58,『闘将』、第一の強敵に遭遇
ティウィル公爵の眼光が俺を射抜く。
武人特有のそれではなく、貴族として、公爵として、長く国に仕えてきた威厳あるその佇まい。そんな風格を出せる者は本当に数少ないのだと俺は知っている。
流石だな。純粋に感嘆し、同時にリーレイを可愛がる手強い敵であるとも理解する。
だが俺も、ここで怯む事は無い。俺にも背負うものがあり、守りたい人がいる。
「私の婚約者、リーレイ・ティウィルがどこにいるか、ご存知ならばお教え願いたい」
「成程。しかし。もう少し王都入りは遅れるかと思っていたが、ツェシャ領はよろしいのかな?」
ピクリと俺の眉が動く。俺の後ろではソルニャンが「ランサ様抑えて…」と言っているが、俺とて自重している。
俺はティウィル公爵をまっすぐ見る。強く。逸らさず。
「私は国境の番人だ。それを疎かにするなどありはしない。そのような陛下と殿下への不義、なした瞬間この首を捧げる覚悟。現在は私の補佐官と国境警備隊隊長に一任して問題ない状況だ」
少々語気が強くなったかもしれない。だが、ティウィル公爵は一切怒りも怯みもなく、その威風を崩さない。
俺と公爵の睨み合いが続いたが、不意にティウィル公爵が口元を緩めた。
「流石は『闘将』と謳われる辺境伯だ。その覚悟。その目。今後も変わらぬ事を祈ろう」
「変わりはしません」
「ならば良い」
…俺は、今にも斬りかからんとでも見られたか?
抑えていたんだが…と思いソルニャンを見るが、ブンブンと首を横に振られた。…これはマズイな。今後の為にも気を付けよう。
だがやはり、役目を半端にしていると思われるのは少々抑えが利かない。これは俺の心からの感情だ。
だが同時に考える。こういう言葉に対し反論しないと、陛下や殿下がそんな者に国境を任せていると、お二人への不信になりかねない。…と思うくらいには慎重にもなる。
もっとも、俺はただ俺の役目を全うするだけだ。
「リーレイならこの屋敷だ。貴君が来られたと伝えるが、その前に、良ければ少し話でもいかがか?」
「…分かりました」
ティウィル公爵からの誘いならお受けしないわけにはいかない。…本当はすぐにでもリーレイに会いたいが、仕方ない。
俺は応接間に通された。ティウィル公爵の正面に座り、共に入ったソルニャンを見る。
「ソルニャン。お前だけでもリーレイの元へ」
「俺はランサ様の騎士です。ここまでご一緒して、今お傍を離れるなんてありません」
その言葉に少々眉が下がってしまう。
直属隊の騎士は皆、俺が大切に想うリーレイも守ってくれる。だがそれでも、俺の命令以外で自分の意思で俺から離れてリーレイにつくことはない。
その意思にはいつも驚嘆し、まっすぐで変わらない事に感謝も抱く。
ソルニャンに「分かった」と頷きティウィル公爵を見れば、公爵も少し口角を上げていた。そして、ソルニャン同様控える男性に声をかけた。
「グナー。彼に椅子を。どうやら大変な道中だったようだ」
「いやっ、そんなお気になさらず…!」
ソルニャンは慌てたように断っていたが、グナーという男性はすぐに「承知しました」とソルニャンに椅子を差し出した。慌てふためくソルニャンだが、その足が限界であるのは見て分かる。
それは俺も同じ。俺からも声を添えれば、ソルニャンは公爵に頭を下げながら椅子に座った。
落ち着いたのを見て、ティウィル公爵は「さて…」と正面の俺を見る。
「クンツェ辺境伯は、今王都で起こっている事はご存知ないな?」
「はい。私が知っているのは、リーレイの父君が拘束されたという事だけです」
「では、状況を説明しよう」
ティウィル公爵はご親切に俺に状況を説明してくれた。
リーレイの父君、ディルク殿に着せられた汚名。それを晴らすためにリーレイが動いている事。何者かがリーレイと妹のリラン嬢を狙っている事。リーレイは今、ビンツェ染めについて調べている事。
一連の事を聞き、俺はリーレイが父上と接触した経緯を把握した。
確かに、リーレイの父君と俺の父は顔を合わせているだろう。俺とリーレイの婚約から始まったその繋がりは、今も繋がっているのだから。
「リーレイはまず自分で調べると言った。故に私も手は出さない。リーレイはティウィル公爵家の力も使っていない。勿論、貴君がリーレイに渡した剣も」
「そうですか…。リーレイなら容易に使わないだろうとは思っていましたが…」
元々、一般街で平民として日々駆けていたというリーレイだ。今もそれは沁みついていて、いきなり家名や権威を振るうとは思っていない。
だが、そんなリーレイにはどうしても笑みがこぼれてしまう。
己の力で。まずが自分が。そういう彼女が愛おしくて眩しくて仕方ない。
そう思う俺の前で、ティウィル公爵はフンッと鼻を鳴らした。
「大体この一件、すでに見えているティウィル公爵家の力を使う方が、クンツェ辺境伯家よりもスムーズに進むだろう。リーレイにわざわざ剣を渡す必要などなかったがな」
……これはつまり、お前より俺の方がリーレイの力になれるんだ。という事だろうか。
俺は何とも言えずティウィル公爵を見る。
…それはまぁ、そうだろう。王都での一件に辺境伯家が出るよりも、公爵家が出る方が違和感もない上、力も強い。
それくらいは俺にも解る。
「そういう事だ、クンツェ辺境伯。貴君も動くのならばリーレイの意思に反しない行動をとってくれ」
「勿論です」
「リーレイには明日までと期日を設けてある。それで出来なければティウィル公爵家が動く」
…お前の出番はない。と目が訴えてくるが、俺は何も言わない。
期日か…。夜会が近いからそれも仕方ないが…。
俺が家名を出して動くならば公爵家程でないにしろ、解決までなんとかできる可能性はある。
だが、それをリーレイが望むかどうかは別だ。俺は今回、あくまで己で動くリーレイの助けになるためにいるのだから。
俺が頷くと、ティウィル公爵は僅か眉間に皺を寄せた。そして少し息を吐くと、優雅な動作で足を組む。
「ではもう一つ」
「何でしょう?」
ティウィル公爵の目が俺を見る。
だが俺ははっきりと感じた。室内の空気が僅か冷えるのも、公爵の視線が鋭い光を放つのも。
…何か、重要な話か? そのためにわざわざこの時間をとったのか?
そう思うと自然背筋が伸びる。
「貴君とリーレイの婚約は、両家とも一切合切考えてもいなかったもの。そんな相手であるリーレイの事を、どう思っている?」
「愛しています」
そんな事か?
疑問に思いながらも問われたのですぐに答えると、心なしかティウィル公爵の眉がピクリと動いた気がした。同時に控えるソルニャンがガクリと音を立てた。
大丈夫か? そう思って見るが、「す…すみません」となぜか引き攣った表情が返ってきた。
眼前のティウィル公爵は、さらに表情を険しい…というよりも、背後に真っ黒な空気を従えて俺を睨んでいる。
ティウィル公爵は大層リーレイ達を可愛がっていると聞いている。王都で公爵がリーレイに薦めていた縁談の中に辺境伯はいなかった。
だからこそ何か探りが入ることは想定していた。…こう直球でこられた事には少し驚いている。
だが、俺の答えは何も変わらない。
鋭さに満ちた衰えない眼光が俺を睨む。俺もまっすぐとそれを見返した。
室内の空気がバチバチと音をたてそうだとすら感じた。
「いきなりの婚約でしたが、それでも彼女はまっすぐで、私を知ろうと見てくれました。活発で。努力家で。生き生きとしていて。笑顔で。恥ずかしがり屋で。心配性で」
リーレイの表情が。共に過ごした時間が思い出される。
それだけで俺の胸が温かくなり頬が緩む。
「いつも私をまっすぐ見つめる。そんな彼女が何より愛おしい。彼女に傍に居て欲しいと思っていますし。……もう、彼女を手放せそうにありません」
朝、俺を見送ってくれる姿も。帰れば出迎えてくれる姿も。食事の席で料理に頬を緩める姿も。使用人達と談笑する姿も。俺と目が合うと嬉しそうな笑顔を浮かべてくれる姿も。
全て、俺の中に刻まれてしまった。
傍に居て欲しい。隣に立って欲しい。
俺の日常がなくなれば、俺はもう…俺でいられない。
俺はいたって真剣に本心を告げたが、公爵の表情が歪んだ。
…何か、間違えただろうか? いや。そんなはずはない。
「欠片でも偽りが見えればリーレイを戻したというのにっ…」
……何か、ぼそりと苛立ち交じりの言葉が吐き捨てられた。恐らく俺が良しとできない言葉だろう。深く掘るのはやめておこう。
「…ティウィル公爵はリーレイの叔父だと聞きましたが。彼女を…娘のように思っているのですね」
「当然だ」
即答か。かなり手強いな。
俺の視界に、壁際でクスリと笑うグナーと言う男性の姿が見えた。
「幼い頃からずっと見てきた子だからな。兄と二人で父親のつもりだ」
…俺は今後、公爵のこともディルク殿同様に接しなければならないのだろうか? 義父と?
…無理だな。今の公爵を見て思う。
公爵とはリーレイを間に縁が出来るが、これは思っていたものとは違うな…。
「だが。リーレイもまた貴君を好いているようだ。いくら父のつもりでも、あまり出しゃばってはあの子に嫌われてしまう。互いに適度を保とう」
「…そうですね」
公爵が微笑みを浮かべているが、何も笑っているように見えない。
それにその言葉はつまり、お前もリーレイにベタベタするな、という事だろうか。婚約者なのですが?
少々物言いたい事はあるが、俺は争いは好まない。
…公爵の前では程々を保つことにしよう。
「グナー。リーレイ達にクンツェ辺境伯が御到着なされたと。ここへ連れて来てくれ」
ティウィル公爵の指示にグナーが頷き部屋を出た。
やっとリーレイに会える。それだけで強行行程の疲労も癒える気がするのだから不思議なものだ。
無意識に長く息を吐いた。




