61,表の落書きと裏の家紋
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王城の会議室。ここへ足を踏み入れたことはない。
だが、何も怯む事も臆する事もない。
俺は、俺の為すべき事をしに、ここへ来た。
会議室には陛下と殿下、それに政務に関わる方々、それに父上までいる。ザッとこの場の方々を見て、俺は会議室へ入室した。
俺の後ろには、騎士と、その騎士に拘束され連れて来られた男が一人。その男を見てカルタッタ伯爵の様相が変わったのも、俺は見逃さない。
だが。それよりもまず。
騎士と男は許される距離で足を止め、俺は一人陛下と殿下の御前へ向かい、膝を折った。辺境伯として。騎士として。忠臣として。深く拝礼する。
この方々に礼をする事は、当然として身に沁みついている動作であり、俺の心の表れでもある。
陛下の御前に出るのに失礼のない服装に身を包んだ俺が礼をする中、誰も一切の言葉を、音を、紡がない。
始めに声を発したのは、この場の頂点に立つ陛下だった。
「よく来てくれた。そなたが城へ来たら語らいたいと思っていたのだが、その前に少々やらねばならん事がある。協力してくれ」
「陛下。私はいついかなる時に、陛下の御力になる意志。どうぞ存分にこの剣、お使い下さい」
俺の言葉に、陛下も殿下も笑みを浮かべた。
二人はいつも、辺境伯の言葉をそうして受け取り、そして遺憾なく使う。立場に胡坐を掻くことなく、王として、王族として堂々と、民と国の為に。
そういう御方だから、仕える辺境伯も力になりたいと思う。
立ち上がり、俺は今回の獲物を見る。
俺の動きに合わせ、腰元で剣がカタリと音をたてた。リーレイに返してもらった、辺境伯の剣。
陛下の御前で帯剣が許される者などごく僅か。
数少ない者。しかもこの剣。それだけで俺が誰なのか、貴族ならば誰でも解る。
その通り、ベットーチェ子爵とカルタッタ伯爵は俺を見て顔色を変えた。わなわなと震える様は滑稽だ。
「さて。カルタッタ伯爵。ベットーチェ子爵。お目にかかった事はありましたかね」
「き…貴殿は…」
「いらぬ挨拶は省きましょう。私は殿下の御命令を受け、お二人の知り合いというそこの男を連れて来ただけですから」
俺が騎士をちらりと見ると、彼は男を俺の近くまで連れて来て、二人の前へ転がした。男は不満そうに騎士を見るが、グッと奥歯を噛むだけ。
その視線が二人を見るが、向けられた二人は視線を逸らした。不自然なほどの動揺をその目に宿して。
「知り合いなどと…そのような者、知りませんが…?」
「実はこの者は、三日前の夜、他二名と共に衣裳店に押し入り、店主と店員に剣を向けて脅すという行為を犯しました。なんでも捜している二人の女性がいたそうです」
「知りませんな!」
「それほど荒げなくとも聞こえていますよ。私は今、この場に居る皆様にもお伝えしているのですから」
目を細めカルタッタ伯爵を見る。怒りに満ちた顔は、陛下をちらりと見て反論を抑え込むように口を閉ざした。
そうするしかないだろうな。そんな様子を見て俺は続ける。
「なんでも、ある人物から依頼を受け、その二人の女性が情報を掴んでいないか探っていたようです。…もしも少しでも掴んでいれば、命を奪っても構わない、と指示を受けたと」
「あぁそうだ! 俺はこの伯爵様から依頼されたんだ!」
「馬鹿を言うな! 誰がそんな事をっ…!」
煩いな。このままでは陛下の御前でみっともない醜い争いになりかねない。そんなものは許せるわけがない。
俺は喚く男の転がった足にそっと足を載せた。それだけで男は呼吸を忘れて口を閉ざす。
「ランサ。あまり乱暴な事はしてやるな。大事な証人だ」
「御意に」
俺は、少し困ったような陛下の御言葉を受けすぐに足を引く。それでも男は喚かなった。
…こんな俺を、リーレイには見せたくないな。
ふとそんな事を思った。俺は…彼女にとても言えないような事も平気で出来る男だ。
「聞いて分かるように、コイツは貴方の命令を受けた、と証言していますが? 如何か?」
「ただの言いがかりでしょう! そもそも! 王都の案件は王都警備隊や警吏…ひいては騎士団の管轄。いくら辺境伯といえど踏み入っていいものではない!」
この男…馬鹿か?
喚いた言葉にはさすがに思考回路を疑う。
ほら見ろ。ガルポ騎士団長と隣に座る父上ですら、俺と同じ事を思っている表情をしている。俺とは違って顔に出ているから見れば分かるだろうに。
内心で告げ、俺は流石にため息を吐いた。そんな俺にはカルタッタ伯爵も眉を寄せている。
「先にも言いましたが、俺は殿下の御命令を受け、ここにいるのです。なぜ、王都での行動を『将軍』と辺境騎士が認められていない、と思うのです?」
「! 貴殿っ…いつ王都に!?」
「一昨日ですが?」
「!?」
カルタッタ伯爵が目を剥いた。
そうだろうな。俺の言葉はつまり、僅かなその日数で陛下に謁見して行動許可をもらい、全てを把握して、会議より前に殿下とも接触し命を受けていた。という事。
驚くだろう。無理もない。俺もさすがに、これまでにこんな日数で動き回った父上は見たことがない。
言葉も出ないカルタッタ伯爵の隣では、同じ様子のベットーチェ子爵。
さて、話は続けて問題ないか?
少々考える俺の耳に、クスクスと笑う声が聞こえた。
そちらを見れば、はちみつ色の髪色の青年がいた。…確か人務長官、ユズルラット公爵家の御子息、ゼア様だったな。
優し気な容貌に乗った微笑みは、この場の緊張も意に介した風がない。
「よほど急いでいたようだね。クンツェ辺境伯殿。お疲れ様」
「…いえ。先に王都入りしていた部下がいましたので、俺は俺にしか出来ぬことをしたまでです」
「おや? 衣装店の件は三日前だったね。それはその部下が?」
「はい」
「! そうなら先の貴殿の言葉はおかしいではないか!」
威勢を取り戻したらしいカルタッタ伯爵が喚く。俺は本題に戻れるのでそちらを見た。ゼア様は俺が視線を外すまで微笑みを絶やさなかった。
俺を見るとカルタッタ伯爵はさらに続けた。
「貴殿は一昨日に王都に入り許可を得たと言った! 三日前の行動が貴殿の部下によるものならこれは独断! 違反行為だ!」
「先に王都入りしたのですから、俺よりも行動許可が下りたのは早かったですよ」
また、カルタッタ伯爵が口を開けて言葉を失った。
そうだろうな。辺境伯が傍におらず、辺境騎士とはいえ一介の騎士がどうやって陛下からの許可を得るのかと思うだろう。
今回は陛下のお傍にラグン様がおられて助かった。でなければ、バールートは許可を受けれていない可能性が高かった。
俺は仕方がないので騎士団長を見る。ガルポ騎士団長は強く頷いた。
「辺境騎士が王都に入ったという知らせを受けてすぐ、俺はそれを陛下にご報告した。そこで許可は下り、それを辺境騎士に伝えた。四日前の事だ」
「との事です。それは私の部下からも確認済みです」
俺達の言葉には陛下も頷かれた。
俺が王都入りしてすぐ、騎士団長に会いに行った時も同じ事を聞いた。間違いはない。これが間違いであるなら、俺と騎士団長は陛下の御言葉を偽った事になる。
そんな事をするわけがない。
だが、それとは別に非常に不快な思いだ。
「…そもそも。私の部下が独断違反をした? 私の直属の部下に、そんな無責任なうつけはいない」
よくも侮辱してくれた。俺の為に、俺の大切なものの為に、身命を賭して戦い、ついて来てくれる者達を。
俺の直属隊は、俺を慕いついて来てくれる者達。全員俺が認めた者達。
父上にも父上の直属隊があった。父上の引退と共に彼らの中の多くは隊を抜けた。残った者の中には、辺境騎士団の為にと砦で働いてくれている者もいる。
その全員を、コイツは侮辱した。
「ティウィル公爵家は身内に手を出す者に容赦がないと言う。辺境伯は部下への愚弄を聞き逃さない者だと。そう御認識くださって結構ですよ」
誰だって、家族や大切な者が侮辱されれば不快に思う。俺はただそれを告げるだけ。
反論は浮かばずとも往生際の悪いカルタッタ伯爵は、バンッと机を手で叩いた。
「だとしても! そもそも! その男のした事が私の依頼だなどという証拠は!」
「ありますよ」
俺は一枚の紙を取り出した。
これはバールートが拘束した男から押収したものだ。騎士団長にもすでに証拠品として俺が持っている事の許可は貰っている。
何度見ても破り捨てたくなる紙切れだが…重要な品だ。
自分にそう言い聞かせ、俺はまず、この証拠品を陛下へ見せた。殿下も体を動かして見ようとするので俺は殿下にもすぐに見せた。
…見せた瞬間、陛下も殿下も目を点にして何とも言えない顔をした。
そんな表情を見て、俺はすぐにその紙を裏返した。
…と、次には納得と終結の表情を浮かべた。
俺はそれを続けてこの場におられる方々にも見せた。…表の面も。裏の面も。
ほぼ全員が裏面を見て肩を竦めるが……騎士団長と医務長官。腹を抱えて笑うのをやめていただけませんかね。俺もいい気はしないんです。
少々気が立ってしまう俺に「騎士団長睨まれてる。ランサがキレる」と父上の声が小さく聞こえた。…陛下の御前でそんな事はしませんが。
「これはこの男が持っていたものです。ディルク殿の二人の娘を狙っていたようですね。近所で調べたのか、特徴まで。ほら名前も。ここに書き記されています」
一切本人達には似ていないが。特徴だけは同じだ。
俺はこれを見た時、裏面を見ていなければ破り捨てていただろう。不愉快極まりない。
…リーレイはこれを見て「リランはもっと可愛いよね! これは酷いと思う!」と。リラン嬢も「お姉様はもっとお綺麗ですよね! あんまりです!」と。二人揃って俺に力説してくれた。どちらも酷いと思った。
「そして。この裏面に…カルタッタ伯爵。貴方の家の家紋が」
俺は裏面をカルタッタ伯爵とベットーチェ子爵に見せた。
そして、両者の顔が青ざめた。…終わりだな。
紙の裏面。そこにはカルタッタ伯爵家の家紋があった。これを見たバールートは、どこの家かは分からなくともすぐに家紋だと気付いた。そしてこれが、関係を証明するものになった。
そもそも、こういう紙はそれぞれの家の当主が持つ判を押されている時点で、他の紙とは区別して保管すべきだ。必要がなくなれば燃やすという手もある。
カルタッタ伯爵がこの紙を何用のために置いていたのかは知らないが、これがこんな粗暴な男の手に渡った時点で管理責任能力を疑われる事態。手に入れる手段も当然限られる。
これを見つけた男も良い物を見つけたとほくそ笑んだだろう。この紙にこうして依頼内容を記しておけば、後々脅しにも使えるのだから。
「貴方とこの者の接点が見つかりました」
「それはっ…!」
「次いで言えば、この男は全て吐きましたよ。ディルク殿の二人の娘を狙った事も。ナーレンを殺害した事も。貴方の依頼だと」
カルタッタ伯爵もまた、ベットーチェ子爵の行いがバレるわけにはいかなかった。それはつまり彼もまた小汚い手段で得た金の恩恵を受けていたという事。
両者はもうすでに力を失くして座り込むだけ。それを見たゼア人務長官がさらに加えた。
「そうそう。現場に落ちてたディルク殿のハンカチだけど。彼、怪我人とか汗水垂らしてる人によく渡してたらしいよ。ハンカチに少し血が付いてたらしいから。そういう経緯で入手したんじゃないかな?」
「あぁ…。あの人、そういうトコあるからな」
ゼア様の言葉にガルポ騎士団長が心当たりがあるように頷いた。
そんな二人の言葉が耳を通る中、陛下の堂々たる御声が判断を下した。
「国を騙し、民へ行き渡らせるべき国の施しを我物とした罪はしかと調べ上げ、法に則り罰する。カルタッタ伯爵。ベットーチェ子爵。両名を拘束せよ」
陛下の命に、すぐに俺と騎士。騎士団長が動く。
両名を拘束しながら「ご苦労さん」とガルポ騎士団長が俺にこそりと告げた。目礼を返し、俺は連れて来た男も含め、三名を扉の向こうで待機していた騎士に預けた。
彼らは今後厳しい調べを受ける事になるだろう。しかと思い知るといい。己が愚かな事をしたのだという事を。




