41,一足先に…駆けます!
私の手からそっと手紙を取ったランサはその内容を見て眉を顰めた。その顔には険しさがにじみ出ている。
「ランサ様…」
「リーレイの父君が不当に拘束されたらしい」
ディーゴやシスも堪らず声をかけたはいいけれど、返された言葉には息を呑んだ。
父様はローレン殿下にあてがわれるお金の管理をしている。だけどその役目は他にも人がいるから、横領なんかの疑惑が向けられる事はない。それ以外で拘束された可能性が高い。
だけど、父様は拘束されるような事をする人じゃない。何より、リランが不当だと言ってる。
つまり、何かあったんだ。
グッと拳をつくる。
私が王都に行くまで後半月。発ってもそこからまた二月かかる。それまでリランは…。父様は…。
心配で仕方ない。知りたい。何があったのか。
そこで、私に何が出来るかは分からない。だけど――
心に決めて、私はランサを見る。まっすぐ見つめれば、ランサはもう私が何を言うのか分かっているかのように、少しだけ眉を下げた。
「ランサ。私、先に王都に行く。父様に何があったのか。一人になったリランの事も心配だから。放っておけない」
じっとまっすぐ見つめれば、同じように白銀の瞳が返ってくる。静かに揺れて、一度伏せられた目は次には諦めか喜びか分からない、それでも優しい目をしていた。
「…駆ける婚約者を止める事はできないな。これもリーレイに惹かれた苦労か…甘んじて受けよう」
「ランサ…。ごめん」
「謝らないでくれ。俺はそういう君が好きなんだ。どこまで駆けても、必ず俺の元に帰って来てくれるだろう?」
「うん。帰って来るよ」
私の帰る場所はランサの傍だから。ランサの傍にいたいから。
迷いなくそう思える事が、なにより嬉しい。
ランサは私の頬に触れ、少し困ったように微笑んだ。コツンと互いの額を合わせて、次に顔を上げたランサは辺境伯としての、『将軍』としての顔をしてディーゴへ指示を出した。
「ディーゴ。すぐに砦へ走り、バールートへ今すぐリーレイと王都に向かうよう伝えろ。リーレイは先に出る」
「了解しました」
言うとディーゴはすぐに表情を引き締め食堂を出た。
「リーレイ。すぐ出る準備を」
「うん」
頷いた私はすぐに自室へ駆け戻った。そしてすぐに男装に着替える。
着替えやすい服で助かった。着替えを終えるとそのまま部屋を飛び出る。階段を下りればシスが外へ促してくれた。
ヴァンと馬丁が馬を連れて来てくれていた。その手際に感謝する。
愛馬に触れて、少しだけ心を落ち着かせる。
焦っちゃいけない。落ち着いて。
そう思う私の傍で、シスが普段通りに声をかけてくれた。
「リーレイ様。あまりご無理はなさらないでくださいね」
「うん。気をつける」
言っても動き回るんじゃないかって思っているのか、シスは少し眉を下げている。それを見ると私も頬を掻くしかない。
そんな私の傍に、ミレイム達も駆け寄って来てくれた。
「何か大変な事ですが、きっと大丈夫です」
「道中気を付けてくださいね」
「ランサ様もきっとすぐに向かわれますから」
励まそうとしてくれる皆の言葉が嬉しい。自然と私も笑みが浮かぶ。
皆の言葉に頷いていると、「リーレイ」とランサがやって来た。メイド達がすぐにスッと私の傍を離れる。
ランサは私の前へ立つと、手紙らしいものを私に差し出した。
「もしもと思って書いておいて正解だった。もしかしたら必要ないかもしれないが……この手紙を持っていてくれ」
「手紙? 誰かに渡せばいいの?」
ランサに差し出されたのは、二通の手紙。だけど宛名はない。
なんの手紙?
首を傾げながらランサを見る。
「差出人に俺の名前が書いてある方は、ティウィル公爵か彼の御令息に。もしかしたら社交の前に王都に来ているかもしれない。差出人に俺の名前が書いていない方は、俺の父に」
「分かった」
「ただ、どちらも渡して欲しいものではないんだ。あくまで、もしもの事態に備えて「リーレイを頼む」と伝える為のものとして書いてあったんだ。だから今回も、会ったら…必要だと思ったら渡してくれればいい」
…ランサは事前にそんな事を。
それが分かって少し心があたたかくなる。私の為にそこまでしてくれていたんだ。
「うん。分かった」
「それからもう一つ」
私は預かった手紙を服に大事に仕舞った。そしてランサの声と、私に向けて何かを差し出す動きに視線が向いた。
「これを持って行け」
「!? これは駄目だよっ。これはっ…ランサの剣でしょう!?」
ランサが差し出したのは、いつもランサが腰に佩く剣。
クンツェ辺境伯家の家紋である、銀色の獣が鞘にあしらわれた立派な剣。その家格に相応しくも実用性を重視した意匠で、辺境伯家当主の物であると一目で分かる。
私が持って行くわけにはいかない。
だから断る手で突っ返すけど、ランサは逆に私に剣を握らせる。
「リーレイ。これは自衛の為ではなく、君の助けになる物だ。だから持っていてくれ」
「でもっ…!」
「詳細は分からないが…王都に行けば、君は自分で動き回るだろう? 俺は側にいられない。だから、俺の心を持っていてくれ」
そう言うと、ランサは私にぎゅっと剣を握らせた。私はランサを見つめるしかない。
ランサは優しくも、少しだけ離れ難いというような目をしていた。
ランサは私と共にこれから王都には向かえない。大事な役目があるから。
だから、その言葉通り、ランサの半身ともいえる剣を、心として傍に置いて欲しいと、そういうことなんだ。
思わず、グッと剣を握りしめた。
「……分かった」
大切な剣を腰に佩く。これまで佩いた剣よりもずっと、重たい気がした。
それは実際の重さではなく、きっと『将軍』としてランサが常に背負っているもので…。
重さをしかと感じながら、私はランサを見た。
「それじゃあ、一足先に行ってきます」
「いってらっしゃい。気をつけて。半月分の仕事は半分以下の日数で終わらせて追いかける」
「…ランサ。無理しないでね。休んでね」
「大丈夫だ。リーレイこそ、俺の心は肌身離さず持っていてくれ」
「…うん」
…若干心配になってきた。本当にちゃんと休んでくれるかな?
でも、今それを言い合ってる時間はないから、私は不安に思いながらも騎乗する。
「ヴァン。くれぐれも」
「了解です」
「「お気をつけて。いってらっしゃいませ」」
「行ってきます!」
頷いたヴァンにランサも頷き、私はランサと視線を交わした。
互いにゆっくり頷き、私は馬を走らせた。
屋敷を出て、王都からツェシャ領まで来た道を今度は逆に走る。その道も少し懐かしい気がした。
普段私とランサが交わす「行ってきます」も「いってらっしゃい」も今日は逆だったんだと、気づいたのはかなり後になってからだった。自分でも思う以上に不安を感じていたらしい。
♦*♦*
私とヴァンは以前、王都からツェシャ領まで一月半で着いた。本来なら泊まる所を探したり、合間に食事の準備をしたりするし、ずっと動いていると馬も疲れるから、二月を見ておくのがちょうどいいくらいの日程だ。
半月早かったのは、馬を走らせたりして馬にも慣れていたからという面もある。
だけど今回は、その時ほどのんびりした行程では進まない。
駆けて駆けて、一月かからず王都まで着いた。何度も途中でヴァンに諭されて、愛馬を潰さないギリギリだった。
やっと見えてきた王都の門に、私は無意識に息を吐いた。
「おー。さすが王都の玄関。警備厳しそう」
「バールートさん。王都は初めてです?」
「そうです。だから今回の同行、ちょっと楽しみだったんです」
私の後ろでヴァンとバールートさんが余裕をみせている。
バールートさんは私達が出発してからすぐに追いついてくれた。いきなりだったのにも関わらず、きっちり隊服を着た上にマントを羽織って、しっかり剣を佩いていた。
『鍛錬を終えて飯食ってました。かきこんで来ました!』
って、口の周りにスープの跡とかソースとかパンくずつけて言うから、私もヴァンも吹き出した。あの瞬間に空気が明るくなった。
元々王都まで同行予定だったとはいえ、バールートさんが一緒で良かった。
そう思いつつ、私は王都の玄関を見る。
社交期となると、王都への人の出入りが増える。それぞれの領地から貴族が訪れるから、必然、王都への出入りの警備も厳しくなる。今も、王都警備隊が鋭く目を光らせている。ここでの警備の甘さは、王都内の事件や騒ぎにも繋がる。
王都警備隊の威信をかけて臨む、一年の内でも警戒を強める強化時期。
私達は、王都への門に並ぶ人々の列の中で順番を待つ。
まだ少しかかるかな…。周りは貴族の馬車や商隊がほとんどで、手荷物もなく馬車でもないのは私達くらい。貴族は優先的に門をくぐれるから、他よりはすんなりと王都入りしているみたい。
「バールートさん。王都内でも辺境騎士団の隊服で大丈夫ですか?」
王都警備隊を見て少しだけ不安に感じてしまった。
王都騎士団と辺境騎士団に確執や因縁は聞いた事がないけれど、辺境騎士団はあくまで辺境領で国境を守る部隊。それが王都へ来てどう思われるのか、私には分からない。
そんな私の不安とは裏腹に、バールートさんはけろりとしていた。
「大丈夫です。辺境伯直属隊制約の一つ、辺境領外での独断は認められない。ただし王都内では騎士団長と陛下の許可で、ある程度の動きは認められる」
直属隊にはそういう制約もあるんだ。確かにどこでも勝手は認められないだろうし、それをしてしまうと辺境伯の責任問題にもなる。
頷く私にバールートさんは続けた。
「なんで、俺は王都じゃ独断はできません。俺がランサ様に命じられているのは、リーレイ様の護衛と有事の際に手足となり動く事なんで、それを遂行します。あ。でも、流石に目の前で犯罪行為があったりしたら、そこは騎士として動きます。これはちゃんと認められてる事なんで問題はないです」
「王都で出来るのは、あくまで辺境伯の命令の内の行動ってわけですか」
「そうです。なんで、むしろこの隊服で一発で辺境騎士団って分かってもらえるんで、騎士団と衝突したり、身分証明に手間かけたりって事ないんで、隊服の方が良いってソルニャンさんも言ってました」
「そうなんですね」
確かにその隊服は、騎士団の人なら辺境騎士団…辺境伯直属隊だと分かるだろう。
本来、国境警備をする辺境伯直属隊が王都へ来ることは滅多にないけれど、辺境伯の護衛や万が一に備えて同行する事もあるから。隊服だって全く知られていないわけじゃない。
身分証でいちいち証明しなくていい。一目で分かる身分だ。
…ちょっと便利だなって思ってしまった。
「ま、今回はいきなりだし、ちょっと街でも動き回るかもなんで、一応マント羽織って来て良かったです」
「隊服でウロウロしてるの目立ちますしね」
人目を避ける為にもそれがいいかもしれない。ヴァンの言葉には同意だったけど、いきなりでそこまで考えてくれた事には感謝した。…と「あ、これはディーゴさんの提案です」て言われた。流石なのはディーゴさんだった…。
「父様の事も心配なんですけど…ランサ。無理しないかな?」
「リーレイ様追いかける為なら仕事スピードも上がるんじゃないですか? それでも一切手は抜かないんで、そこが凄いんですけど」
…想像できてしまったのが怖い。執務机に向かうランサの手が一切止まらない光景が浮かんでしまった。
ヴィルドさん、お願いなので時には止めて下さい…。
「俺らがツェシャ領を出て約一月。ランサ様ならもうツェシャ領出てますし、一緒に来るソルニャンさんがついてるんで、大丈夫でしょう」
「そうですね。私も何があったのか把握しないと…」
少しだけ緊張する私に、バールートさんはニッと笑みを浮かべてトンッと胸を叩いた。
それは少し頼もしくて、少しだけ心を軽くしてくれる。
「俺がお役に立てるなら、いくらでも言って下さい! リーレイ様はランサ様の奥方…じゃなくて、御婚約者ですから。いくらでも手足になりますよ!」
「……ありがとうございます」
…今さらっと間違えられた単語には触れた方がいいのかな? 黙っておいた方が良い? …違うんだけど。
もしかして、辺境騎士団の皆さんにはそう認識されてるの? 大丈夫なの? ランサの威厳は。
「ヴァンさんついてるんでまず大丈夫ですけど。ランサ様言ってましたよ。リーレイ様がやっと婚約者だって自分で言ってくれたから、要人として直属隊から護衛がつけられるって。嬉しそうに言ってました」
「っ…そうだったんですか…。すみません。今度ランサに言っておきます。ヴァンがいるから大丈夫だって…」
「あ。俺は一緒にお嬢の手綱掴んでくれる人がいるんで安心です」
「ヴァンは正直だね…」
…駄目だ。ランサが言ってたって事は辺境騎士達も知ってるって事だよね? もう砦に行けない…。
辺境伯直属隊は元々、警護任務は少ないらしい。あっても商隊の警備とかで、誰かに付くことはそれこそ、辺境伯の家族にってくらいらしい。
辺境領は貴族も訪れる事なんて滅多にないし、辺境伯の役目上、その領地で社交会が行われる事もないらしい。あっても小さな小さな茶会とからしい。
「ソルニャンさんとか先輩方に聞いたんですけど、ガドゥン様…ランサ様の父上も、王都に行く時って護衛は奥様に付けるくらいだったらしいです。辺境伯夫人なんで、要人警護の仕事なんですよね。俺らにとっては。俺らはランサ様の命令に従うのみですし、ランサ様の守るものは、直属隊にとっても守るものなんで」
いつもと何も変わりなく、バールートさんは明朗に言う。
けれどその言葉は、揺るがない強い意志を感じさせた。これが直属隊の騎士である、という事なんだろう。
直属隊の騎士達は、主君と決めたランサの為、ランサの身も心も、守ってくれている。
なんて、頼もしくて敬意を抱く志なのか…。
その忠心に感謝と敬意を抱いていると、関所は私達の番が回ってきた。




