60,資料が示すこと
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俺がバールートに調べた内容を渡して数日が経った。
厳粛と緊張が混じり合う、王城の一室である会議室。
シャグリット国の国王陛下は勿論、ローレン王太子殿下、それに政治の各中枢の面々が顔を揃えている。
そんな中じゃ、俺はさすがに場違いにも感じる。
騎士団長の隣に腰を下ろしている俺は、この場での発言権はないのでじっと黙っている。
大体、騎士団のただの指導役がこんな場所に出ることはない。訳を知らない奴は明らかに眉を顰めていた。すでに把握している面々だけは俺を見ても全く表情を変えない。
…まぁ、それを見ればこの場が二派に分かれているのも一目瞭然。
例の件も、披露目されていない婚約話も。全て知っている者と、知らない者。
そして…俺の視線は場のとある人物へと向く。
ベットーチェ子爵とカルタッタ伯爵。
この場に緊張を見せるどころか、鼻高々な様には寧ろ感嘆だ。…同時に少し同情もする。
会議は、ラグン・ティウィル宰相が滞りなく進行していく。俺はそれを耳だけで聞いている。
「では次に。皆様こちらをご覧ください」
ラグン宰相はそう言うと、自分の席から紙を配り始めた。それが俺にも回ってくる。
手に取った全員がその内容に目を通した。
手書きの資料。それが示しているのは、ある植物の生育条件とここ数年の生育記録。気象や生物についても書かれている。
それを見たベットーチェ子爵は片眉を上げた。
「これは?」
「こちらは、ある人物が調べた、ビンツェ染めに使われるビンツェに関しての記録です」
「ビンツェですと…?」
ベットーチェ子爵の声音が変わった。俺は聞き逃さない。
同時に無意識に口端が上がるのが自分でも分かった。
「それは我が地の特産品。一体どこの誰が勝手な調べを…」
「ですから議論するのですよ。ベットーチェ子爵。ただの能なしの拙い調べならば、斬って捨てれば宜しい」
おぉおぉ恐いこった。それがこれを調べた身内に対する言葉か。それとも…身内の調べが確証あるものだと信じている故のものか…。
俺にはその胸中を測れそうにない。
だが、ラグン宰相の言葉にはベットーチェ子爵も不満そうながらも口を閉ざした。
「陛下。私から一つよろしいでしょうか?」
「申してみよ。財務長官」
挙手したのは財務を預かる長官だ。陛下の許しを得て立つと、資料を見ながら口を開いた。
「こちらの資料。国家補助金と国庫への税の軽減措置についても記されています。この補助金は、ビンツェが不作であることからベットーチェ子爵から申請されたものです。ですが…問題なく支給が決められたものでは?」
俺も資料を見た。確かに記載されている。補助金と税の軽減とその金額について。
俺も数年前までは辺境伯だった。この額が示す内容はすぐに理解出来る。
各領地には不測の事態に応じて国からも多少なりと補助金が出る。ベットーチェ子爵の地はビンツェが主な特産で、それが不作である事から補助金が出た。同時に収入減少から税も軽くなった。
それはこの資料からも分かる。
各面々の視線が陛下を見るが、陛下はそれを受けて微かに口端を上げた。
「如何にも。…問題が無ければ、な」
その言葉に一瞬場から音が消えた。だがそれを打ち破る音が上がる。
「陛下! 俺からも一つ!」
「うむ。医務長官」
財務長官に続いて医務長官がビシッと挙手した。そのはきはきとした声には俺達の視線も向き、一瞬の緊迫も消え失せる。
医務長官ガル・モクは五大公爵家の御子息。つまり今回の会議のこの案件の意味が解っているはずだ。
「俺は、この生育記録を見た事から一つ。ビンツェはその生育条件が俺が知る薬草と似ています。さらに気象と昆虫録から見るに不作要因は見当たりません。、なぜこれほどの額の補助金が出るのか分かりません!」
「ほぉ…」
陛下と殿下の視線がベットーチェ子爵に向く。が、当の本人は意に介した風はない。
「ガル医務長官。確かに条件は似ているかもしれませんが、育つ地も物も、全くの別物です。多少似たところがあると言うだけで…」
「では、なぜこれほど不作なのか。原因は?」
「…それは、相手は自然ですから。常に上手くいくとは限らないでしょう」
「確かに!」
…おいおい。快活な同意だな。
思わず崩れ落ちそうになる。ちらりと見えた外務長官が眉間に皺を寄せていた。
そんな俺の耳に「だが…」とさっきまでよりも低い声が聞こえた。その主、医務長官にまた視線が向く。
武人のような鋭さはない。だが不敵な翠の瞳がベットーチェ子爵をまっすぐ見ていた。
「これほどの額を支給されるなら、被害はかなり出たでしょう。どんな手を打ちましたか? 自然が相手? 被害を抑えられなかった要因は?」
「手は…」
「日射ならば影を。水を。雨ならば雨除けを。虫や害獣なら虫よけや防護柵を。打てる手がないわけではないでしょう。これがもし、薬草だったならどうします? これだけの被害で救えるはずの命が救えなくなる」
怒りを抑えたような声音が紡がれた。
その言葉に俺も同意だった。
俺も『将軍』だった。怪我は山ほどした。時には重傷もあった。その時に薬草や薬があることが、どれほど助かったか。
薬がないから仲間を助けられない。そんな事態はゴメンだ。
「育つ地が違う? 俺が例に挙げた薬草を育てているのは、我が家の領地にある、ティウィル公爵家との共同薬学医学研究所です。貴君の領地も、すぐ傍ですよね?」
「っ……!」
「さらにこの気象記録。成長には最適と見ます」
そう言うと医務長官は席に座った。
俺は薬学に関しては詳しくない。だが、その知識を持つ医務長官がそう言うならそうなんだろう。
なにせガル医務長官は、医務室にいなければ書庫室にいる。と言われる程、医学薬学知識を求める人物。
そして、その明朗な人柄から、怪我人病人がいる医務室を、城のどこよりも明るい場所にしてしまう、医務員憧れの医師でもある。そして医師としてのその腕も国一番の実力者。
「ガル医務長官の指摘も含め、城の植物研究者に聞いてみましょう」
ラグン宰相の言葉で扉が開けられ、そこから一人の男が入ってきた。
王城には色んな研究室がある。当然、医学薬学の研究室も。そこには、薬草を育てる事や使う事からも植物の研究者がいる。コイツがその研究者だろう。
ススッと頭を下げて入ってきたその男は、陛下に深く拝礼し、言葉を待つ。
「いきなり呼びつけて悪いが、そなたにもこの資料を見て欲しい。議題はビンツェの生育や不作に関してだ。忌憚ない意見を申せ」
「はっ」
男は資料を受け取ると、まずはそれに目を通した。そして少しずつ目の色を変えた。
「これは…よく調べられているものですね。それに記載もまた分かり易い…。誰がこれほど…いやはや、これを一人でなしたのなら是非欲しい逸材だ…。しかとした薬草知識に気象…ほぉほぉ…」
研究者が一人ぶつぶつと言いながら資料を見ている。そんな様子にローレン殿下がクスリと笑みをこぼした。
それに男はハッと現実に戻ったらしい。そして一度咳払い。
「実によく調べられ、そして正確なものであると申せます。私はこの資料から察するに、ビンツェに特段問題は起こらないと思います。まして不作など、余程の天変地異でもない限りありませんでしょう」
「っ!」
「そうか。ご苦労。下がってよい」
陛下の言葉に男は深々と礼をすると会議室を出て行った。それを見届け、陛下の目はベットーチェ子爵とカルタッタ伯爵へ向く。
「さて…何か異論はあるか?」
「陛下! 私は嘘など申しません! 確かにビンツェは此度不作なのです!」
「…ローレン」
「はい。陛下」
ベットーチェ子爵の訴えが会議室に響く。
それを聞き、陛下は息子であるローレン殿下を呼んだ。すでに殿下は心得ていると言わんばかりだ。
「ベットーチェ子爵。一月ほど前、ディルクと言う王宮金番室室長の一人が殺人容疑で拘束された」
「は……はぁ…」
「実はな。そのディルクは、財務官ナーレンと言い争っていたという証言がある」
「それはそのディルクとかいう者の仕業でしょう」
いきなり何の話だとでも言いたげにベットーチェ子爵は答えた。ローレン殿下はそんな不遜な態度にも鷹揚な空気を崩さない。
…俺は見たぜ。ラグン宰相が一瞬視線を鋭くさせたのを。
「そう思うか? ナーレンは事件当日に、ディルクと話をすると言っていたらしいんだがディルクはそれを否定した。そんな話をした覚えなどない。本当だ。と」
「そんな言葉は嘘でしょう。罪を認めぬ愚かな者がよく言う言葉です」
「そうか。そう思うか」
ローレン殿下はうんうんと頷く。自分も心底同意だというように。
だが、次には視線を鋭くベットーチェ子爵を見た。それまでの空気を一切消し、冷ややかなものに変えて。
「罪を認めぬ愚者はよく言う。自分は嘘など吐いていない、と」
冷え冷えとした声に、ベットーチェ子爵はローレン殿下を見た。そして青冷めた。震える口は言葉を紡げないらしい。
ローレン殿下はそれを冷たく見やり、机の上から一枚の紙を見せた。バッと俺達にも見せられた紙に、一番に反応したのは財務長官だった。
「ベットーチェ子爵。ナーレンの身辺から出たぞ。そなたの地に対する補助金と減税に関する細かな計算の跡が。国へ違和感を与えず、甘い汁をすする為の計算の跡が」
「それはっ…!」
「全く…。ナーレンのこの計算能力、財務に欲しい数少ない逸材であった。なぁ財務長官」
「えぇ。全く…。残念です」
…俺には分からん数字の跡だが、二人にはとても貴重なものに見えているらしい。分からん。
「ベットーチェ子爵。これを私に渡したのは誰だと思う?」
「……は?」
「ん? 驚いて言葉も出ないか。そうか。ではもう一つ教えよう。これを見つけ、私に証拠として提出したのはディルクだ」
ベットーチェ子爵の二度目の青ざめだ。隣ではカルタッタ伯爵もだんだんと青ざめていく。
無理もねぇが、こりゃ自分が悪いんだぜ。
ガクガクと震えているベットーチェ子爵は、ハッとなったように資料を鷲掴んだ。くしゃりとその資料に皺が寄る。
「ではこれもディルクが…」
「いいや。それは全くの別人だ」
「別っ…!?」
「ディルクが私に渡した証拠。その裏付けが途中だったディルクに代わり、その娘達がやり遂げてくれた」
バンッとベットーチェ子爵が机に手を打った。資料が無残にくしゃくしゃだ。
ギッと歯ぎしりする様は、それでもこの場を切り抜けようと考えているようにも見える。
だが。もう終わったな。見てみろ、ラグン宰相のあの冷血と評判の冷ややかな目を。
ベットーチェ子爵の隣で、カルタッタ伯爵が頭を抱えた。
「やはり娘が掴んで…!」
「ほぉ…。カルタッタ伯爵はディルクの娘を知っているのか」
その小さな声も、ローレン殿下は聞き逃さなかった。
時すでに遅い。ベットーチェ子爵はがばりとカルタッタ伯爵を、カルタッタ伯爵は殿下を見るが、殿下は不敵にその視線を向けるだけ。そして、その表情通りに口端を上げると口を開いた。
「ベットーチェ子爵。カルタッタ伯爵。そなたらの知り合いを私の友が連れて来てくれたんだ。せっかくだから会わせよう」
殿下がそう言うと、会議室の扉が開いた。
その向こうに、堂々と背筋を伸ばす、ランサが立っていた。




