5,心が落ち込んでしまいます…
『どうぞごゆるりと』
……と言われたものの、私はこれまでの生活から、何もせず過ごすという事に慣れていない。
朝は朝食を作って、市場へ行きそれから店へ行き仕事をした。家にいる間は家事や畑仕事、買い物もして動き回っていた。
だから「ゆっくりしてください」は、ほとほと困る時間。
困って困って、クンツェ辺境伯家に来て五日が経った。
初日は使用人達へ挨拶をして、持って来た荷物の整理をした。
二日目にはメイドが屋敷を案内してくれた。敷地には使用人達の寮や厩、畑もあった。やっぱり広かった。馬も畑も世話をする専任の人がいた。
案内してくれる中、メイドの一人、ミレイムは色々な質問を向けてきた。
『リーレイ様。昨日は男装してらっしゃいましたが、どうしてですか?』
『…馬に乗りやすいから。ヴァンに同乗すると、馬も疲れるでしょう?』
『ヴァン様は護衛ですよね? 供はお一人なんですか?』
『うん?』
馬に乗る事はやっぱり驚かれたけれど、それ以上は一緒にいたメイド、セルカに止められていた。少しだけミレイムは不満そうにしてた。ミレイムはまだ十代半ばくらいだから、きっと色々興味があったんだろう。
ヴァンの事はすでに殿下が手紙でお伝えくださっていたらしい。
同時に私は、この日から男装をやめた。辺境伯様がいつお戻りになられても挨拶出来るようにというつもりで。
それに何より、男装する理由がなくなったから。それを痛感して、少し寂しくなった。今日からは比較的動きやすいワンピースで過ごす。
ちなみに二日目のヴァンは、すでに使用人達とお喋りする仲になっていた。馴染むのが早い…。
三日目。じっとしてるのが辛くなってきた。意味なく屋敷内や敷地内を歩いて、馬の様子を見に行ったり。馬丁とお喋りした。他にする事がなくなり始める。
三日目のヴァンは剣の鍛錬をしていた。いいなって思って見てると、解ってるくせに「何か?」って聞いてくる。忌々しい…。
四日目。首をもたげてくる不安を追い払う一日を過ごした。
日を追うごとに胸の中のもやもやが大きくなっていくのが分かる。
ここじゃ、全てをメイドや使用人がやってくれる。ありがたいけれどどうしても申し訳ない。
唯一、自分で出来るからと手を借りるのを断ったのは、着替えと入浴。メイド達は何も言わず下がってくれた。ありがたいけれど、私がしてる事は逆に仕事を奪ったのだろうか、と考えてしまってまた申し訳なくなる。
これからはこういう生活だ。やっていけるのか、だんだんと分からなくなっていく。
不安は尽きない。
生活の違い。国境の野盗。付け焼刃の貴族の振る舞い。急に一人になる食事の場。話し相手もいない屋敷の中。
それに何より、辺境伯様の人柄について。……私の夢見がちな想像で良い人を想像しているだけで、拒絶されてしまったら。関係なんて結べなかったら…。
ディーゴやシスに話を聞きたかった。でも二人も忙しそうだから、私の不安に付き合わせられない。
ヴァンは、他の人目がある所ではずっと後ろに控えて護衛に徹するし…。
空いた時間は読書に充てた。屋敷の書庫に入る許可をディーゴにもらって、不安と時間を忘れたくて本を読む。
それでも時々ぼうっとして別の事を考えてしまって、何度も頭を振り払った。
けれど、それでも追い打ちをかけるような事は起こる。
五日目の午前中。読書の合間に散歩に出た私は、庭を散策していた時に聞いてしまった。
「まさか馬に跨って来るなんて…ねぇ?」
「馬車じゃないし。それに半月も早くて。聞いてはいたけど男と二人で」
「お偉い御令嬢らしいけれど、ランサ様に無礼ではないかしら?」
たまたま、耳に入って来た会話。それは多分メイド達で、何度か聞いたミレイムの声もあったように思う。
胸にじわじわと突き刺さるような痛みを生んで、私は思わずその場を離れた。離れてすぐに行き会ったシスに、上手く表情をつくれていたかは分からない。
これまでただの平民として生きていた私は、勿論嫌な事や嫌味を言われる事はあった。そんな時は怒りを覚えたけど、落ち着いて立ち向かう事が出来ていたと思う。
でも、今は違う。私には言い返す言葉もない。
貴族社会から見れば、私は品のない立場だけの御令嬢だ。ただの風変わりな女だ。
初日にディーゴは「好きな事をして過ごして」と辺境伯様の言葉を伝えてくれたけど、それはきっと馬に乗ったり剣を振ったりじゃない。それくらいは分かる。
流石に、二人にそれがしたいとは言えなかった。辺境伯様だってそんな事、望んでない…。求めない。
私はただ、女主人として屋敷の諸々をこなす。社交に務めつつ、辺境伯様に恥をかかせないよう慎ましくある。
解っていた。解っていたはずなのに……。
「……っ」
口に出そうになった言葉を、唇を噛んで堪えた。
駄目。まだ駄目。まだ会ってもいない。実際にこの目で見ていない。知ってもいない。だから駄目だ。
「お嬢」
「!」
いつものように、気怠そうな声が私を呼んだ。
バッと顔を上げればそこに、いつの間にか前に居てコテンと首を傾げてるヴァン。いつの間に…。
「一体いつの間にこんなトコに? 俺、一応護衛なんですけど?」
「……護衛が、対象を見逃しちゃ駄目でしょ」
「そりゃそうですけど。まぁ屋敷内ですし、お嬢にはこれまで振り回されて来たんで、あんまり心配してないですし」
同意しといてどんなぶっちゃけかましてくるのかな? それで護衛でいいの?
ヴァンを見てるとフッと笑いが出た。なんだかヴァンを見てると力が抜ける。ヴァン自身が力抜けてるからかな?
「書庫戻ります?」
そう言うヴァンに私も頷いた。いつの間にか止まっていた足をまた動かす。
ヴァンはいつものように私の斜め後ろを歩く。ここ最近の決まった位置は、王都に居た時より下がってしまった。
でも、傍にあるって分かってるから、少しだけ心は楽になる。
「ねぇヴァン。どうして私への同行了承したの?」
「お嬢をお守りするためー」
気怠そうに伸ばして言われても守られる感がない…。いつも大体こんな感じだけど…。
ガクリと肩が崩れながらも、歩きながらヴァンにため息交じりに言葉をかけた。
「そりゃ、家に来たのも叔父様の命令だったからだけど。元々やる気なかったでしょ?」
ちらりと後ろを見ると、ピクリと眉が反応したのが見えた。
家に来たばかりの頃、ヴァンは今よりもっと面倒がりでやる気がなくて、出掛ける時も「えー出掛けんの?」って面倒そうな顔を隠さなかった。
でもいつからか、ちょっとは動くようになって。「出掛けんなら行きます」って言うようになった。何か心境の変化でもあったらしい。
私はヴァンの成長を見てきた気持ちになりつつある。
「あの頃のヴァンは…」
「あ、それ結構です。俺もちゃんと改めたでしょ。来る事も自分で決めましたし。なんで、笑っちまいそうなくだらない噂話されようが、お傍にいますよ?」
「!」
「俺の主は貴女ですから。リーレイ様」
ちょっと懐かしい話でもと思ってたのに、私はがばりとヴァンを振り返った。また足が止まるけど、ヴァンは鷹揚と、いつもの気怠そうな顔じゃなく、なんだか真剣な目をして少し笑みさえ浮かべていた。
ヴァンも気付いてた…? それでも、私の傍にいるの?
私は、主なんて御大層な人間じゃないよ…?
「ヴァン…」
「ってかお嬢。屋敷でじっとしてるとか、何らしくない事してんです? 頭に蛆でも湧きました?」
「今度は失礼!」
その目は本気の目だね! 湧いてないから!
止めて欲しいな。色々空気を壊してくるの。心がついていくのに必死だから。
怒ってヴァンを睨むけど、全然動じてないのがまた腹立たしい…。
私の所為でヴァンまであれこれ言われるのは嫌だ。だけどそれを否定するだけの言葉も、行動も、私は何も示せていない。皆との信頼がない。
ここで辺境伯様を頼れば、理解のある方だったなら、多分なんとかなる。
でもそれじゃ駄目だ。
それは辺境伯様に縋るだけ。私が私で対処しなければ。これからずっと皆とぎくしゃくとした嫌な関係になってしまう。
「私…本当に、やらなくちゃいけない事、いっぱいあるね」
「ですね」
不安ばかり考えてる時間なんてなかったんだ。そんな事が今になって分かるなんて…。
分かって、でもどうしてか口元が緩んだ気がした。
知らない場所なんだから。一から全部築かないと。
一度に全部は無理だから。関係性だって時間がかかる。でもまずはその一歩を。
「よしっ!」
やる気出た!
私の前でヴァンが少しだけ口端を上げていた。
「やる気が出て何よりです。ただ、目下最大の懸念は辺境伯様ですね」
「うん。でもまだお戻りにならないみたいだから」
「いっそ会いに行きます?」
「駄目だよ。お仕事中なんだから」
「そうですか? 良い案だと思ったんですけど…」
どこが。お役目のお邪魔になるでしょう。
確かにヴァンの言う通り、目下最大の不安要素ではある。どうにかしたいと思うけど、こればかりは私は勝手に動けない。
だから、今日は少しでも使用人の皆との交流を図る事にした。
「予定変更! 皆とお茶するっ」
「りょーかい」
そう決めて、私はまず一歩を踏み出した。
♦*♦*
私の目下最大の不安要素を解消する機会がやって来たのは、その翌日の事だった。
一人の朝食の後、ヴァンを連れた私は玄関扉の前で佇むディーゴとシス、そして二人のメイドを見つけて近づいた。
揃って何か話してるみたい。
「どうしたの?」
「リーレイ様」
揃ってぺこりと頭を下げてくれるのを受け取る。よく見れば、メイドの一人は何か荷物らしい物を持ってる。届いた物かな?
首を傾げる私にディーゴが困ったように眉を下げた。逞しい体つきの彼も、そうしてるとただ人が好いようにしか見えない。
「実は…砦にいらっしゃるランサ様に差し入れを持って行こうとしたのですが、誰を向かわせるかでまとまらず…」
そこでどうしてまとまらなくなるのか分からなかった。今その差し入れらしい物を持ってるメイドじゃ駄目なのかな? 見た目で屋敷の者だと分かるし。
ディーゴが屋敷を空けないのは何となく分かる。シスも同じ。
私は差し入れを見てから、またディーゴを見た。
「それはどうして?」
「いえ…。私はメイドを向かわせようと思っていたのですが。シスが……リーレイ様にお願いしてはと…言うのです」
「私に?」
思わずシスを見ると「はい」とはっきりとした声が肯定を告げた。その答えに少し私も驚く。
私は別段行っても構わないし、断る理由もない。ただ立場的にディーゴは図々しいと思ったんだろうなとは分かった。シスもこういうところはディーゴと同じ考えかと思っていたけど、今はっきりと逆の答えをくれた。
差し入れを持って行くのを頼むのは、有り体に言って使い走りだ。
でもシスは、私とディーゴを交互に見てはっきりと続けた。その様はまさに長く仕えてきたメイド長そのもの。
「ランサ様はまだ戻られません。このままではリーレイ様をずっとお待たせするばかりです。これはランサ様のお役目上致し方ない事ですし、決してリーレイ様を無下に扱っておられるわけでは勿論ありません」
「うん」
「しかし、だからこそ、リーレイ様ご本人ではなく、まだお会いして日も浅い者がランサ様の元へ向かい、まだお会いしていないランサ様にリーレイ様の事を、為人も含めお伝えするのは避けるべきだと思うのです」
その言葉にハッとなりシスを見た。そんな私とは違ってメイド達は少し身を小さくさせた。
シスは別にメイド達を見る事はしていない。あくまでディーゴさんを見ている。
でも、それだけでシスの言葉が理解できた。同時に胸が少し苦しくなった。
やっぱり、昨日ばったり出くわした時の私は酷い顔をしていたんだ…。
シスだって、私に会って、言葉もさして交わしていないのに。それなのに…。
その心が嬉しかった。胸にあたたかくて強い力を貰った気がした。
だから私はそのぬくもりを持って、はっきり告げた。
「私が行く」