48,護衛官は逃げたい
♦*♦*
「ではヴァン。後は任せる」
「了解です。ありがとうございました、ラグン様」
「…他人行儀にするな。お前も身内だ」
そう言ってラグン様は眉を下げて肩を竦めた。…いやいや。俺はただの拾われ子ですから。
ティウィル公爵家の屋敷からシャグリット国の中心、王城へ来た。
ラグン様は仕事へ戻り、俺はバールートさんと一緒に城内を歩く。あー、ちょっとだけ懐かしい。よくこの廊下も鬼ごっこに使ったもんだ。
お嬢がツェシャ領へ行く事になって、俺も一緒に行くから仕事を辞めた。事情が事情だったからか。それともローレン殿下の根回しがあったのか、案外すんなり辞める事ができた。
あれから、またこうやって城に立ち入る事になるとは…。いや別にあれが最後だとか感傷に浸ってた事はないから、別にいいけど。
「ヴァンさんは、やっぱり衛兵とは顔見知りが多いんですか?」
「まぁちょっとは。同じ衛兵でしたし」
特に城の正面にいる衛兵は、俺も出勤で何度も顔合わせてたし。さっきも「久しぶりだな」って声をかけられた。
だからなのか。それとも宰相であるラグン様が一緒だったからか。俺らはすんなり城内へ通された。…バールートさんが怪しまれてないのは、俺らが一緒だったからだろう。
宰相が一緒にいるって、色々とすぐに事が通って楽…。
そんなわけで、きちんと身元保証がされている俺達は城内を堂々と歩ける。いざとなれば「宰相呼んで下さい」で通る。流石ラグン様だわ。
王城はとんでもなく広い。
政を行う執務棟、医学薬学を始めとした色んな研究室。王族が暮らす王宮。騎士団や近衛隊の舎や鍛錬場、寮もある。社交用の棟まであるから、ちょっとでも道を逸れると絶対に迷う。…俺は鬼ごっこのやりすぎで、ある程度の位置は知ってしまった。
…いやでも嬉しくねぇ。
今もとんでもなく足が重い。止まってもいい?
思いながら俺は隣を歩くバールートさんを見た。
何度か逃亡しようとしたが、それは全部バールートさんに阻止された。クソ…今までここまで止められた事なかったのに。仕事の同僚だって唖然としてただけだったのにっ。さすが辺境騎士。
そういや…ランサ様が前に、バールートさんは直属隊でも上位者だって言ってたっけ。普段は明朗で軽そうだが、実力は本物ってやつか。
そういうとこは、ラグン様も同じかもしれない。
ラグン様は若くして宰相位に就いた人だが、その話が出始めた頃からかなり紛糾したらしい。
だがラグン様はただ仕事に勤め、政策の立案や陛下や各立場の要望をまとめ、己の力を証明した。そして、前宰相を副宰相位に就ける事で、今の地位に就いた。
…ラグン様も相当疲れるだろうな。俺なら絶対に無理だ。
あぁ思考が逃げに走る。
重いため息を吐くと、隣でバールートさんが笑った。
「ヴァンさん。嫌ならいいですよ。戻っても」
「なわけいきません」
俺がここへ来たのは偏に、お嬢の頼みだからだ。
俺一人が来たら鬼ごっこになって時間の無駄になる。辺境騎士であるバールートさんだけが来ても、城内は初めてだし衛兵と面倒が起こりかねない。だから俺らは二人で来た。
『ヴァンお願い。嫌なのは分かるけど…。屋敷で大人しくしてるから』
そう言って手を合わせて頼まれて、どう断れと?
お嬢はいっそ、命令っていうのを覚えた方が良い。お嬢は俺にとって主で、その命令なら従う以外にない。
…ま、お嬢は『主』なんて事、意識してもないだろうな。俺にとってはとっくにそうだけど、それをいちいち言うつもりもなかったし。
まぁそりゃ、そういうとこがお嬢なわけだし、変われとも言わないけれども。
けど…もういっそ、これからは従者らしく、仕える相手らしくした方がいい? それならお嬢も「ヴァン。命令です」とか言ってくれる? ささっと物事が進むと思う。
俺はお嬢の護衛だ。別に四六時中傍に居るつもりもないけど、今回は事が事だ。離れるのは正直気が進まない。
だから今回も「破ったらランサ様に言いつけますから。リラン様見張っててください」って言って出てきた。
よし。さっさと終わらせて戻ろう。
「バールートさん。鬼ごっこになりそうになったら止めて下さい」
「えー…俺で止めれます?」
「ハッハッハ。俺の逃亡阻止する人が何言ってんです?」
出来るでしょそれくらい。というかやって下さい。
他に出来そうな人は城内にいないんです。
「あ。無理そうなら陛下に出てきてもらえば何とか…」
「分かりました止めます。さすがにそれはやめましょう。俺でも駄目だって分かります」
そうですか。一発で終わるいい案だと思ったんですけど。
そうなればさすがに止まるでしょうし。
「というか、それなら屋敷に行った方が安全じゃないですか? 夕方にはなりますけど」
「……多分お嬢、急いでるんです。別に無理な尋問受けてるとかじゃないし、急がなくていいんだけど」
今の旦那様の状況が分からない。元気なのか。体調はなんともないか。
だからお嬢は焦ってるのかもしれない。当たり前に傍に居ても、案外すぐにいなくなってしまうと、お嬢は知っている。
…俺は奥様の事、話にしか知らねぇけど。
お嬢は人の体調や無理を心配する。大丈夫が大丈夫でない可能性を知ってる。
冷たさを知ってる。だから…人の手が冷えているのをかなり嫌う。冬にはよく温めようとしてきた。
旦那様にもリラン様にも長く元気でいてほしいと、お嬢は心から願ってる。
ツェシャ領へ行く事になっても、心配を常に持ちながら。
だから今も、無意識に急いでる。早く元気な姿を見たいと。
考えてため息を吐く俺に、バールートさんはちらりと視線を寄越した。でも何も言わず歩き続ける。
俺らはしばらく靴音を立てながら歩いた。
歩いていれば必然城内の人間に会うけど、声をかけてくる奴はいない。城内に通されてる時点で不審者でもないし。多分、騎士の一人とでも思われてるんだろう。王城って人が多いから、行き交う奴をいちいちチェックしねぇし。
…それはいいけど、俺の危機察知能力が段々とビシビシ警鐘を鳴らしてくる。ヤダこの先行きたくない。
「ヴァンさん。顔歪んでる」
「……気のせい」
俺は普段通り。いつも通り。絶対そうだから。
「えーっと、騎士団ってどっち?」
「……このまま外廊行ったら騎士棟があるけど、演習場見た方が早いかもです」
「確かに」
騎士棟は騎士団の専用棟。部外者は立ち入れない。だから俺も入った事は無い。そもそも行きたくない。
「そろそろ危機察知能力は反応してます?」
「…ちょっと。ってか、便利能力みたく言わないで下さいよ」
「いや、今回は半分それ頼りなんで」
「…まさか逃げるためのこれで探すという日が来るとは…フッ…」
「ヴァンさん戻って来てー」
騎士棟が見えてくる。同時にだだっ広い演習場も見えてくる。
屋外のそこには大勢の騎士団の騎士達がいる。…精が出ますねー。俺なら無理だわ。
俺らは演習を少し離れて見る。バールートさんはすぐに目的の人物を探し始めた。
「お…発見」
バールートさんの声が、早く見つかった安堵と喜びに染まる。でも、俺は危機察知能力がガンガン鳴り響いてる。
視線の先。目当てのその人は、かなり離れてるのに俺らに気付いたように振り返った。
目が合った。そう思った瞬間、俺は本能に従って身を翻した。
♦*♦*
俺はすぐに隣へ手を伸ばした。その手でがしりと捕まえる。
「はい逃げないでー」
「逃がしてくれ頼むからっ…! 騎士団断固拒否っ! 死にたくないっ!」
「どんだけ必死なんですか…」
ヴァンさん、よっぽどな目に遭ってきたんだな…。ちょっと同情します。
分からなくはないですよ。あの方ってちょっとそういうとこ…いや分からないかも。俺にとってはすごい騎士で、ヴァンさんみたいな目に遭ってないし。
でもちょっと、ヴァンさん見てると涙が…とか思ってると、逃げようとしてるヴァンさんの肩に、トンッと別の人の手が置かれた。
デカくて、日に焼けた色の肌。傷のある武骨な手。
俺は思わずヴァンさんのすぐ傍に立つその人を見た。…いつの間に来たんですか? かなり離れてたのに。
「よぉヴァン。久しぶりじゃねぇか」
余裕と笑みを含ませた低い声。
その声と視界に入ったその人に、ヴァンさんが「げっ」ってあからさまに顔を歪めた。
それを見て肩に置かれた手にグッと力が込められた。…見て分かる。あれ痛い。
「ティウィルの令嬢について行くって辞めちまうとはな。だが…これからも長い付き合いになりそうだ。なぁ?」
あ、完全に楽しんでるな。声音で分かる。
ちょっとヴァンさんを不憫に思いつつ、俺は大丈夫かなって思ってヴァンさんを捕まえてた手を離した。…やっぱヴァンさんはすでに逃げられないらしい。
一歩足を引いて、俺は改めてその人を見る。
ランサ様とは全く違う。見て分かる圧倒的強者の威風と貫禄。無駄のない筋肉に覆われた逞しい体。白銀の髪と、白銀の瞳。ランサ様も同じ色だけど、この人はまるで肉食獣のような獰猛さと鋭さを宿していて、それでいて余裕を持っている。
俺とヴァンさんはこの人に用があって来た。だからまず、ヴァンさんを捕まえてるその方に礼をした。
「ガドゥン様。いきなりすみません。俺は…」
「ランサの直属、バールートだろ」
「! はい。え…俺の事覚えてます?」
「当然だ。四年前はまだひ弱な風体だったくせに。随分逞しくなったな」
ガドゥン様、俺の事覚えてたんだ…。びっくりした。
俺はランサ様の直属隊騎士だから、ガドゥン様との直接的関わりなんて少ない。五年前の戦もランサ様の下に居た。
名前まで覚えてもらってるとは思ってなかった。もう四年も会ってないし。…ちょっと嬉しい。
俺はランサ様について行くけど、ガドゥン様の事も尊敬してる。純粋に武人として。だから、ランサ様に対するような情とは全く違う。
ランサ様に対するのと同じ忠は、この方に誓えない。
俺が一生かけてついて行くと決めたのは、ランサ様だから。
「あ、ガドゥン様。ヴァンさんが圧死します」
「あ?」
ちょっとしみじみしてたけど、すぐにガドゥン様の腕が首に絡まってるヴァンさんに気付いた。危ない危ない。
ガドゥン様も「おぅ」って、そうだったみたいな顔して腕を離す。離されたヴァンさんは、ものっすごい恨めしそうにガドゥン様を睨んだ。
「……俺、この人ヤです」
「…ヴァンさんって、本当に誰が相手でも変わりませんね」




