51,妻の笑顔が原動力です
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俺は城を出て、歩いて屋敷へ帰る。
馬車なんざ使うつもりもない。時には馬で行く事もあるが、時には徒歩だ。そういうのは嫌いじゃない。
城から屋敷まで、さして時間がかかるわけでもない。俺の足でも十五分ほどだ。
ツェシャ領じゃ、風に当たりながら歩く事もあった。だからこういう歩く時間も悪くないと思うのかもしれない。
ツェシャ領の風が懐かしい。そもそも俺は引退してもツェシャ領に住むつもりだったってのに、ランサのやつ…。
確かに俺の引退が早かった事は理解している。だが俺にも理由があった。
何年も何十年も、馬鹿の一つ覚えのようにシャグリット国を窺って来るカランサ国。俺が若い頃からよく起こっていた衝突。
妻にはかなり心配をさせていた。見送るのが辺境伯の妻の役目とはいえ、それでも解っていた。
毅然として。落ち着いて。それでも裏に不安と言えない想いを抱えている事は。
だから俺は、ランサに任せても大丈夫だと判断できてすぐ、隠居を決めた。
あの五年前の戦も、当時辺境伯だった俺が全隊の指揮を執ったが、最前線はランサに任せていた。アイツもかなり派手に暴れたようで語り草になっている。俺も昔はよくあったことだ。
それでやっと、隠居して妻と悠々と暮らせる…はずだった。
ランサには王都に引っ込めと言われ。来てみれば陛下から「騎士団に入らないか」と言われ。
どこが悠々だオイ。寄越せよ、妻との時間を。
『陛下。騎士団には入りません。俺はもう引退したんです』
『だがガドゥン。お前…まだまだ現役だろう?』
『引退しました。もう満身創痍です』
『嘘言え。若い頃から武功を立てている『益荒』が何を言っている』
『陛下。能力主義っつってもですね…』
『ガドゥン。お前がこれまで成してきた事には敬意をはらう。私とて引退したお前を食い潰すような阿呆はせん。そのつもりなら引退など認めるか』
『そりゃまぁ…』
『元帥や騎士団長だ。お前が王都にいる情報を掴んだのは。それで私に進言してきた。ガドゥン。騎士団といっても前線へ出ろとは言わんし、万が一に出陣しろとも言わん。ただ、お前から学びたい騎士も多いんだ』
『…なら、俺がするのなんざ指導程度でしょう』
『指導役ならやってくれるのか?』
陛下に呼び出された時の苦い記憶だ。
騎士団入隊なら断固拒否だった。嫌だからではない。
俺は引退した。それは事実で。それで入隊すれば「まだ将軍をやれる」とかなんとか言われかねない。
今の辺境伯は。『将軍』は。ランサだ。
譲った俺が出しゃばる事はできん。
その俺の胸中を陛下は絶対に見通していた。だが…あれは確信犯だ。指導役で頷かせるために嵌められたんだ。
指導役の件でも、実際は何度も問答を繰り返した。…半分は俺の根負けだ。
俺は知ってますよ陛下。ご側近方が俺らの問答を何とも言えない顔して見てたのを。
陛下には今も忠を誓っている。もしも本当に陛下が俺に助けを求めるなら、俺は全霊を持って応える。
陛下は昔から俺を「友」だと言い、親しくしてくださっている。
だが、王とはそれだけでは務まらない。そう言って下さる、向けてくれる心は本心であり、その中に打算もある。それくらいは俺にも解る。
だとしても、俺は陛下に忠を尽くす。昔から何も変わらない。
俺は『王』だからあの方に忠を尽くしているわけではない。それはランサも同じだ。
ランサも陛下と、そして近い将来には王となるだろう殿下。二人を見て、己で判断し、忠を尽くしている。
ガキの頃に王都に連れて来たのもそのために必要な事だった。そのおかげか、今は殿下とも友として良好な関係だ。
辺境伯家は常に、固い忠誠を尽くす面と、裏切りの面で見られている。
二家となってからは、そんな不安要素は一切ない。それも先人のひたむきな行いと、俺とランサが五年前に活躍した事実があるからだ。そのおかげか、国民からも忠と国の要である面が強く見られている。
いい事だろう。戦なんてなく、そうあれればそれがいい。…逆に、目立ちすぎれば面倒だというのも俺達は知っている。
そんな事を思いながら、俺は王都にあるクンツェ辺境伯邸に帰って来た。
やれやれ。やっと今日の仕事が終わった。…が、明日は少し仕事が増えるな。
ティウィルの令嬢の親父さん、ディルク殿の事はまだ妻には話していない。が、今日の内に話しておくか。ランサも想定よりも早く来そうだ。
そう思いながら進んでいると、屋敷の扉が開けられた。
「「おかえりなさいませ」」
「おぅ」
中から向けられる出迎えの言葉。それは全て、ツェシャ領に居た頃から仕えてくれている者達の声だ。
そしてその中で、恭しくも品良く礼をする一人の女がいる。
「おかえりなさいませ。ガドゥン様」
「おぅ。戻った、シルビ」
俺は歩くそのままの足で妻の元へ行き、腕の中に閉じ込める。
触れる柔らかな感触。香り。心を満たすぬくもり。導かれるように俺は旋毛に口付けを落とした。
そうすれば、クスリと嬉しそうで愛しそうなシルビの声が漏れる。それには俺も口端が上がるのが分かり、腕を軽く緩めてシルビを見た。
黒く長い髪を緩く結い、柔らかな金色の瞳が俺を見て微笑みをつくる。
俺は陛下から騎士団指導役を仰せつかった時、一つだけ条件を出した。
『定時で帰ります。休みは週二日以上。これだけは譲れません』
『それは構わんが…理由を聞いても構わんか?』
『妻との時間優先』
『分かった』
陛下からは即答で了承をいただけた。…その時にクスクスと面白がるような声が消えたのは気のせいだという事にしている。さすがに言うのは不敬だ。
が、俺は知っている。側近達が生温いやら微笑ましいやらの視線を寄越していた事は。
陛下があぁいう反応をした理由は分かってる。
シルビと婚約していた頃。披露目をしたにも関わらず、名を轟かせていた俺に寄って来る令嬢方が後を絶たなかった。正直に言って鬱陶しくて仕方なかった。
だから俺は、
『俺の妻はシルビだけだ!』
と、言い放ってやった。
ただそれだけの事だったが、なぜか「辺境伯愛妻物語」とかなんとかって本にまでなりやがった。理解できん。
俺は思った事をただ言ったにすぎん。事実だから言ったにすぎん。未だに俺は首を捻っている。
「シルビ。少し話がある」
「はい。何でしょう?」
「詳細は後で言うが…今、王都にランサの婚約者のティウィルの令嬢が来てる」
俺が言うと、シルビが金色の瞳を少し丸くした。
「まぁ…。ではランサも一緒に? 予定よりも早い到着ですね」
「ランサはまだ来てねぇらしい。令嬢は今、別件で動いてる」
ますます混乱させたんだろう。シルビが首を傾げた。
それを見て、俺は使用人達にも告げた。
「数日のうちにランサがティウィルの令嬢と屋敷へ来るだろう。予定より早いが頼む」
「「承知しました」」
驚きでもなく、すぐに返事が返ってくるのはありがたく頼もしいことだ。それに全員、懐かしく久方ぶりのランサの到着を心待ちにしているのだと、俺は知っている。それに今回は婚約者が一緒だ。一層その心は強いだろう。
俺は全員に向けていた視線をシルビへ戻した。シルビが俺に向ける視線はいつも穏やかで優しいものだ。だが、この目が時にコロコロと変わることを俺だけは知っている。
「ティウィルの令嬢から言伝を預かった。挨拶が遅れる事申し訳ないと」
「はい。何か大事な用件なのですね。承知しました」
シルビもやはり、一切不満など見せない。どころかどこか楽しみなのを抑えきれていないような顔をする。
それを見てると、俺は婚約の話を告げてからずっと、シルビがティウィルの令嬢と会うのを心待ちにしていたのを思い出す。
俺はシルビの手を取り談話室へ足を向ける。
「ティウィルの令嬢の別件の事、俺が知る限りを話す。それに面白い事も聞いたぞ」
「ふふっ。ガドゥン様、とても楽しそうですね。何ですか?」
「令嬢と来てる、ランサ直属隊のバールートに聞いたんだが。ランサの奴、随分とティウィルの令嬢に御執心らしい」
「…ランサがですか? 子供の頃から剣術や戦術ばかりだった、あの子が?」
ランサはガキの頃から剣を持って、それを振るばかりだった。俺がいれば鍛錬をつけろと言ってくるばかり。
…俺が、ランサの奴をそういう気にさせた事も。焦らせていたことも解ってる。周りの無意識な期待も。『益荒』が父親だった事も。
だからこそ、それを知るシルビは目を丸くする。気持ちは分かる。
「ティウィルの令嬢、馬を駆り、剣も使えるらしい。平民育ちでもそこまでやる奴はいねぇだろう。騎士になるでもなかったしな」
「まぁ…。ランサとも気が合いそうな方なのですね。早く会いたくなってしまいました」
シルビもやはり不快はない。だろうな。
シルビの為にもさっさと事を終わらせよう。妻の笑顔の為、明日は動き回ってやろうと決めた。




