45,令嬢、仔細を把握します
リランの問いを否定したバールートさんは、気を取り直すようにコホンッと咳ばらいを一つ。
「俺は、クンツェ辺境伯直属隊騎士、バールートと申します。今回はランサ様の御命令で、リーレイ様の護衛の為同行しました」
「そうだったのですね。失礼をいたしました。私はリラン・ティウィルと申します。姉の事どうかお願い致します」
リランはバールートさんに謝罪しながらも、様になっている淑女の礼で挨拶をする。そんなリランに「おぉ貴族…」ってバールートさんは少々感心の様子。
…バールートさん。それ私も出来るんですよ? どうしてそこで感嘆の御声が出るんです?
「やっぱあれですね。お嬢は貴族っぽくって向いてないです」
「…ヴァン。怒るよ」
「やだー」
分かるけど。リランの方が世間の令嬢っていうイメージに合ってるって、分かるけど!
私とヴァン、バールートさんは、まず叔父様とリランから事の詳細を聞く事にした。
「およそ一月前、私はお父様から、しばらくラグン様の屋敷へ行くようにと言われたのです。理由は教えてはもらえませんでしたが、私はこちらにお邪魔して、それからお世話になっています。それからすぐです。お父様が捕まったと知らせを受けたのです」
「父様はどうして捕まるなんて事に?」
父様が捕まってからリランはこの屋敷に来たと思っていたから、順番が逆だったことに少し驚きながらも、私は聞く。私の問いには叔父様が答えてくれた。
「兄上には今、文官殺害容疑がかけられている」
「さっ、殺害…!?」
さらりと言われた言葉に一瞬理解が追いつかなかった。私と同じようにヴァンもバールートさんも驚きを露にしている。
父様は虫も殺さないような優しい人だ。家に入り込んだ虫も、畑の虫も、皆優しく逃がしてあげるような人。
「ありえません」
「はい」
私と同じようにリランも隣で強く頷く。
私は思わず叔父様に身を乗り出した。そんな私とリランを見て、叔父様はひとつゆっくり頷くと、続きを話してくれた。
「被害者はナーレンという、城の財務官の一人だ。兄上とは事件の数日前に言い争っていたという目撃証言がある。財務と言う点に置いても、兄上と無関係者とはいえない」
父様はローレン王太子殿下の金番長。確かに財務の一文官だけど、王宮の片隅に勤める王族の金番長と、国家の財務を預かる文官。近いようで遠い両者の接点はとても薄い。
そもそも両者は勤める場所が違うんだから。父様は以前「私は王宮の片隅にひっそり勤めているから、執務棟や城内には出向く事はないんだ」って言ってた。城に勤めるって聞いた子供だった私達が興味津々で聞いて、眉を下げて答えてくれたのが懐かしい。
ぎゅっと膝の上で拳をつくる。さすがのヴァンも眉間に皺を寄せて叔父様を見た。
「それ以外に何か証言や証拠は?」
「現場に兄上のハンカチがあったそうだ。ナーレンは「ディルクと話をする」と言って出て行き、殺された。それもあり兄上が拘束されたが、兄上は「話をする約束などしていない。現場にも行っていない」と全て否定している」
少しホッとした。
父様は否定してる。やっぱり、父様が犯人じゃない。
…誰かに、嵌められたのかもしれない。でも誰に? どうしてわざわざ?
考えても私には分からない。そんな私達の側で、叔父様は一切空気を崩さない。
「リーレイ。リラン」
場の注目を集める声音。それに釣られて私も叔父様を見た。
優雅に足を組み、けれど堂々と風格を漂わせる姿は、まさに公爵家当主のもの。そんな姿に私もリランも自然と背を正す。
「ティウィル公爵家が動けば今日中にでも片を付けられる。さっさと兄上を解放でき、会える。そうしようか?」
叔父様は一切空気を変えずニコリと笑みを浮かべた。
笑っているのに、私がよく知る笑みじゃない。
公爵家の当主として。弟として。両面の顔がのぞく。
「王都の案件とはいえ、証拠集めは造作もない。…売られた喧嘩は買わないとな」
…最後だけは身が震えた。怖い。
バールートさんも「これが例のやつ…」ってなんだか慄いてるみたい。ヴァンだけは慣れたみたいにけろりとしてる。…なんでそうしていられるのかな?
多分叔父様は、父様の容疑を晴らす証拠をすでに全て揃えているんだと思う。何も手を打っていないなんて思えない。
だけど、今はまだ手を出していない。それがどうしてなのか私には分からない。
叔父様が動いてくれればすぐに解決する。それは私にも解る。
父様もまだティウィル公爵家に籍を置く人だから、当主である叔父様が動いてもおかしくない。むしろ当然の事。
それに、父様に罪はないとすでに叔父様は確証を得ている。
それなら…と、ぎゅっと膝の上で拳をつくる。
私の隣ではリランが叔父様に問いを向けた。
「叔父様。城内では、お父様はティウィル公爵家の者だと知られているのでしょうか?」
「知らない者ばかりだろうな。兄上もティウィルの名を出さない上、もう二十年社交の場にも出ていない。それ以前から面識ある者は知っているだろうが、今の城は若い者が多い上、国政や執務棟から離れた王宮の片隅での仕事を選んでいるから」
叔父様が肩を竦めた。
父様は私が知る限り、上へ上へいこうって野心のない人だ。少しのんびりしたところがあって、日向で畑を見つめているような人だから。何事も程々を好んでいたように思う。
父様は、まだティウィル公爵家に居た頃にも城勤めをしていたらしい。だけど、母様と結婚して城勤めをやめた。そしてティウィル公爵家を出て今の暮らしを始めた。
つまり父様は、下っ端の文官時代が少しだけあったという事。だから名も広まる事なく、一部の人しか昔の事を知らない。
そんな父様が城勤めを再開させたのは、叔父様がティウィル公爵家の当主になり、母様が亡くなってから。それまでは商業街の店に勤めていたけれど、私やリランもいるんだからと叔父様が今の金番室での仕事を紹介してくれた。
目立つ所ではないし、叔父様の必死の薦めもあって、父様はそれを承諾した。
今も、城内で父様がティウィル公爵家の者だと知る者は少ないらしい。何より父様は家名を出さない。それは私達も町で同じようにしていた事。
別に隠しているわけじゃない。言う必要もないし、言って皆との関係が変わるのも嫌だ。
「王城で兄上がティウィル公爵家の者だと知っているのは、陛下と殿下、後は城に勤める五大公爵家の子息達。昔の兄上を知る数少ない年長者…というところだな」
「その方々が、父様の素性を誰かに話す事は?」
「ないとは言い切れない。けれど、ティウィル公爵家もそうだが、五大公爵家はわざわざ他家の事をベラベラ喋る事は無い。手も出さない。そんな事をすると睨み合いが増すばかりだからな。国にとって良いならともかく、さして益にならない事はしないよ」
安心させるような叔父様の言葉に、少しだけホッとした。
つまり今回の件、五大公爵家は把握しても手は出さないという事。逆にティウィル公爵家が規範や王家を無視して解決させようとすれば、他の四家は容赦なく罰する。
少しだけ安心できて、心強いと思った。
なんだか、不思議な感覚だ。
「城で勤めるとか、家名が出て当然かと思ってました」
始めて知る事にバールートさんが少しだけ興味深そうな言葉を紡いだ。
それは、私も少しだけ思った。
五大公爵家程の方々なら社交の場でも目立つし、知られていて当然だろうけど…。王城内ではあまり家名は出ないのかな?
そう思う私達に、叔父様は調子を変えず教えてくれた。
「昔はな。だが先王陛下と陛下の意向で、今の文官や武官は能力を重視される事が増え、まだ多くはないが平民の者もいる。家名を笠に着てもまかり通らん事もある、という事だ」
「成程。辺境騎士団も実力重視なんで、なんかちょっと分かります」
「だろうな。どちらかというと、城内よりも辺境領の方がその傾向が遥か昔からある」
…確かにそうかもしれない。
辺境領にいるという事は、国を守る重要な役目を担うという事。そこには必然実力がなければならない。
もしかしたら、辺境伯直属隊のように、身分なんてなくても努力を重ね、充分な実力を身につけた人達がいるから、城内でもそれを採用するようになったのかもしれない。なんてことを、ふと思った。
「でもジークン様。挨拶すりゃ家名が出るのは普通でしょうし、名前だけでどの家の貴族だとか、どこの部署にいるとか。城内の情報に精通してる人はいるでしょ?」
「当然だ。お前も多少なりとは分かるだろう」
「ジークン様やラグン様ほどじゃないですよ。俺が知ってんのなんて、五大公爵家の御令息方の所属と近衛隊と騎士団ちょっとくらいですし」
…さすが叔父様。叔父様もそれだけの事が出来るんだろう。
公爵家に拾われたヴァンも城内の事はやっぱり解ってる。多分、叔父様に教え込まれたんだろう。
ヴァンは普段やる気はないけど実は凄い。…今になって改めて感じた。
「…なんですお嬢。その意外そうな顔」
「…凄いなって」
「でもヴァンさん。ガドゥン様の事は知らなかったんですよね?」
「関わり回避最優先なんで」
…成程。教育を受けたんだろうヴァンでも、そこは危機回避が優先だったんだね。道理で知らなかったわけだ。
大変だなって見ていると「…悪夢が」ってまたヴァンが苦しんでる。克服できるようにさせた方が良いかな?
「今の政治は、新しい風を常に吹かせるというのが浸透しつつある。若者も経験者もいて双方が意見を交わし合う。そんな中で家名を探る物好きはさしていない。いるならば…」
「家名と欲と権威を振りかざす、愚か者でしょう」
叔父様の言葉を継ぎ、室内に第三者が入ってきた。




