
「ランサ。女性の部屋にノックなしに入るものではありません。緊急でもないのでしょう?」
「…そうですね。失礼しました」
叱られるランサ。初めて見る…。
ちょっとした新鮮ささえ感じてしまう。
「リーレイ様もそう思われない? こういうところはガドゥン様に似ていて…。もしかして屋敷でもこうなのかしら?」
「え…えっと…」
「母上。リーレイは屋敷では部屋でじっとしていないので。俺が探し回っているんです」
「あら…」
…うん。そうなんだけど。
ちょっと笑みを含めて言って私の隣に座るランサを、少し恨めし気に見てしまう。それでもランサは笑みのまま。
屋敷では確かに、私はあまり自室でじっとしていることはない。ランサがノックなしに部屋に入って来た時、私が部屋にいたのなんて一度か…二度あったかな…。
私がじっとしているのが得意じゃないから、ランサと顔を合わせるのは屋敷の色んな場所だし…。
私の隣に座ったランサは、その笑みをシルビ様に向けた。
「翼が生えていて。加えて自分で駆けて行く女性なので。屋敷で会うのも一苦労なんです」
「…ごめん」
「責めてない。そういう君が俺は好きだ。探して探して見つけると、愛しさも喜びも一段と強くなるだろう?」
「っ…」
心臓が…煩い。ランサを見れなくて困る。
人前でやめてって…言ったのに…。
ランサは私が恥ずかしがるのが分かっててやるから…困る。
「ふふっ。ランサは本当に変わりましたね。昔は剣術や戦術ばかりだったのに」
「母上。そこまでに」
ランサが困った顔をしてる。…ちょっと気になってしまった。
ランサはいつも私を恥ずかしがらせてばかりで。私はランサに勝てない。…そう思となんだかちょっと悔しい。
「シルビ様。今度そのお話聞かせてください」
「待てリーレイ」
「えぇ勿論」
「母上」
なんだか、今だけはランサの隣でフフンッて胸を張っていられる気がする。ちょっと嬉しい。
私もシルビ様も、思わず揃って笑ってしまう。控えているメイドもなんだか微笑ましそうに笑みを浮かべていた。
そんな中で、ランサだけはため息を吐く。
「全く…。では俺も、ディルク殿とリラン嬢からリーレイの昔の話を聞く事にする」
「っ…いいよっ。聞かれて困ることはない…と思うから…」
…なかったよね? うん。ないはず。
思わず考えてしまった私に、ランサがクツクツと喉を震わせていた。
私の昔話なんて、別にないと思うし…。
家事をしたり。畑仕事をしたり。ヴァンに剣と馬を教わったり。稽古したり。仕事したり。それくらいなはず。
思い出して大丈夫だと思い直した私は、ふとランサを見た。
「それより、何か用だったの?」
「いや? せっかく仕事がないんだ。一緒にいたいと思ってな」
…笑顔でそんな事言わないでほしい。
そりゃ、確かにそういう時間は屋敷ではあまりなくて。王都に来ている今が貴重な時間であるというのは分かる。…面と向かって言われると落ち着かないけれど。
「まぁ…用と言う程ではないが。さっき父上が、早速バールートとソルニャンと試合をすると言っていた。見に行くか?」
「! 見たい!」
王都へ来る前から悲惨な顔をして「生贄…」って言ってた例の試合だ。
そう言う二人が少し不憫だったんだけど、試合には興味があった。ひそかに私はワクワクしてたんだけど、こんなにも早く見えるなんて!
パッとランサを見ると、ランサは笑っていた。
「リーレイなら見たがると思っていた。行こう。母上もいかがです?」
「では、私も楽しそうなガドゥン様を拝見させていただこうかしら」
私達は三人でその試合が行われている庭へ向かった。
そこにはすでにヴァンがいて、私達に気付くといそいそと私の傍にやって来た。…なんだか隠れようとする様子に思わずヴァンを見る。
「ヴァン。どうしたの?」
「騎士団入らないなら手合わせしろって無理やり連れて来られました。守ってください」
「……うん。分かった」
ヴァンにはこれからしばらく、大変で切実な日々が待っているんだな…。涙が出そう。
そんなヴァンにはランサも肩を竦めている。
私達はお邪魔にならない場所からガドゥン様を見る。
今はバールートさんと手合わせをしていて、ソルニャンさんは私達の側で座り込んでいる。すごく疲労困憊って様相で、思わず声をかけた。
「ソルニャンさん。大丈夫ですか?」
「なんとか…。ガドゥン様が全くの衰え知らずで。もう無理です…」
現役直属隊騎士が疲労から長い息を吐く。そんな様子に私もガドゥン様を見た。
両者は刃を潰した剣で打ち合っている。何度もぶつかって、擦れ合う。
ガドゥン様の一撃は見ていて分かる程強く、そして重い。バールートさんは一撃の加減を変えながら相手の隙を狙う。経験という点ではガドゥン様が優位だけど、日々ランサにしごかれているバールートさんも負けずに食らいつく。
だけど見ていて分かる。現役の騎士が手合わせを「生贄」とまで言う理由。
怒涛の打ち込み。しかも一撃全てが重くて容赦ない。迫力も気迫が違う。…これは、砦で他の騎士と手合わせするものとはあまりにも格が違う。違いすぎる。
最早、戦場の一場面ではないかとすら思う手合わせ。
何度も刃が交わる中、不意に、ガドゥン様がそれまでとは違う軽やかな動きから刃を滑り込ませた。バールートさんの剣が弾かれ、その首筋に刃が添えられる。
緊張が走っていた中、バールートさんがふぅっと息を吐いた。
「負けました」
降参合図にガドゥン様も刃を下げる。その表情はまだ笑みが乗っていた。
「これしきで根を上げてんな。まだやるぞ」
「無理ですってぇ…!」
「やんだよ」
「無理ぃ!」
…これも、生贄と称される理由かな。
一度で終わらない試合。後何度する羽目になるのか…。ヴァンが逃げ回る理由がなんとなく解ってきた。
バールートさんは「もう無理…」って呟くと地面に倒れ込んだ。かなり疲れたんだろう上下する胸元が疲労を窺わせる。
「はぁー…。ガドゥン様。全然…衰えてない…。あー…。なんで…引退したんです…?」
「シルビとの時間優先」
「何なのこの親子」
…ガドゥン様の引退って、そういう理由だったの?
思わず目が点になって、私はシルビ様を見た。シルビ様も困ったような、けれど照れているような表情で笑う。
続けてランサを見ると、ランサはいたって真面目に頷いてくれた。
「母上を安心させたかったという事と。元々、父上は若い頃から忙しい身だから、母上との時間は確かに短くてな。だから引退した」
「まさかの『益荒』引退理由…」
そっか…。ガドゥン様はお若い頃からカランサ国との衝突を制してこられた方だから。確かに大変な日々だっただろう。
…そう思うと、のんびり引退後を送ってもいいと思うんだけど。騎士団指導役…一応はのんびりな生活になっているんですかね?
問うようにガドゥン様を見ていると、その視線がふと私に向いた。そしてなぜか口端を上げる。
「リーレイ嬢。相手になんねぇか?」
「…へ?」




