46,実は凄い剣なんです
叔父様に似た、まだ若いけれど風格を感じさせる声音。堂々とした姿が少し懐かしい。
その姿に私とリランは思わず立ち上がった。だけどやって来た方…ラグン様は私達を手で制し、自分から私達の前へ座った。それを見て私とリランも座り直す。
「久しぶりだな、リーレイ。元気そうで何よりだ」
「はい。とても元気です」
言葉の通りの声音で言うと、ラグン様は少し口角を上げた。柔らかな表情に変わらない優しさを感じる。
少し懐かしくて、見送ってくれた時の言葉が胸をよぎった。
ラグン様はソファに身を預けながらも、優雅に足を組んで凛々しい表情を見せる。その佇まいはやっぱり叔父様に似ている。
「貴族と平民は確かに立場が違う。だがそれは、それまでの功績や血筋があってこそだ。それに恥じぬ己になり、そして振るえるようになるのが権威であり力だ。必要ならば遠慮なく使えばいい。だが、『振りかざす』ことと『使う』ことは全くの別物だ。リーレイ。そこはお前も決して違えるな」
「はい」
ラグン様のお言葉に、私はしかと頷いた。隣ではリランも真剣な目をしている。
貴族という立場は敬意をはらわれるものであると思う。
だけどそれは、何もない上にされるものではない。功績や血筋。様々な積み重ねがある。
叔父様はこれまでのティウィル公爵家の功を背負い、今と未来の道を模索している。ランサもまた先人の功と国境を背負い、今も陛下に変わらぬ忠を己の意思で捧げ、役目を全うしている。
立場に恥じぬ行いというのは。権威を持って事を為すというのは。そういう事じゃないのかな。
私も、今も今後も、ランサの隣で同じように、恥じぬ行いをしなければ…。
「それから、リーレイもリランも正真正銘ティウィル公爵家の令嬢だ。己で責任を持つならば、遠慮せずその権威は使え。振りかざすなよ。無責任と私利私欲は己だけでなく、家族も他人も先人も巻き込む。あるものは使え。何も咎められる事ではない。振りかざすなどというゴミ…愚者にはなるなよ」
「「はい」」
…ラグン様、今本音が漏れましたね。でも、言いたい事は解ります。
かつてのギーニックを思い出す。…うん。ラグン様なら何て言うか。想像が容易い。
私とリランへの厳しくも為になる話が終わり、ラグン様は少しだけ空気を柔らかくした。
赤みの強い茶色の髪と鋭い藤色の瞳。その瞳は母親譲りのものだと知っている。
私とリランの従兄であるティウィル公爵家の次期当主は、まだ二十三歳と若いけれど、私がツェシャ領へ行く数ヶ月前に宰相位に就いた素晴らしい方だ。
「早かったな、ラグン」
「陛下に少々許可をもらって一時帰宅です。すぐに戻ります」
…なんと。陛下から許可が。
ため息交じりのラグン様に、私は少々言葉が出ない。
でも、どうしてラグン様がわざわざ一時帰宅?
叔父様かリランが何か言ったのかなと思ったけど、リランも首を傾げている。
「何か御用だったのですか?」
「陛下の元に、クンツェ辺境伯直属隊騎士が王都入りしたと一報が入った。同時に、クンツェ辺境伯家の剣を持つ女性が共に王都入りした、ともな」
……言葉が出て来ない。背中にダラダラと汗が流れる。
前からの視線が恐い…! 経験から分かる。お説教の開始空気だっ…!
非常に居心地が悪い。だけど逃げる事は許されない。
鋭い眼光に気圧された私はさしずめ、肉食動物の前に震える草食動物だろう。…動けません。
ラグン様は私を睨んでいたけれど、ダラダラ冷や汗な私ではなく、控えるバールートさんを見た。
「そちらが辺境伯殿の直属騎士だな?」
「あ、はい。クンツェ辺境伯直属隊第一級騎士、バールートです」
「俺はラグン・ティウィルだ。貴君が王都入りした一報を受け、王都内での行動許可が騎士団長と陛下より正式に下りたので、伝えておく」
「了解しました。俺は今回、ランサ様から、リーレイ様の護衛と、必要時にその手足となるよう命を受けています。その内で動きます」
「承知した。陛下と騎士団長にも伝えておこう」
仕事の顔を見せていたラグン様の視線が私に戻る。
怒られるっ…!
ラグン様に王都入りの一報が入っている事。加えてこの格好。これまでにも何度も苦言を呈されてきたから分かる。
怒られる覚悟を決めた私だったけど、目の前ではなぜかため息が落ちていた。
ちらりと見れば、今にも頭を抱えそうなラグン様がいる。…なんで?
「…あの、ラグン様?」
「…リーレイ。お前、その剣が何か知っていて持っているのか?」
「剣? これが何か…?」
私は思わず右手でソファに立てかけている剣に触れた。カタリと音を立てるのは、ランサの腰にあるのに見慣れているクンツェ辺境伯家の剣。
思わず見るけど剣は何も教えてくれない。
堪らずラグン様を見るけど、代わりに叔父様が喉を震わせる音が聞こえた。
「ラグン。それはクンツェ辺境伯がリーレイに渡したそうだ」
「でなければ持っていないでしょう。…問題は、リーレイがそれが何かを知らない事です。もしクンツェ辺境伯殿が言わなかったのなら、リーレイの性格上正解だとは思いますが、なぜ言っていないのかとも思ってしまうでしょう」
ど、どういう意味かな?
二人の会話を聞いてもさっぱり分からない。
思わず知っていそうなバールートさんを見るけど、バールートさんもコテンと首を傾げるだけ。どうやら分からないみたい。私も分からない。
黒い鞘にあしらわれている銀色の獣。それはシャグリット国でも数少ない動物を家紋とする、クンツェ辺境伯家の家紋。
全体の緻密な細工はとてもシンプルで、だけど価値と家格を示している。それでいて実用性を重視した、邪魔しない作りでもある。
これはいつも自然と、そこにあるのが当然のように、ランサの腰にある。それが辺境騎士達も見慣れた姿であり、私も見慣れた光景。
「……クンツェ辺境伯家の剣…ではないのですか?」
恐る恐る聞いてみる。
けれど、ラグン様からも叔父様からも言葉が返ってこない。
…なんだか、とてつもなく恐くなってきた。
それまでとは別の意味で冷や汗ダラダラな私に、ラグン様は重たそうに口を開いた。
「……国歴三百年前、シャグリット国は、東のカランサ国、海の向こうのマルト国から同時に攻撃を受け、大きすぎる被害を受けた」
…突然の歴史の勉強。だけど口は挟めない。
だからそっと頷いた。…そうするしかない。
私の頷きに、ラグン様は姿勢を戻して私を見た。その顔は私に色んな事を教えたり、大事な話をしてくれる時のもの。
だから、自然と真剣に耳を傾けた。
「侵略を許した要因は?」
「当時、国境を守っていた四家のうち、武に優れていた二家が加担していたからです」
「そうだ。だがシャグリット国は滅ばなかった。残る二家が国軍と共に、カランサ国とマルト国、そして加担した二家と戦い、国を守ったからだ」
シャグリット国では建国と同じくらい有名な話。国民なら誰でも知る歴史。
歴史でもこれほど大きな戦はなかったとさえ言われている。
「戦が終わり、失われた命と信頼する臣に裏切られた王は嘆いた。そんな王に、二家の当主は言った」
『我らがいます。我ら終生…いえ。これより先どれほどの時が流れようとも、国を必ず守ります』
「王は、二家と、残る家臣と共に国を蘇らせるために尽力した。国を守った二家の当主に褒美を与えようとしたが、どちらにも断られた。だが王は、二家の忠誠と信じる心を思い出させてくれた感謝として、それぞれに剣を与えた」
王と二家の忠誠と信頼の物語。子供は目を輝かせ、自分も友を大事にすると口にしたリ、当主に憧れたりとするらしい。
私も、この歴史を知った時はすごいなと思った。絆の強い三人だなと。きっとこの後も仲良しだったんだと。
だけど今、突然された話にそんな頃の気持ちを思い出すどころか、余計に冷や汗ダラダラにしかならない。
ラグン様の目が私に据えられたまま、指は傍にある剣をさす。
「分かるな? その剣がどういう物か。そして、今もそれを持っているという意味が」
「はい…。かつての当主の忠誠。今も変わらない忠誠と信頼。そこにある陛下の御意思、です…」
ランサ…何とんでもないもの私に渡してるの…!
これランサ以外の者が触っちゃ駄目なやつじゃないのっ…!
「……そういえば、昔ちらっと「陛下より賜った」とかなんとかランサ様が言ってたような…」
「今思い出す!?」
「ジークン様。これ持って城行くとどうなります?」
「執務を放り出して陛下が飛んで来るな」
バールートさんもうちょっと早く思い出して欲しかったですっ…!
ヴァンも叔父様もさらっと恐い会話をしないでくださいっ! 私の心臓に悪いですっ…。
もう顔を覆って項垂れるしかない。…けど、ふと思い出して恐る恐るラグン様を見る。
「…あの、ラグン様。…もし、この剣を持って王都に入ろうとしたら…」
「即通される」
…予感的中。
あの騎士達は、バールートさんの隊服じゃなくこの剣を見てあの態度を取ったんだ。私がクンツェ辺境伯から剣を預かるような、辺境伯縁の者だと解ったから。
最早、床に手をつくしかない。
そんな私をリランは慰めてくれる。この場で優しい味方はリランだけだよっ…。
「なんでそんな大事な物を…」
「そりゃリーレイ様守る為じゃないですか。少なくとも、そんな凄い物持ってれば馬鹿な真似してくる奴はいなさそうですし、ちょっとなら家の力とかで事が運べそうですし」
「逆に、それ持つ奴に手を出すって、王家に喧嘩売るも同然ですし」
「逆に恐い!」
「お嬢がそれ失くすような事があれば大問題ですね。ランサ様は責任取らされますよ。首で済めばいいとこですかね」
「肌身離しません!」
「それでこそランサ様の望みです。叶った叶ったー」
ヴァンが挟んでくる言葉で思い出した。
そうだ。ランサは確か出発する時に言った。この剣はランサの心で…
『俺の心は肌身離さず持っていてくれ』
「……そんな恐い意味で言ってたなんて」
「リーレイ様。なんか分かりませんけど違うと思います」
バールートさんが珍しく冷静に否定をくれる傍で、ヴァンがお腹を抱えて笑い転げていた。




