43,陛下と殿下と公爵子息達
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「――…それから、出産時における人員確保、知識の普及に関してですが、ガル医務長官からの意見書です」
「分かった。ガル。今後も忌憚ない意見を頼む」
「勿論!」
シャグリット国の国王の執務室。
俺の前で、父…陛下からの言葉に医務長官、ガル・モクが大きく張り切っているように声を上げた。その金色の髪のような明るさだ。
父が宰相であるラグン・ティウィルから渡された意見書の元は、民の言葉だ。
父は民の声を広く受けとめる為、街に意見箱を置いている。その中には様々な言葉がある。それらに目を通し、父は臣下と共に協議し、国政に活かす。
これまでにも、教育機関、町の診療所、物価についてなど様々な町の声が王城には上がってきた。
今回もそう。産婆やその職を受け継ぐ者達の言葉が元で、それを医務長官が専門家として熟考した。実際にこれが体制として動き出すには時間を要するが、その一歩が重要だ。
「この件は元々俺も考えていました。なのでむしろ! 俺が産婆方と話がしたいです!」
「知識という面に関しては、やっぱり教育者がいるかな? ガル殿はその点どう? なんなら人務長官として、人手を補充しようか?」
ワクワクしているようなガルに微笑みを向けるのは、人務長官のゼア・ユズルラット。はちみつ色の髪を首の後ろでまとめ、同色の瞳がガルを微笑まし気に見つめている。
そんなゼアに、ガルの翠色の目が向いた。
「いや、俺も勉強しているんだ。やはり産婆に直接教えを乞うのがいいな。女性の神秘に男が立ち入る事には抵抗を持つ者もいる。だが! 女性が命を懸けて新しい命を産む事、男にも決して無関係ではないのだと、俺はそこから意識を変えていきたい!」
「…そうですね。確かに。病ではないとはいえ、命懸けであるのは事実。おざなりにしていい事ではありません」
ガルの言葉に何やら神妙に頷くのは、外務長官であるダルク・セルケイ。黒い髪から覗く青い瞳は、いつも冷静で何事にも動じない印象を与える。
ここ、父の執務室にいるこれらの面々はどいつも男ばかり。だが、その話の内容には誰もが真剣に耳と意識を傾けている。
それは俺も同じ。全ての政務と施策を頭に入れ、今と未来へ目を向けなければならない。
父の傍で、ラグンもひとつ頷いた。
「これに関しては女性の意見を入れたいですね。産婆は勿論、これから出産を控える方。出産を終えた方。受ける当人にも思う事はあるでしょう」
「そうだな。ローレン」
「はい」
「ガルと共にこの件、最良を導き出すように」
「「分かりました」」
俺とガルの声が揃う。
ガルは俺を見て、嬉しそうに二ッと笑みを浮かべた。
俺の幼馴染の従兄はいつも明るい。その為人のおかげか、医務室は怪我人や病人がいても明るい。
それでいてガルは常に学ぶ姿勢を持っている。医務長官になっても常にそれは変わらない。
「では次に。例のカランサ国との支援協定に関してですが」
「あぁ…。ティウィル公爵発案のあれか。ダルク。どう思う?」
父の視線が外務長官に向く。
その視線を受け、「そうですね…」とダルクは僅か眉間に皺を寄せた。怒っているわけではない。染みついてしまっているのだ。
「考慮の余地はあると思います。向こうが応じるかは分かりませんが、現在のカランサ国王は穏健的であると聞きます。国内平定にこちらが助力するのは、今後の一手にはなるでしょう」
「だけどこれ。相当に反発も多いんじゃないのかな? ……例えば、ツェシャ領とか」
ゼアの言葉に全員が口を閉ざした。
ツェシャ領。ランサか…。
五年前の戦で最前線となり、今もカランサ国を警戒する辺境伯。
確かに、あの戦はシャグリット国が勝利したとはいえ、ツェシャ領で戦った騎士達には犠牲も出た。ランサにとってかけがえのない仲間もいた。
その仲間である騎士達は果たして納得するか…。今も戦を恐れる町の人々は…。
俺は、もう六年会っていない友を思う。
手紙はいつも「国境警備に務めます」ばかりで。本当に事務連絡のようで。それがランサの役目への意志を感じさせる。
だが――
「ランサなら反発はしないだろう。アイツは未来を見据える目を持っている。騎士達は…すぐに納得とはいかないかもしれないが、ランサの言葉には耳を傾ける。考えるべきはシャグリット国側ではなく、カランサ国の先の戦の生き残りだ。相当反発を仕掛けてくるだろう」
「だろうな。ガドゥンも同じ事を言うだろう」
俺の言葉に父も深く同意した。
父もガドゥンとは長い付き合いだ。その考えは全てではなくとも分かる。
俺と父の言葉に、ゼアもフッと柔らかな笑みを浮かべた。
「そうですね。カランサ国は厄介そうです。辺境伯殿のような方はいないかな?」
「そういえば…今回の社交初めの夜会には、クンツェ辺境伯をご招待したそうですね」
思い出したようなダルクの言葉に、ガルもパッと表情を動かした。そのままがばりと父を見るので、父も頷いた。
「あぁ。緊急が起こらなければな。少々迷いもしたが、ランサの…」
父が何かを続けようとした時、コンコンコンッと執務室の扉が叩かれた。
それを受け父は口を閉ざし、俺達の視線も扉に向いた。父がすぐに「入れ」と扉の向こうに告げれば、開けられた向こうに侍従がいた。
「陛下。騎士団長、ガルポ・アーグン様がおいでです」
「通せ」
父の許可に侍従が一度下がった。
「ガルポ殿? 何かあったのかな?」
「夜会の警備についてでは?」
俺達が目通り理由をあれこれと考えていると、すぐにガルポが入室してきた。
逆立った赤髪と、同じ色の目はまるで猛獣だ。実際騎士団長としての腕前はそんな風であるのだが。
「失礼します、陛下。…って、んだよ。お前らもいたのか」
「ガルポ殿、陛下の御前です」
「ったく。真面目くせぇなダルクは」
ガルポの言葉にはダルクがピクリと眉を動かした。それを見て思わず笑ってしまったが、ダルクは何も言わない。流石に俺に言えないんだろう。
…ふと、ディルクの家で、リーレイ嬢にランサの元へ行ってほしいと話した時の事を思い出した。
あの時のリーレイ嬢は俺に驚き、それでも敬意を払いながら、それでいて気持ちの良い女性だった。
「何です陛下? アーグン家以外の五大公爵家揃えて、重要会議ですか?」
「ガルポ。それならお前も呼んでいる。今は意見箱からの話だ。お前は?」
「成程、それですか」
ガルポはさして考えていないようにすぐに納得した。それを見てゼアはクスリと笑い、父もクスクスと笑っていた。
確かに重鎮を集めての重要な会議や、定例会議ではないな。それ以前の些細で内々のものだ。
まだまだこれから根回しや地盤固めが必要になってくる事ばかり。
用件を問われたガルポは、父と執務机を挟んで立つと一度礼をし、すぐに用件を伝えた。
「先程、門の警備隊から連絡がありました。ツェシャ領辺境伯直属騎士が一名、王都入りしました」
その報告に俺達は少々驚いた。部屋の空気も少し変わる。
だが、すぐにゼアはガルポに首を傾げて問うた。
「ガルポ殿。騎士だけ? クンツェ辺境伯殿は?」
「王都入りしたのは、辺境伯直属騎士が一名。男が一名。それから女が一名だけだ」
「その男性がクンツェ辺境伯ではないんだな?」
ガルの確認にガルポは頷いた。
そんなガルポに、「詳細は?」とラグンがすぐに促した。それに対してガルポは続ける。
「男は隊服ではなかったらしいんで、騎士ではないです。んでこっからなんですが…」
「何だ?」
「一緒に王都入りした女が、クンツェ辺境伯家の剣を佩いていたらしいです」
…ラグンの眉間に皺が寄った。
まさかと言いたげなその表情、俺は見逃さない。
「馬に乗って来たらしい男装姿で、長い黒髪を結いあげた…」
「リーレイ嬢だな」
確信を持った俺が告げたのに対し、ラグンが額に手を当て項垂れた。…冷血と思われている宰相の崩れた一面だ。これは少し面白い。
ラグンがこんな様子を見せるのは、本当に身内にだけだからな。
俺の確信の言葉に、ラグン以外の面々は「ほぉ…」「へぇ」と感嘆や興味ありげな言葉をこぼしたり、そんな視線を寄越したりしている。
そんな反応が俺には少し楽しい。
「リーレイ嬢って…ティウィル公爵の兄君のご息女で、確かラグン殿の従妹だったよね?」
「何やら稀に見る面白そうな御令嬢だな!」
「あれだろ。殿下の発案でクンツェ辺境伯と婚約したって御令嬢」
「…ラグン殿。顔色が悪いですが?」
五大公爵家はその情報網から、クンツェ辺境伯がティウィル公爵家の令嬢と婚約したことは把握している。他の貴族は知らないからこそ、公爵家の情報網は凄まじい。それでいて、それを広める事はしない。
睨み合いつつも、他家には深く干渉しない。適度に保たれた五家の距離。
それぞれがラグンに視線を向けているが、向けられているラグンは何やら空気が変わっている。
それまでは宰相として毅然とした空気だったが、今は手のかかる妹に対する兄のような空気だ。…リーレイ嬢に対する普段のラグンはこんな風なのか。少し新鮮だ。
俺達の視線と言葉に、ラグンは抑えに抑えているんだろう声を絞り出した。
「…えぇそうでしょうね。クンツェ辺境伯に関わり、そんな事をする女性はリーレイくらいでしょうから。 クンツェ辺境伯が許したとは聞いていたがリーレイっ…! リランの手紙で駆けて来たな…」
「ラグン。いつもの宰相顔が完全に消えているぞ」
「これまた面白いね」
父やゼアがクツクツと笑っているが、ラグンは額に青筋が浮かびそうだ。
俺もそんなラグンを見て喉が震える。
「ラグン。まるで手のかかる妹に対する兄のようだぞ」
「……かもしれません。妹が三人いるようです」
本気で言ってため息を吐くラグンに笑いが止まらなくなった。
成程。ラグンはよくそうして妹達に手を焼かされているわけだ。大変な兄だな。俺の妹はさして手はかからないから少し面白い。
「例の件…ティウィル公爵が動かぬのは妙だとは思っていましたが、公爵ではなくリーレイ嬢が動いたという事ですか?」
「リーレイが来たのはリラン…彼女の妹の手紙があったからでしょう。家族の事でリーレイが動かぬわけがありません。だから殿下も動かなかったのでしょう?」
ラグンの視線が俺に向く。
俺はそれに対し肯定も否定もしない。何も言わない俺にラグンは分かっているようにため息を吐いた。
国王陛下の執務室。限られた者しか立ち入れない部屋の中を少し鋭い空気が走り、ラグンの視線が父へ向く。
「依然として刑部が調べていますが、ティウィル公爵家の調べもついています。終わらせろと仰るならば今日中に片を付けますが?」
「ラグン…一応は王都内の管轄事案だ。…やれやれ…身内の事には変わらずだな…。さらっとティウィルの本気を出そうとするな」
「まさか。小汚く誇りもない鼠に出す本気などありません」
父が頬に冷や汗を流しているのは見間違いではないな。…俺も同意だ。
身内に手を出されるのを嫌うティウィル公爵。今回も相当怒っているだろう。
ラグンも同じように見受けられる。宰相として中立を保っているが、ティウィル公爵家としての胸の内は激情が巡っていそうだ。
そんな親子にはゼアも肩を竦める。
「怖い怖い。どうしてわざわざディルク殿に手を出したのかな? もしかして…知らなかったのかな?」
「だろうな。そもそも、ディルク殿の家名知ってる奴、城内にどれだけいるんだ?」
「金番室でも知らない者ばかりのようですよ」
「あー……もしや知っているのは我々だけでは?」
五大公爵家の子息達から、まるで憐れなものへ向けるかのような息がこぼれた。
…気持ちは俺にも分かる。
そんな俺達にラグンは平然としている。まるで当然とでもいうようなその様になんと言えばいいものか…。
「恐らくリーレイは事の仔細を知ろうとするでしょう。十中八九動き回りますので、もしかすると…」
ラグンが濁した言葉には俺も先が読めた。ラグンの視線に頷きを返し、俺は父を見る。
「陛下。少しだけ猶予を下さい。一気に終わらせます」
「…いいだろう。しかし、関係者とはいえ、ランサの婚約者であるリーレイ嬢にもしもがあってはならん。ガルポ。王都入りした辺境騎士と協力するように」
「承知しました」
頭の中で片を付ける案件を並べる。すでに証拠集めが出来ているもの。新たに出てきた事。
全く…仕事が多いな。忙しくなるが、全て最良を目指す為に手は抜かない。
「陛下。申し訳ありませんが、今から少々時間をいただけませんか? 屋敷に来るであろうリーレイに訓戒を……此度の件について、少々説明をしてきたいのです」
「いいだろう。ついでだ。辺境騎士に行動の自由を認める旨を伝えよ」
「分かりました」
…ラグン、一瞬兄の顔が出たな。
屋敷で再会するだろうリーレイ嬢はどんな顔をするか。表情が分かり易く動く様が想像できて苦笑した。
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