64,父だって公爵家育ちなのです
これまで、貴族社会とは関わりなく暮らしていた。ティウィル公爵家の事もそれほど深く考えた事は無かった。
叔父様もラグン様も、私達に会ってもただの家族として接してくれていて。私にとって、貴族社会は近いようで遠い世界だった。
だのに――
嫌じゃない。嫌だと思っていればランサの元へ行ってない。
ただ少し、苦しいだけ。
「そもそも兄上。殿下の思惑も全て承知の上で手を貸しましたね。わざと捕まって」
「うん」
「「……え」」
ため息混じりの叔父様に笑顔で頷いた父様。私とリランの声が重なって、父様を見る目も揃った。
二の句が継げない私達の前では、父様を見てラグン様も肩を竦めている。
「ラグンにも迷惑をかけたね。ごめんね」
「いえ。伯父上が社交に出る事を決めて下さり、己でした事です。私からは何も言いません」
「ありがとう。私もさすがに家名だけで社交界には戻れないからね。今回も大した事ではなかったし、いい一助になったかな」
「…そうですか。今後は伯父上も、どうぞ遠慮なくティウィル公爵家の御力をお使い下さい」
「うん。必要になったらね」
……うん。今ちょっと頭が混乱しているかもしれない。
私はなんだか今、とても申し訳ない気持ちでいたのに。父様がこんな様子だと、それは全く違うんじゃないかと思える。
私が変えてしまったんだと思っていた。
だけどリランも以前、一緒に行くと自分で決めたと言ってくれた。そしてそれは父様も…。
私だけ、なんだかずっと情けない考えばかりしている。
駄目だな。二人に申し訳ない。
「だけどやっぱり、家は今のままがいいな」
「領地に戻ってくれないんですか!?」
「駄目かな?」
「だっ…! クッ…! 兄上っ、私が駄目だと言えないのを分かっていてっ…」
叔父様が一人苦しみだしてしまった。逆に父様は笑みのまま。
そんな二人を見てラグン様は呆れに似たため息を吐いている。「相変わらず兄に弱っ」って、こらヴァン。失礼な事言わないの。
「兄上が戻って共に領地の事を担って下さればどれほど頼もしいか! 領民にとっても良い事ですよ!」
「それはジークンでも十分に出来ているじゃないか。今更私が戻れないよ」
「構いません! 文句を言う者がいるならそんな者いくらでもっ…」
「こらこら。怖い事を言わない」
父様と叔父様は仲が良い。それは私も昔から知ってることだから、思わずリランと顔を合わせて笑った。それはラグン様も同じ様子で、少し眉を下げて二人を見ている。
顔を見合わせた子供達で揃って笑った。
「リーレイ。伯父上もティウィル公爵家の者だ。ただ穏やかで優しい人ではないぞ」
「はい。今回の事でもよく分かりました」
「おや…。私はそんな風に言われる事はしてないんだけどなぁ」
「伯父上…。殿下に頼まれてあの証拠を集めるのに要した時間は?」
「大体の不正手段を予想して。数日の仕事の休憩中に各研究室を回って小一時間くらいだよ。ね?」
父様。何が「ね?」なのかな? 大したことないって言いたいなら反論しか出ないよ?
思う私達から離れているバールートさんやソルニャンさんですら驚いている。ランサもヴァンもクツクツと喉を震わせていた。
私もよく分かった。やっぱり父様はティウィル公爵家の者だ。うん。肌で感じた。
ひとまず問題が解決して良かった。これで一安心だ。
父様と叔父様が変わらず仲良く話している中、ラグン様が私達を見た。
「リーレイ。伯父上も帰って来たことだ。今日は伯父上も含め泊まっていけ」
「はい。ですが…」
「クンツェ辺境伯も良ければどうぞ。もう日も暮れる中、ご助力いただいた方を放り出せない」
「ありがとうございます」
ランサは昨日も泊まった。あまりこの屋敷に何度も出入りするのを、事件の関係者に見られるのを避ける為に。
終わったけれど、ランサも一緒だというのは嬉しいし、ホッとする。
そんな私にランサが視線をくれる。
「父上と母上の元には、明日行こう」
「うん」
本来の目的にやっと戻れる。
やっと、ランサの御両親にお会いできる。それにガドゥン様にはお礼をしないと。
明日からの事を考えて、安心と楽しみを感じた。
♦*♦*
皆で夕食を終えた後、私とランサは二人でのんびり寛いでいた。
場所は私の部屋で、婚約者とはいえ公爵家にお邪魔しているから、扉は開け放っている。
皆で楽しく笑って賑やかなのも幸せな時間だけど、こうしてランサと二人で居られる時間も…幸せ。
「ランサ。本当にありがとう。父様の為に色々してくれて」
「俺は何もしていない。騎士団長に協力を頼まれて、『将軍』として協力しただけだ。それがリーレイの事に繋がった。それだけだ」
そう言うランサは安堵と喜びの混じる目で私を見る。その目はいつもまっすぐで見返すのも少し気恥ずかしい。
だけど、とても嬉しくて。幸せで。
「父様の言葉、ちょっとびっくりしたの。父様もリランも…私の所為で暮らしを変化させたって、思ってたから」
「二人とも逞しい方だな。リラン嬢も見かけとは裏腹に堂々としているし、ディルク殿も…やはりティウィル公爵家の方だ。ヴァンのように見かけに惑わされてしまいそうになった」
「私も…」
能力も。人を見る目も。思考も。父様はそれを今も錆びさせず身につけ、遺憾なく振るえる人だった。
あの家で暮らしていた父様からは、どうしても想像しづらい姿だ。
「だが、お二人のあの姿は、リーレイのおかげでもあると俺は思う」
「私の…?」
二人の姿は二人が身につけているもので、そこに私なんて…。
そう思う私に、ランサはしかと頷いた。
「リーレイが俺の元へ来ると決めた。そんなリーレイのまっすぐな姿が、二人にも、貴族社会へ再び足を踏み入れる意思になったように思う。だからお二人も、己の力で社交界に出ようとしているのではないか?」
「それは…」
そう…なのかな…?
私はただ、父様やリラン、ヴァンの言葉に背を押されて、そしてやっとランサの元へ行ってみようと思えて。だからしてもらったのは私の方なのに。
視線が下がる私に、ランサの大きな手がそっと頬に添えられた。安心するぬくもりが体中に広がるみたいだと感じる。
ゆっくりと顔を上げると、すぐ近くにランサの顔があった。白銀の瞳に心臓がドキリと音をたてる。
「だからリーレイ。申し訳ない、なんて思うより。俺の隣で堂々としている方が、きっと二人も喜ぶし、周囲から見られる二人の為にもなる」
「ランサ…」
こぼれた声は、思う以上に小さかった。
そんな私の前で、ランサは瞳を優しくさせて私を見つめる。
「俺も、こんなにも素晴らしい婚約者がいるのだと自慢できるな」
「自慢なんて…」
「…そうだな。他の男が寄り付かないか心配だ。リーレイは…俺だけの女性だから…」
窓の外も。屋敷の中も、室内も。全て静寂に満ちていて、それが不思議なくらい心臓の鼓動を早めていく。
呑みこまれる。そう思った。
ランサの瞼が震える。その手は頬から離れない。もう片手が逃がさないように私の手を握りしめる。
ゆっくり。ゆっくり。だんだんと互いの距離が縮まる。逸らしたいのに、逸らせない瞳。
「…リーレイ。俺だけの…」
ランサの瞳が、熱を持っている。危険で。火傷しそうな。
逃がしてくれない瞳。
その距離が。唇が。
私のそれに触れる――…
「リーレイ様ー。ランサ様います?」
…寸前、ピタリと止まった。
ランサの瞳が動いて扉を見やる。
部屋の扉は私の背中側にある。私は振り返るなんてことは出来なかった。
だけど解る。「あ、やべっ」って慌てて覗かせた顔を引っ込めたバールートさんがいる事は。
…見られたっ…! やだ無理もう顔見れない!
扉を開けてるんだからこういう可能性がある事くらい考えられたはずなのにっ。私の馬鹿! 空気に流されるんじゃないの!
もうバールートさんの顔を見れないっ…!
「…えっとー…気にしないでどうぞ続けて下さい」
「無理ですけど!?」
「分かった。すぐに終わらせる」
「ランサ!?」
何言ってるの!? 「リーレイ」って本当にやり直そうとしないの!
今更無理だから! そこにいるって分かっててできないから!
「あ。リラン様。今駄目みたいです」
「リランいるんですね!? やめますすぐに!」
こっそり言っても聞こえてますから!
私はすぐにランサを押し返して扉までばしゅと向かうと「何でもないんでどうぞ!」って、声を大に張り上げた。
…息が切れるのは仕方ないと思う。
「いや…いいですよ? 俺は騎士として、空気になりますんで」
「もう大丈夫です問題ないです全て! 全て忘れて下さいお願いしますから! もう砦に行けなくなりますっ…!」
「切実ですね…。分かりました。忘れます」
「…ありがとうございます」
最終的には床に手をついてしまいそうになる私に、バールートさんはどうしてか同情的な視線をくれた。
そんななんともおかしな事になっている私達の元に、一足遅れてリランがやって来た。そして私達を見て首を傾げる。
「お姉様。どうかなされましたか? 顔色が…」
「…ううん大丈夫。それより…何か用だったの?」
「はい。お義兄様にお尋ねしたい事があったのですがお部屋にいらっしゃらないようで。バールートさんが探して下さっていたのです」
「そうだったの…。ランサなら中に居るよ」
私は室内を指差して、二人を連れて室内に入った。この面々なら扉を閉めても問題ないから、最後に入ったバールートさんは扉を閉めてその傍に控えた。
室内では何事もなかったかのように……じゃない。ちょっと不機嫌そうなランサが待っていて、私を見て隣を叩く。…うん。分かったから。
本音を言うと前に座るリランの隣に座りたいけれど、私は少し距離を開けてランサの隣に座った。
…んだけど、なんで距離を詰められるのかな? もうちょっと離れない? さっきの今で恥ずかしいんだけど…。
そう思ってランサを見ても、ランサは笑顔に戻ってる。…駄目だこれは。
諦めに項垂れる私の耳には、リランのクスクスと笑う声が聞こえる。
「リラン…。言いたい事は解るけど何も言わないで…」
「はい」
「それでえっと…ランサ。リランが聞きたい事があるんだって」
「何だ? 何でも聞いてくれ。俺に答えられることなら」
ランサの笑みは今度はリランに向けられる。
その傍で私は疲労に崩れ落ちるしかない。…バールートさん。何ですかそのはらりと涙をこぼしそうな眼差しは。
物思う私の傍では、リランは持っていた何枚かの紙をテーブルに置いた。
「実は、叔父様からいくつか縁談を頂いているのですが、私は社交に疎いので為人も分からず…。お義兄様はご存知ではないかと思いまして」
…リランがかつての私になっている。うん…。私がランサの元へ行ったからかな。なんだか少し申し訳ない…。
そう思う私は口を挟めず、隣のランサとリランを見るだけにしておく。
「…成程。こちらの三名は国の西寄りだな。そっちは俺も分からないんだ。王家の夜会で会った事はあるが、それくらいで詳しくないな。この者達は、実際に話してみるか、俺の知り合いに聞いてみよう」
「ありがとうございます」
「ねぇリラン。…その、叔父様やラグン様にお聞きしてみないの?」
「叔父様は良い方を捜して下さって、どんな方だとは教えて下さいました。ラグン様はお忙しそうで…。きちんと考えるなら、叔父様やラグン様以外の方にもお聞きしてみたいと思ったのです。もしかしたら、ティウィル公爵家が相手だから良くしている、という可能性があるかもしれません。それに、いざお話する事になっても、少しでもその方の事や領地の事を知っていれば話題にもできるかと」
…成程。リランの考えには納得したし、同時に賢いと思った。
ランサも深く頷き、バールートさんも「おぉ…」って少し感心してるみたい。
リランはきちんと見ている。そして考えている。
私なんて相手の格に圧倒されるしかなかったのに…。
感心する私の隣ではまた相手候補の話が進む。
「この伯爵子息は真面目だが、時に顔に出やすく真面目過ぎるところがある。この侯爵家は領地運営も上手く、どちらかというと商売人のような一面がある。嫁げば金には困らないだろう」
「お義兄様…とてもご存知なのですね…」
「それほどでもない。それに…俺の知識や印象は、六年前で止まっているんだ。今は全く違う人物かもしれない」
「分かりました」
今日は父様にも圧倒されたけど、やっぱりランサも凄い。社交の場でもとても人や家を見ているんだと解る。
私も頑張らないと。
「……だが、やはりティウィル公爵だな。モク家にセルケイ家…ユズルラット家まで。他の公爵家に侯爵家がほとんど…。よほどリラン嬢を可愛がっているとみえる」
「叔父様…変わらない…」
…やっぱり、他の公爵家は入ってるんですね。




